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 しばらくした後、俺達の席に現れたのは、大柄で頬に傷跡のある中年の男だった。明らかに店の雰囲気に似つかわしくない、剣呑な空気を全身から放っており、その上腰にはこれ見よがしに厚く長くこしらえたナイフを差している。これだけ見ても、真っ当な仕事で稼いでいるようには見えない。
「最初に確認するが。あんたら、誰かの紹介か?」
 こちらの値踏みをするように、一人一人順にじろじろと見回す。あまりに露骨な警戒の態度だ。
「いいえ、誰の紹介も受けてませんよ。たまたま近くを通りかかった際、良さそうなお店だったので寄ってみただけです」
 アーリャは特に考える事もなくそう答える。しかし、男の方は警戒感を殊更強め始めた。やはりこの店、何か裏の商売をしていて、その事情から近づく人間には警戒心を強めているのだろう。そして、アーリャはまだ自分が住居の話をしていると思い込んでいる。
 ニーナに視線を送ると、やはりニーナもまずい所に足を踏み入れたと焦りの色を僅かに浮かべている。ここは早急に立ち去るべきだと、呼吸で示し合わせる。しかし問題はアーリャである。単に強引に引っ張っていけば解決するのかも知れないが、相手が犯罪者だと分かった瞬間、どんな行動に出るのか全く予想がつかない。もしもそこは今まで通りだったなら、間違いなく大惨事に発展するだろう。そして俺達は、またしても逃げるように出国する事になる。
「フッ、うちはどこの紹介も受けつけてないからな。嘘ではないようだ」
「嘘はつきませんよ、私は。では、何か資料を見せて頂けますか? カタログのようなものを」
「アンタ、優顔の割に随分と度胸が座ってるな。人は見掛けに拠らないとは言うが、これはなかなか……。いや、答えてくれなくて構わないさ。こういう業界だ、聞くだけ野暮ってものだ」
 何だか良く分からないが、アーリャはこの男に気に入られたらしい。これでますます帰り難くなってしまったと、内心舌打ちをする。
「よし、ちょっと待ってな。いいのを見繕ってやるよ」
 そう言って、男は奥へと引っ込んで行った。同時に、俺は深く溜め息をつく。別段、あの男に緊張している訳ではない。俺もニーナもあの手の犯罪者など腐るほど相手にしてきているし、今更何の物珍しさもない。今最も恐れているのは、アーリャが何かをしでかさないか、という事だ。
 ここで問題なのは、あの男は一体何を扱って商売にしているか、である。もちろん違法な品なのは分かっているが、ひとえに密売と言っても、薬物や兵器、人身など様々ある。そして、あの男が持ってくるカタログの内容次第では、アーリャはこの場で豹変する可能性だってある。
 とにかく、一目で違法だと分かるような品物。特に奴隷なんかだけは避けたい。そう願いながらしばらく待っていると、あの男が真新しい冊子を片手に戻ってきた。その表情は心無しか自慢気に見え、自分の扱う商品に絶対的な自信があるようだ。再び、俺の背筋には冷たい緊張感が走った。
「待たせたな。さあ、見てくれ。どれも、うちの傑作ばかりだぜ」
 そう言いながら、冊子をテーブルへ広げる。どう傑作なのか、方向性次第では血を見る事になるのだが、ともかく俺はアーリャより先んじてそのカタログの中に注意深く目を凝らした。
「……ん? コテージ、か?」
「いやいや、別荘って呼んでくれ。実物は、こんな絵なんかよりずっと凄いんだぜ」
 カタログに描かれているのは、デザインの凝った建物の挿し絵の数々だった。よくある金持ち向けのリゾート地にありそうなそれであるが、デザインが奇抜なものもあり、若干品が欠けているようにも見える。そして、それらの挿し絵には建物の特徴などがまとめられた簡単なプロフィールが記載されていた。築年数や間取りといった普通の情報の他、末文の方には記号と有無の情報だけが揃えられた、如何にも隠語らしい記述があった。
 建物自体は、周囲にも似たような物件が並んだ立地も考えると、それほど条件は悪くはない。予算も思ったよりはかからず、隠れ家とするには十分である。しかし、この隠語らしきものがどうしても気になる。男は俺達を、こういった事は承知の上だと思っているようだが、もしも何も知らない事が知られでもしたら一触即発である。まったく、アーリャはとんでもないものを引き当てたものだ。そう溜息をつかずにはいられなかった。
「今は丁度人が空いてるんだ。契約してくれりゃ、今すぐにでも使ってもらって構わないぜ」
 だが、契約してしまえばそれこそすぐには逃げられなくなってしまう。高い金を払って、訳の分からない特典のついた物件になど住みたくはない。そこをどう伝えたら、角の立たないように済むだろうか。そう思案していると、アーリャがこちらに話を振ってきた。
「ここはどうでしょうか? 庭が綺麗で、部屋も広そうですよ。職人が苦労を重ねて建てた力作と書いています。きっと良い物件のはずですよ」
 こちらの苦悩などつゆ知らず、のんきに物件選びに精を出しているようだ。少しは事情を察して欲しい所だが、人間の世上についての知識をアーリャは持ち合わせていないのだから、その期待は無駄である。以前のように、正義のためにだといちいち暴走するよりかは、まだ可愛いのかもしれないが。