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「断固、拒否すべきです!」
珍しく声を荒げるアーリャは、今にも爆発しそうなほどの勢いを見せた。その様子を見ていたイリーナとシードルは、驚きで目を白黒させている。
「落ち着けって。そんな事は分かってる。問題なのは、もっと現実的な対処の話だ」
「決まっているでしょう。悪人とは何の交渉もしません。ただ無慈悲に、速やかに殲滅するだけです」
「だから、お前は何も分かってないだろ」
気炎を上げるアーリャとは対照的に、ニーナは静かに手紙の文面に目を通していた。こちらはアーリャとは違って、現実的なアプローチを考えているのだ。
状況は実に厄介な事になっている。初めイリーナとシードルは、悪い表現をすればこの物件の付属品のようなものだと思っていたのだが、どうやらそれは連中の手違いだったようである。そして、今更だがその返還を求めて来たのだ。文面自体は非常に低姿勢で、全面的に自らの非を認めている。何らかの補償をする予定もあるらしい。だが、問題はそういう事ではない。
「アーリャなら、別にこんな連中なんて楽勝でしょ。ただ、それをやったら私達、この国ではお尋ね者よね」
「悪党を守る法律など、私は元々守るつもりはありませんよ」
「あんたは良くても、この子達はどうなの? それに、怖いのは仲間の報復じゃなくて、この国の警察とか憲兵とか、そういう人達よ。まさか、それすらも蹴散らすつもり?」
「必要ならば。悪人に加担する者は、何人たりとも差別しません」
「呆れた。頭脳労働派と見せかけて、発想は正反対ね」
アーリャは、例え誰が敵に回ろうとも徹底抗戦するつもりだ。そして、それだけの力はあると思う。しかし、警察や憲兵まで敵に回す状況は、はっきり言って詰みである。それはまともな社会生活が出来ない事を意味し、いずれはこちらが敗北するだろう。どれだけアーリャが強くとも、人間全てを一気に敵に回すなどあまりに無謀なのだ。
「やはり、連中とは何処かで落とし所を模索しないといけないだろうな。どうせ、殴って言うことを聞くとは思えない」
「ま、そこが現実的な所よね」
「穏便にと言うなら、主犯格だけで許してあげましょう。組織の中心が無くなれば、自然と組織は崩壊します」
「まあ……物騒だが、大分現実的ではあるな」
これからしばらくは、アーリャの動向からは目が離せないと俺は思った。ふとした事でスイッチが入り、連中を強襲しないとも限らないのだ。しかし問題は、アーリャが本当にその気になれば俺の監視すらも容易にかいくぐってしまう事だ。アーリャは感情が表に出やすいから、そこに注意するぐらいしか現実的には無理だろう。
「案外、アーリャに先制で一撃見舞わせるのはいい案かもね。話の分からない奴の後に、ちゃんと話の分かる奴が来れば、連中から譲歩を引き出せるわよ」
「俺に、アーリャの尻拭いをさせるって事だろ。リスクが高過ぎる」
要するに、最初に思い切りぶん殴っておいて、次からは優しくするという、連中のようなアウトローのやり方だ。それに、アーリャをその最初に使うのは、その最初の一回で何もかもが終わってしまう危険性だってあるのだ。
そしてその晩は、連中とは交渉の上で落とし所を見つけるという、非常に在り来たりな結論で終わった。さして遊び回った訳でもないのだが、ベッドへ入る頃には酷く疲れていた。いや、どちらかと言えば気疲れがほとんどだ。どうして静かに過ごしたいだけなのに、こう面倒ごとが続くのか。そんな思いを頭に巡らせながら、就寝した。
翌朝、今度は例のとは違うお茶を飲みながら、居間でぼんやりと外の景色を眺めていた。ニーナもまた、同じようにお茶を飲みながら昨日買った雑誌を読んでいる。イリーナとシードルは、アーリャの所で朝食の準備の手伝いをしている。いつの間にか二人は、アーリャに一番懐いてしまっていた。昨夜の話で、一番物騒なのがアーリャであるとはっきり分かったはずなのだが。また人間が知らないという、子供を懐かせる知識でも持っているのかも知れない。
穏やかな朝を、時間を忘れてのんびりと過ごす。その贅沢さに、あらゆる悩み事を忘れかけていた、まさにその時だった。
玄関の扉の鐘が鳴らされ、俺はぼんやりとその方向へ目を向ける。
「おい、誰か来たみたいだぞ」
「そうね」
「そうね、じゃなくて。ちょっと出て来いよ」
「自分でやったら? 私は召使いじゃないわよ」
可愛くない反応だと頭の中で罵りつつ、俺は重い腰を上げて玄関へと向かった。
「おはようございます。回収に伺いました」
ドアの向こうに立っていたのは、一人の若い男だった。丁寧な態度の割に服装はあまり品が無く、如何にも自分が目立とうという意図が溢れ出ている。丁寧な言葉使いも使い慣れていない感じがあり、おそらくこの男の上の者は何かと細かい強面なのではないかと想像した。
「回収?」
「そうです。昨日、手紙読んで貰えましたよね?」
「ああ、そうだな。読んだよ」
と言う事は、やはりあの連中の仲間なのだろう。もっとも、この国に知り合いのいない俺達にしてみれば、訪ねて来る人間は非常に限られているのだが。
さて、この場はどうかわそうか。
だれきっていた俺の脳に血液が巡り、最善の策を求めて思案する。この男とて、子供の使いではない。余程の理由が無い限り、引き下がる事はしないだろう。それに、ケンカ慣れしている雰囲気もある事から、取っ組み合いになれば俺もどうなるかは分からない。そもそも、それをやってしまったら即全面戦争だ。最悪のケースであり、最も避けなければいけない。
「と言う訳で、早くお願いしますよ。ああ、それと。これ、うちのボスからの差し入れです」
男がおもむろに差し出したのは、見覚えのある紙袋数個だった。そう、まさかでなくとも例のお茶である。
下っ端と話をした所で、交渉も何もないだろう。ここはやはり、差し入れにケチをつけてもっと上の人間を引き摺り出すのが得策だろう。
そう思い、早速俺は言い掛かりをつけようと口を開いた。だが、その直後の事だった。
「連中の仲間ですね。待ってましたよ」
突然後ろから聞こえてきたアーリャの声。一体何をするつもりだと言うよりも早く、アーリャはいきなり男の頭を鷲掴みにした。そして次の瞬間には、男は糸の切れた人形のように、その場に崩れ落ちていった。
「まずは一人。早速、更正させましょう」
得意気な笑顔を浮かべるアーリャ。しかし俺は、声にならない叫び声を上げていた。