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 二年前に引き受けた、ドミトリーという人物の護衛。これがアーリャとの本当の出会いであり、俺が今の様に豹変するきっかけとなった仕事である。
 やはり実感にはほど遠かったものの、俺は自分が過去と今とで別人のように変わった事を認めざるを得ないのかも知れない。ニーナの主観で語られる過去を聞いている最中、そんな事を思い始めた。
「その護衛についてなんだけど、やっぱりあんたとアーリャはそりが合わなかったみたいで、まあ何かと意見が対立していたわ。最終的には依頼主がアーリャの方を支持するからそこで折れるんだけど、ただでさえ好きで受けた仕事じゃないだけに、かなり嫌気が差してたと思うわよ」
「そんなに気乗りしないのに、どうして受けたりしたんだ?」
「さてね。あんたはそういう事も話さないから。誰か昔馴染みに頼まれて仕方なくとか、そんな事を愚痴ってたのは聞いたけれど」
 たとえどんなに気乗りしなくとも、その人の頼みならば受けざるを得ない。それほどの恩のある人物が俺にいたという事なのだろうが、今の所思い当たるような人は浮かんで来ない。そもそも、見ず知らずの人の頼みであろうとも、困っているようであれば割に合わなくとも助けてしまう、それが俺の性だったはず。
「で、この仕事の顛末についてだけれど。先に話した通り、依頼主は名家の出身で次期後継者の有力な候補。だから、他の候補から直接的に命を狙われていたわ。もっとも、本人は本人で刺客を送り込んでいた訳で、どっちもどっちね。まあそういう訳だから、いつ交戦が始まってもおかしくない状況だったわ。それである日、依頼主が仕事で遠征した際に、丁度船に乗ろうとした所で襲撃を受けたの。予め金をばらまいてたんでしょうね。憲兵なんか一切気にかけないような、大胆な規模でね」
「それで、アーリャも死んだって訳か」
「そういうこと。あいつ、前から人を殺す事は良くないとか言ってたんだけど、あの状況でも本当に誰一人手に掛けなくて。だからこっちもジリ貧になって、自分も殺される羽目になったのよ。馬鹿としか言いようがないわね。一応命の恩人に向かって言うのも何だけど」
「それで、俺はどうなったんだ?」
「酷く状況が混乱した乱戦状態だったから、はっきりとは分からなかったんだけれど……。あんたは、敵に包囲されてたわよ。知恵が働いて厄介だと、元々目を付けられてたみたい。だから、悪いとは思ったけど、私は見捨てさせて貰ったわ。こっちだって孤立無援で、ろくに武器も残ってなかったからね。依頼主を逃がすだけで精一杯」
「いや、それは別にいいんだ……」
 それよりも問題なのは、全くそれらについての記憶が無いという事だ。話の状況からするに、包囲された俺はまず助からないだろう。元々目を付けられていたのであれば、殊更念入りに殺されたはずである。しかし、それがこうして生き残っている上に記憶が消えて人柄まで変わり、しかも殺されたはずのアーリャと組んで仕事をしている。思い返せば、今までニーナと別れるきっかけをほとんど意識した事がなかった。明らかに不自然な事である。俺の身には、何らかの要因で、そういった不自然さが幾つも積み上がっているのだ。
「話はこんな所よ。その後で、逃げ切れなかった人はみんな死んだって聞いたし、だからあんたも助からなかったって思ったわ」
「そうなのか……。実のところ、今の話については記憶が全く無い。これは、その時の事が原因で記憶が抜け落ちているのか」
「……もしくは、アーリャの仕業よ。根拠は無いけれど、何となくそんな気がするの」
「だが、そのアーリャは殺されたんだろう?」
「あいつなら、後から生き返ってもおかしくないんじゃない? 冗談にしか聞こえないけど、あいつは本当にやりかねないくらい、何だか得体が知れないもの」
 普通に考えてそこは、死んだのは良く似た別人とする所だろう。しかし、俺はともかく、アーリャのように常軌を逸した魔法使いに他人のそら似などあるだろうか。これだけはやはりアーリャは同一人物だったとしか言えない。なら、ニーナの言う通り生き返ったとでも言うのだろうか。それこそ有り得ないが、アーリャにはそれを信じさせるだけの、底知れなさがあるのもまた事実だ。
「この話はこれくらいにしましょ。あの時に何があったかは知らないけど、あんたはこうして生きてた上に多少は真人間になった、それでいいじゃない。それよりもまず、当面の事を考えないと」
「そうだな、そっちの方が先決だ」
 今一つしっくり来ないが、今の自分のルーツなど探っていられるほど悠長な状況ではない。ターゲットはこちらに向いていないとは言え、当面の危険は去ったとのんびりもしていられないのだ。それに、ドミニカの事もある。ニーナの雇い主にしてみれば、領主共々共倒れがベストなのだから、わざわざ見逃す理由など無いのだ。
「ひとまず、山に入って尾根伝いに東へ抜けよう。どこか船のある町を探す」
「どこかに高飛びするつもり? それはいいけど、当てはあるの?」
「それは……」
 とりあえずこの国を離れるのがベストだとは思ったが、確かに当てもなく船に乗るのは手詰まりになる恐れがある。かと言って、俺にこういった時の備えなどあるはずもなく、伝手も持ち合わせていない。
 すると、
「あの……よろしければ、私が何とかいたします」
 おもむろに起き上がったドミニカが、そう提案してくる。まだ調子は良くなさそうだったが、それでも話し方は思ったよりもしっかりとしていた。
「海外にも拠点と出来る所は幾つかありますし、こういった場合の備えもあります。それに、ただ船に乗るにしても伝手は必要でしょう。今の状況では尚更」
 確かに、港にも手が回っている可能性は捨て切れない。そうなれば、ここは彼女に甘えるのが得策と言えるだろう。
「分かりました。お願いします」
 当初の思惑からは随分と飛躍した状況になってしまった。俺は一体この先どこへ行き着くのか、今はすっかり目の前が真っ暗になっていて、まるで見通しが利かない。