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「いや、参ったよ」
気恥ずかしい思いをしながら、皆が昼食を取る台所へやってきたのは、丁度正午を過ぎた頃だった。麻薬の抜けた俺に一同は特に気遣うような素振りなど見せず、本当に動いても大丈夫なのかとばかりに訝しむような視線を向ける。唯一イリーナだけが、罪悪感もあってか、心配そうに見てくれた。
「ようやくまともになったようね」
「酷い言われ様だが……まあ、仕方ないか」
ニーナに言い放った言葉の数々を忘れた訳ではない。あの時は妙に気持ちが高揚していて、とにかくはしゃがずには居られなかったのだ。勿論、本心から出た言葉ではなかったし、今となっては言ってしまった事に後悔すら覚えている。
「レナートも食べますか?」
「ああ、頼むよ」
アーリャが俺の分の食事をてきぱきと並べてくれる。結局朝から何も食べられなかった俺は、薬の抜けた今は酷い空腹感に苛まれている。麻薬の効果があった時は、痛みも疲労も空腹感も感じなかったから気付かなかったが、かなり腹が減っていたようである。
「とりあえず、あのお茶は取っておいてありますけど、もう使わない方が良さそうですね。軽く調べてみましたけど、不純物は多いし、成分も随分とむらがあります。まるで素人が作ったかのようでした」
「その割に、俺には良く効いたな」
「たまたまだと思いますよ。でも、運は良かった方ですよ。下手なものだと、気分が悪くなったり、寿命を縮めるような目に遭ったりしますから」
「そうなったらお前に、何とかしてくれって、泣きながら頼むさ」
食事を終えて人心地つくと、次に何をするかを考える欲求が出て来た。この国では大人しくするつもりではあったが、流石に日長家の中に籠もっているつもりは無い。それではむしろ、体の調子を狂わせるというものだ。
「ところで、午後になったらその辺にでも散歩がてらに出掛けてみないか? ここでじっとしてても、何か目新しいものが見つかる訳でもないし」
「まあ、いいんじゃない? 何かと物入りだから、買い物もしたかったし」
「そうですね。食材の買い出しも必要ですから」
あっさり意見が合い、俺達は早速外へ出掛ける事にした。
イリーナはともかく、シードルはどこか気乗りしない表情ではあったが、家に一人残しておくのも気が引け、イリーナが何とか説得して連れ出すような形になった。何となくシードルは、環境が少しでも変わることを嫌がっているように感じた。いきなり未知の場所に放り出される事が怖いのだろう。まだ初期とは言え、あまり良い兆候では無い。
この辺り一帯は、外国人向けの別荘地となっている。周囲には似たような建物が幾つも建っていて、時折如何にもな人間をちらほらと見かけた。俺が飲んだお茶と同じものか、それともどこかで調達してきたものか。ともかく、視点の曖昧な人間とは目を合わせないようにするべきである。
別荘地を抜けて程なく、繁華街へと出て来た。流石に保養地の繁華街だけあって、昼間から大勢の賑わいを見せている。そして、行き交う人々の面を追ってみれば、いずれも自分らと同じ外国人ばかりだった。その上、繁華街の方も店を出しているのは外国人ばかりで、まるでここだけが別な国のような印象を受ける。あまりに多くの外国人が来るためか、自然とこのように一カ所に集中したのだろうか。これまでの経緯もあって、自分達も外国人という訳にもかかわらず、どうにも彼らが皆、きな臭い目的でこの国にやってきたように思えてならなかった。
「流石に賑わってますね。ああ、あっちは海ですよ。海水浴も出来るようです」
「後で少し泳ぎに行ってみるか? と言うか、お前は泳げるのか?」
「泳ぎ方は知ってるので、大丈夫です」
泳法の知識はあるだろうが、実践はどうなのだろうか。そう疑問には思ったが、武術の知識もあり、実際に生半可な相手なら簡単にねじ伏せてしまう所を見ているため、泳ぐくらいなら出来るのだろう。きちんとした泳ぎ方なら、思ったよりも体力は使わないものだ。
それからしばらく、俺達は露天商などを覗きながらぶらぶらと繁華街を歩き回った。多少人混みが気にはなったが、人が多い分には自分達が目立たなくなる安心感もあった。これならば、仮に俺達に追っ手がかかっていたとしたも、そう簡単には見つからないだろう。
イリーナとシードルは、終始目を白黒させながら付いてきている。おそらく、これほど賑わっている場所に来たのは生まれて初めての経験なのだろう。そういった田舎から買い上げる商売が当たり前のようにあるのだから、過激な思想を持つ神も出て来るようになるだろう。むしろ、悪人しか標的にしないアーリャの方が穏健にすら思えてくる。
しばらく露店を巡り、夕方頃には一通りの消耗品と食材を買い揃え帰宅する。アーリャは早速夕食の支度に、ニーナ達は買った物の整理を始める。俺は午前中の時のように居間のソファーに体を預け、心地良い疲れとくつろぎながらアーリャの食事の支度を待った。
それからしばらく、そのままうとうと眠りかけていた時だった。
「あの……」
突然の声に目を覚まして前を見ると、そこではシードルがおっかなびっくりといった様子で、何かを俺に差し伸べようとしていた。それは何処にでもあるような普通の紙で、乱雑に二枚折りにされている。
「それ、玄関に落ちてて……」
「何だ? 出掛けてる間に来たのかな?」
手紙を受け取ると、すぐさまシードルは何処かへ去ってしまった。幼い分、姉よりも警戒心が強いようである。
さて、差出人は何処の誰なのか。俺は早速手紙を開いて目を通し始める。
「何だこれ……」
そして、その内容に思わず眉をひそめてしまった。手紙の差出人はここを仲介したあの不動産屋で、書かれていたのはイリーナとシードルの返還を求める詫び状の文章だったからだ。