BACK

 翌朝、思っていたよりも早く目が覚めた俺は、まだ酒の残る頭を抱えながらだらだらした足取りで下へ降りた。
 朝も早いこともあって他の皆は自室で寝ているらしく、広い居間もがらんとしている。俺は一旦台所に寄って水を飲み、居間ソファーへ体を沈めるように座った。昨夜はいつ眠ってしまったのか記憶になく、とにかく未だに眠気が残っている。深酒のせいか全身も怠い。やはり、久々に思い切り飲んだせいだろう、体がうまく酒に対応出来ていない感じがした。
 ぼんやり天井や窓を眺めつつ、うとうとしていると、階段から降りてくる足音が聞こえて来る。やがて足音はこちらの方へ近づいて来た。
「あっ」
 そっと居間を覗き込んだイリーナが、俺の姿に驚きの声を漏らす。まだ誰もいないと思っていたのだろう。
「あ、あの、おはようございます」
「ああ、おはよう。早いな」
「はい、いつもはこれくらいで……」
 俺は今朝はたまたま目が覚めただけで、普段はもっと遅くまで寝ている事が多い。イリーナは、普段からこれくらい早く起きるようだが、その理由はおそらく何らかの仕事のためだったのだろう。今のようになっても、習慣として残っているのだ。
「あの、何かお茶でも入れましょうか?」
「それもそうだな。頼むよ」
 イリーナは一礼して台所の方へと向かう。未だ余所余所しいというか、気を使わせているような節がある。もしくは、俺達の機嫌を損ねぬようにと気を使っているのだろう。お互いの立場など関係なくもっと気軽に気楽に接して欲しいものだが、そんなにすぐに受け入れられるような境遇でもなく、俺が思うほど簡単な事ではないのだろう。
「お待たせしました」
 やがて、お盆にティーポットとカップを並べてイリーナが戻って来る。たどたどしい手付きでお茶を注ぎ、俺の前へ差し出した。カップを手に取って軽く匂いを確かめ、火傷しないようにゆっくりと一口含みながら飲んだ。
「ああ、朝はこういうのがいいな。体に染みて、腹の底から温まる感じがする」
 酒を飲み過ぎた時は水を飲むに限ると思っていたが、こういう温かいお茶の方がむしろ体が楽になるように感じた。内臓は温める方が健康に良いらしいが、酒で弱っている時もまた同じ事なのだろう。
「これはキミのとこのお茶なのか?」
「いえ、台所にあったものです。私達は、特に荷物も無く家を出されましたから」
 そう言えば、イリーナとシードルは親から売りに出された身の上だった。手土産にお茶など持たされるはずもない。
「ところで、今後の君達の事について何だが」
 イリーナにそう話を振ると、彼女はびくりと肩を震わせ、不安げな眼差しでこちらを見て来た。
「ああ、いや。別に取って食おうとか、そういう意味じゃない。実のところ、俺達はこの家がそういう物だと知らないで契約したんだ。だから、君達の事をどうするのか、考えあぐねている所があってさ」
「あ、あの、私達はどこにも行き場所が無くて……」
「うん、その辺は重々分かってるつもりだ。別に出て行けなんて言うつもりは無いし、誰も嫌な思いをしない方法を考えている所だ。だからいずれ君達にも、どうすれば君達にとって一番良いのか、それを決めるために相談をする事になる」
 未だにこの世界では子供の人身売買は後を絶たない。需要もそうだが、供給する側が一向に減らない事も原因の一つだ。だからイリーナ達の問題は、親許へ返せばそれで良いという単純なものではない。その親こそが元凶であるから、それでは何の解決にもならないのだ。
「とにかく、そう簡単にどうにかなるような問題でもない。取り敢えず、俺達も当分はこの国から動けないから、しばらくこのままここで一緒にのんびりしていればいいよ」
「はい、ありがとうございます」
 まずは、イリーナとシードルには俺達の事を信用して貰わなければならない。ある程度の信頼関係がなければ、俺達が何を言おうとも、きっと疑念しか湧かないだろう。それが、問題解決をややこしくするのだ。
 やがてお茶も飲み終わると、俺はティーポットとカップをお盆へまとめ片付けを始める。すると、すかさずイリーナがそれを止めてきた。
「あ、片付けは私がやりますから」
「いいよ、これくらいは」
 そう答えながらお盆にまとめ、立ち上がろうと足腰に力を込める。そんな普段から無意識にやっている動作を取ったその時だった。
「あれ?」
 予想外に足腰の力が足りず、俺は途中で腰砕けになり、尻からソファーへ崩れる。バランスでも悪かったのかと、再度立ち上がろうとしてみるが、今度は腰が全く持ち上がらなかった。
「何だ、変だな……ははは」
 足腰だけではない。気が付くと、全身にまともに力が入らなくなっていた。そして更に異様な事に、そんな自分が急に愉快でたまらなくなってきて、思わず笑いすらこぼしてしまった。客観的に見ると明らかにおかしな言動である。だが、そうと分かっていても自分では制御する事が出来なかった。