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 それから午前中は特に何も動きは無く、俺達は家の中で穏やかに過ごした。しかし、相手の出方を待っていては後手に回ってしまう懸念もあり、俺は街や連中の様子を探るべく、単身外へ偵察に出る事にした。
 まずは家の周辺を軽く見回ってみる。この辺りは見晴らしの良い別荘地で、うちに似た様式の建物が幾つも建ち並んでいる。そのほとんどには利用者がいて、いずれも思い思いの休日の過ごし方をしている。見て分かる範囲ではこの国の人間はおらず、ひとまずうちを見張られているような危険性は無いだろう。
 その後、今度は繁華街の方へと足を伸ばす。ここからの懸念は、連中の仲間が街のどこかにたむろっていて、俺の姿を見るなり何か仕掛けて来ないかという事だ。今の俺は場所柄から丸腰で、一度に複数人で仕掛けられたら一溜まりもない。そんな危険性もあって、俺は普段以上に周囲への警戒を怠らなかった。
 繁華街は昨日同様に大勢の人出で賑わっていた。あちこちに並ぶ露店などの買い物もそうだが、何よりも人の密集する度合いに困惑させられる。どうしてこんなにも狭い所にこれだけの人間が集まるのか、不思議でならなかった。他に品揃えの良い場所が無いのか、それともそれだけ魅力的な品があるのか。少なくとも後者は心当たりがあるだけに、尚更この人混みが心地良いものに思えなかった。
 しばらく何事も無く歩き回っている内に、やはり連中も人前で襲うなど目立つような行為はしないのだろうと、そんな確信を持つに至った。そして、特に自分を付け回すような存在もいない以上、自分の考え過ぎだった事が分かる。そもそも、あの手下の男がアーリャにおかしくされた事自体が発覚していないのかも知れない。そうだとするのなら、連中の動きを知るには連中の拠点が一番である。俺は、先日立ち寄ったあの飲食店へと足を向ける事にした。
 人混みで何度か道を間違えつつ、ようやく件の飲食店を見つけ出す。そしてすぐには中へ入らず、まずは連中には悟られないようにそっと中の様子を窓から窺う。丁度どこの飲食店も空いてくる昼と夜の間の時間帯だったが、店内には少なくとも三組の客が来ていた。如何にも善良そうに見える中年夫婦、親が金持ちそうな若い女性二人組、そしてやたら近寄り難い雰囲気を放っている大柄な男。最初の印象としては、いずれも無関係そうに見えるが、ここが例の仲介場所ということを踏まえてみると、いずれも怪しく思えてしまう。そもそも、連中は一般の人間も相手に商売をしている以上、誰が普通に見えるかなどは無関係な見解だ。
 幾ら路地側の店とは言っても、あまり長く店の前に張り付く訳にはいかない。俺は一旦路地から離れ、丁度その路地を見張る事が出来る通り沿いのカフェへと入った。そこで普通のお茶を飲みつつ、特に目的もなく路地とその店の様子を観察し続けた。時間が経つに連れて、あの三人の客もそれぞれ店を後にし人混みの中へと消えていく。また、逆に人混みの中から店の中へ入っていく者もいる。客の流れにはまるで違和感はなく、ごく真っ当な商売をしているように見える。やはり、アーリャが偶然出してしまった例のサインは、そんなに誰しもが知っているようなものではないのだろう。
 そのまましばらく張り付いてはいたが、どうにも目立った動きは見受けられない。おそらく、連中はあの手下の事には未だ気付いてはいないのだろう。となると、明日辺りからまた動きを見せるのかも知れない。
 こちらも、日が暮れる前に戻るとしよう。そう思い、会計を済ませてカフェを出る。丁度その時だった。偶然にも同時にあの店から三人組の若い男女が出て来て、その挙動に俺の目が止まった。三人の内一人が一枚の紙を手にし、それを三人が寄って眺めている。この雑踏の中ではさほど目立つ行動ではないが、それは飲食店を出てすぐの人間が取るにはいささかおかしいように見える行動だ。
 単なる俺の思い過ごしかも知れないが、俺はどうしても彼らの動向が気になり、そっと彼らの後を付ける事にした。
 彼らの身のこなしや挙動は全くの素人のそれで、周囲に警戒を向けるどころか手にした紙の内容に気を取られていて、むしろ一般人よりも疎かになっている。となると、やはり連中の顧客と見るのが自然だろう。ただ、知らずに契約してしまった俺達とは違い、彼らは明らかに期待感に満ちているため、そうと知っていて契約したのだろう。
 尾行の経験は何度かあるが、中でもこういった人混みの中での尾行は特に難しい。単純に見失わないよう注意することはそうだが、それにより不自然な行動にならないよう心掛けなければならない。人混みに紛れ込めば一人一人は目立たないと思い込みがちだが、尾行される側は大抵自分が尾行される可能性を自覚しており、そんな人種に取って人混みで不自然な行動を取る人間というのは非常に浮いて見えるのだ。その点、彼らはあまりに注意力が無いため、尾行は非常に容易だった。
 繁華街を抜けた彼らは、今度は外国人向けの別荘のある区画へと向かっていった。そこで俺はふと、彼らが俺が来た道と同じ道へ入って行っている事に気が付いた。彼らもまたこの国の人間ではなかったが、他にも外国人向けの居住区はある。偶然かと思ったが、考えてみれば彼らもあの連中と契約したのだから、仮にあの連中の扱う物件が一つ二つではなく地区単位であれば、俺達の住む別荘の周辺は全て管理物件だったという可能性が出て来る。
 それでは、俺達の周りが敵だらけになったりはしないだろうか?
 そんな嫌な予感を脳裏に浮かべながら、彼らがまさに俺達の別荘の方へ向かっていく様を不安げに見つめる。
 やがて目の前に俺達の別荘が見え始めた頃、彼らはほんのすぐ脇の道へ入っていった。その先を注意深く見ていると、彼らは俺達の別荘のすぐ裏手にある、全く同じデザインの別荘へと入って行った。どうやら彼らが契約したのは、うちのすぐ裏だったようである。