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 乗り込んだ荷馬車の中で見たのは、予想外の光景だった。幌延の天井近くまで積み上げられた無数の木箱、そしてその真ん中には、まるで放り捨てられたように一人の少年がうずくまっている。手足を縛られた上に猿ぐつわまで噛まされていて、かなりぞんざいな扱いを受けている。シードルよりも三つ四つは年上だろうか背丈はそこそこありそうな印象だが、こちらを見る目は警戒と怯えが入り混じったもので、シードルが俺達へ向けていたそれに近い。
「大丈夫だ、俺達は味方だ。今、それを外してやろう」
 俺はなるべく刺激しないように、ゆっくり彼に近付いて猿ぐつわを解いてやる。それから手足を順に解いてやると、彼は素早く荷馬車の奥へと身を潜めてしまった。警戒心に満ちた視線を突き刺され、俺はかけるべき言葉も失ってしまった。
 アーリャが荷馬車の中身について曖昧な言い方をしていたが、まさかこんな状況とは夢にも思わなかった。この積み上げられた木箱の中身はともかく、この少年の素性は気になる所である。絶対に逃がさないようにという、かなり強い意図を感じる状態だっただけに、単なる親に売られた子供ではなさそうだ。
「アーリャ、そっちはどうだ?」
 荷馬車の外へ声をかける。すると丁度目の前でカッと白い光が走り、側にいたアーリャがゆっくりと立ち上がった。足元には、いつの間に揃えたのか、先程意識を奪った連中が綺麗に三列に揃えて並べられていた。
「これで最後です。みんな、真人間に更生しましたよ」
「そうか。それで、こっちなんだが、ちょっと妙な事になってる」
「妙、ですか?」
 アーリャを幌の中へ招く。少年は更に見知らぬ顔を見て、一旦は緊張の色を強めるものの、程なく興味深げな眼差しへと変わった。
「大丈夫、私は味方ですよ」
 アーリャのその言葉に頷くと、少年は恐る恐る物陰から現れてアーリャの方へ近付いていった。アーリャは俺と同じ事を言ったのに、何故こうも態度が違うのだろうか。いつも苦労をさせられるのは俺の方だが、人を和ませる徳はアーリャの方が遥かに積んでいるらしい。
 少年はアーリャの側に付きながら、周囲をきょろきょろと見回す。これまでずっと荷馬車の中で運ばれて来たから、この場所がどこなのかも分かっていない様子だった。
「流石に子連れじゃ、これ以上は無茶だ。一旦戻ろう」
「そうですね。じゃあ、私達の宿に一緒に行きましょうか。大丈夫、危害を加える人は居ませんから」
 そう言ってアーリャは、少年と、そして俺の肩に手を置く。次の瞬間、司会が突如眩しい光に包まれ、体を奇妙な浮遊感が駆け抜ける。気がつくと目の前には、俺達の借りた別荘が建っていた。
「おい、いきなりは止めろよ。この子は事情も分かっていないんだぞ」
「あれ、まずかったですか? 大丈夫、単なる瞬間移動ですよ。別に害はありません」
 アーリャは少年にそう説明するが、少年は突然の事にすっかり混乱して目を白黒させている。
「とりあえず、中でお茶でも飲んで落ち着こう……」
 本当に疲れる奴だ。そう思いながら、俺は先に別荘の中へと入った。
 時刻は既に真夜中だったが、驚く事に居間から明かりが漏れている事に気が付いた。居間へ入ると、そこにはニーナが一人雑誌を読んでいた。
「あら、お帰り。大丈夫だった?」
「ああ、まあな。他の二人は?」
「もうとっくに寝てるわよ。時間も時間だし。お茶でも淹れる?」
「ああ、頼む」
 ニーナはわざわざ俺達が帰って来るのを待っていたようである。口では割と薄情な事を言っていたが、少しは心配をしていたようだ。
「ただいま。いやいや、良いことをした後は疲れますね」
 そして、上機嫌なアーリャとそれにぴったりと続く少年が入って来る。
「あら、その子は?」
「連中に捕まっていた子供だ。事情は分からないが、放り出す訳にもいかなくてな」
「ま、今更一人二人増えても、大して変わらないけど。それより、連中の方はどうなの?」
「アーリャがきっちり更生させたさ。当面は心配要らないだろう」
「そう。だったらいいの」
 そう言ってニーナは台所の方へ行ってしまった。ふと、ニーナがお茶を準備するのは珍しい事だ、そう俺は思った。
 居間に腰を落ち着けた俺達は、まずこの少年の素性について訊ねる事にする。
「俺はレナート、こっちはアーリャ。さっきのはニーナで、それと他に君ぐらいの歳の子が二人いる。まず君の名前から教えてくれるか?」
 すると少年は、何やら困ったように首を傾げ、そして両手で宙を掻くような奇妙な仕草を見せた。
「ん、どうしたんだ? 名前だけ教えてくれればいいんだが」
 しかし、少年は一向に答えず、ただただ手を降るばかりだった。
「あ、そうでしたか。私が話しましょう」
 そう言ってアーリャは、少年と同じように奇妙な手振りを始める。すると、少年ははっと何かに気付き、途端に一層熱のこもった手振りをアーリャにして見せる。俺には何の事かさっぱり分からないのだが、アーリャはうんうんと頷いている。
「なあ、さっきから何をしているんだ?」
「これは手話です。どうやらこの子は、生まれ付き言葉が話せないようなのです。耳は聞こえているのですが」