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「おい、待て!」
 たまらず声を張り上げた俺は、すぐさまアーリャの元へ駆け寄る。
「あの人をどうするつもりだ? まさか、殺すとか言うんじゃないだろうな?」
「え? そうですけど」
 当たり前のように肯定するアーリャ。予想はしていたが、やはりそのあまりにあっさりした態度には、戸惑いや焦りに似たものを感じてしまう。
「何か不都合でもあるのでしょうか? 無ければ、問題無いですよね。身内を裏切るような大罪、これは人として除かねばなりませんから」
「今更殺して何になる。そんな事をしたって、他のみんなが疑心暗鬼になるだけだ。それよりも、こちらの行動が筒抜けになってしまっていた現状を、どうにかする方法を考えるのが先だ」
「私がどうにかしますよ。私にはそれが出来ますから」
 アーリャは決して驕っている訳ではない。実際、例え自分一人だけになったとしても勝算はあるのだろう。しかしアーリャのやり方は、無差別に殺し回る事に近い。異様に潔癖で、人を許したり容赦する考え方が無いのだ。
「レナートさん、何か問題があるのでしょうか? これは内部の粛清であり、健全な組織を維持するのに必要な事です。それとも、その裏切り者に酌量の余地があるのですか?」
 完全にアーリャの意図を認識しているドミニカの眼差しは、まるで別人のように冷たくなっている。裏切り者の存在を心底軽蔑しているのだろう。
「まず、こんなことをしてしまった理由を訊ねましょう。処分をするにしても、それからでも遅くは無い筈です。処分の内容にしても、理由に応じて軽重を選ぶべきです」
「後回しにする理由がありません。それよりも、裏切りはどうなるのかを明確に示す方が重要です」
「結論を急ぐ理由は無いはずです」
「先送りすればそれだけ、裏切りが容認されたと思われます。それでは組織は瓦解します。裏切り者は速やかに処分する事が、効率でも道義的にも正しい判断なのです」
「我々は義軍ではなかったのですか! それを、仲間を粛清するなど!」
「私はあなたの依頼主です。従って戴きます」
 ドミニカは男を完全に殺すつもりでいる。それも、皆の前で見せしめにするのが最も良いとすらしている。組織に不安の種を残すよりも、速やか処分する事は正しい。けれど、目的と手段を取り違えているとしか思えない中で、殺しに至る事は間違っている。
 ドミニカのあまりに毅然とした態度から、得体の知れない威圧感を覚える。しかし、そのどこか狂気じみた言動はかえって俺に覚悟を促させた。
「やめろ!」
 次の瞬間、俺は宙をなぞるアーリャの右手に取り付いていた。
「レナート? 止めて下さいよ。悪は制裁する、それが正しい事なんですから」
「前から思ってたが、お前の苛烈さは異常だ。何でもかんでも悪ければ十分だと、簡単に殺し過ぎる」
「悪は根絶するしかないんですよ。それが人間達のためでもあるんですから」
「ためになると、誰が決めたんだ? そんなおこがましい事を」
「智の神ですよ」
「何だと? お前、ふざけるのも―――」
 意外なほどすんなりと飛び出して来た、アーリャなりの明確な返事。しかし、到底真に受ける事も出来ないそれに、俺はすぐに反発する。だが次の瞬間、俺の視界は唐突に上下が反転した。
「え?」
 そんな声を上げたのも束の間、俺の体は背中から床へ強かに叩きつけられていた。唖然と見上げた先では、アーリャが申し訳なさそうにこちらを見下ろしている。何故、掴みかかった俺が投げられたのか。この構図を理解するのには酷く時間がかかった。
「私は魔法だけじゃなく、こんな事も出来るんですよ。これは、とある辺境国の武術です。掴まれながらも、相手を投げられるんですよ。驚きました?」
 そう得意げな顔で説明するアーリャを、俺は唖然として見ていた。掴みかかった相手を逆に投げつけるなど、そんな武術は今まで見たことも聞いたこともないからだ。むしろ、何かの魔法にやられたという方が納得が出来る。
「レナートには、ちゃんと納得して欲しかったんですけど、説得している時間もありませんからね。そういう事ですから、しばらくこうさせて貰います」
 そう言うなり、どこからともなく現れた縄が、まるで自分の意志を持っているかのように俺の体へ巻き付いて来る。瞬く間に俺は縛り上げられ、身動きが取れなくなってしまった。
「これでよし。では、処罰しましょう」
 アーリャは再び男の方へ向き直り、右手で描いていた紋様の続きを完成させる。宙に浮かんだ紋様は不気味な真紅の光を放ち、ゆっくりと点滅を始める。その光は、端から見ている俺ですら、背筋が凍りそうな不気味さを感じさせる。まるで喉元に鋭利な刃物を立てられた気分だ。
「待ってくれ! 俺の家は、そもそも領主の一族に近しいんだ! 命令に従わないと、一体何をされるか分からないんだ!」
「それは、それです。裏切りを許容する理由にはなりません。浅ましい言い訳はやめにしましょうよ」
「そんな! 誰だって俺と同じ状況になったら、同じ事をするだろ!」
「悪は悪、悪を許容する理由なんてありませんよ。第一、本当に申し訳ないと思うなら、どうして自分から名乗り出なかったのですか? このまま素知らぬ顔をして乗り切れれば、後はどうなろうと構わないと? その考え方がいけません。悪人の発想です」
 真紅の光は、バチバチと細かな破裂音を繰り返し始める。その光は徐々に大きくなり、やがてアーリャの半身を飲み込む程になった。
「私は、悪人を許しません。あなたのような悪人は、この世から消えて貰います」
 そして、アーリャは男に向かって一歩ずつ歩み寄って行った。