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 アーリャが殺された?
 俄にはニーナの言う事が理解出来ず、俺はしばし考え込んでしまった。殺されたも何も、現にアーリャは鬱陶しいほど元気に付きまとっている。それに、俺とアーリャが知り合ったのは極最近の事で、ニーナと組んでいた時期よりもずっと後だ。
 そもそも、どうしてニーナがアーリャの昔の事を知っているのか? まず最初の疑問はそこだ。
「ちょっと待て。話が凄く混乱しているんだが……。取りあえず、順を追って確認する。お前はアーリャと面識があるのか? 今回の仕事以前から」
「そうよ。今から二年も前」
「俺達がまだ組んでいた時か」
「たまたま同じ仕事で知り合いになって。アーリャには、ヘマして負った怪我を治して貰ったわ」
「怪我を治す魔法か?」
「そう言ってた。正直、死ぬかもって思った程の怪我だったのに。ちょっと手をかざしただけで、あっという間に。自分でも、何をされたのか分からないくらいだったわ。あれ、大金かかる大僧正の治療でもかなわないんじゃない?」
 俺が野盗に不意を突かれて死にかけた時も、何故か怪我など跡形も無い状態で、宿屋で目を覚ました。もしかしてあれは、同じような事を気を失っている間にされたからだろうか?
「今の口振りからすると、その時の事も憶えてないのね」
「俺もそこに居たのか?」
「居たわよ。第一、アンタが引き受けた仕事だったもの」
 憶えていない。少なからず困惑を隠せない言葉だ。自分に記憶喪失の質があるとは思えず、ましてや以前にアーリャと仕事を共にした事も無い。憶えていないのではなく、単にニーナに担がれているのではないかとも考えたが、とてもそんな冗談を言っているようには見えないし、そもそもそんな事をする理由も無い。
 何故、こうも食い違いがあるのか。俺とニーナの記憶の食い違いは、ただの勘違い程度では片付かない段階のようである。
「その時、俺は何の仕事をしていたんだ?」
「全く何も憶えていないの?」
「分からない。思い出そうとしても、何も出て来ないんだ。むしろ、ありもしない事を言われているような感覚すらある」
 思い出せない、というのは、何かがあったという自覚がある時のものだ。けれどニーナが言う事には、心当たりも何も無い。記憶の輪郭すらも存在しないのだ。
「だったら、もう少し細かな経緯を話した方が良いのかしらね。もしかすると、思い出せるのかも知れないから」
「ああ、そうだな。頼む」
 俺はベッドに、ニーナはその向かい合わせに椅子を引いて腰掛ける。お互い、どことなく慎重に警戒しているような雰囲気だった。記憶の摺り合わせのみならず、アーリャが本当にどこまで得体の知れない人物なのか、それを検証するという背景もあるからだろう。
「事の発端は二年前だけど、その当時の記憶はあるの?」
「俺達がまだ組んで仕事をしていた時だろう? それは憶えてる。よく仕事の内容や報酬の事で、対立していたっけ」
「そうね。最終的に折り合いが付かなくて、解散する事にはなったけど」
 懐かしい話だ。俺はあの当時から今のように、どうにも引き受ける者の現れなさそうな依頼を受けがちだった。
「ドミトリーって名前、憶えてる? その時の依頼主の名前なんだけど」
「いや……続けてくれ」
「とある富豪の所で、現当主が急死してね。遺言状も無い事から、次の当主は誰になるのかって事で御家騒動が起こったの。受けた時点で関係者が三人死んでたし、騒動というよりは抗争に近いわね。依頼主は、次期当主候補の一人。順当に行けば自分が新当主だけどその分狙われやすい、って事で、決まるまでの間の護衛を頼んだのよ」
「護衛か。今と似ているな」
「元々、アンタは乗り気ではなかったけどね」
 乗り気ではない。俺は、そこに引っ掛かった。乗らない理由が今一つ思い当たらないのだ。それもまた、名を売るには丁度良さそうな案件のように思うのだが。
「どうしてだ?」
「割に合わないからじゃないの? 危険性があまりに高い上に、司法の介入も事実上皆無。そりゃ依頼料は高かったけれど、命をかけるかと訊ねられたら疑問だし」
 それは、夕方にニーナの言っていた事と酷似している。今と比べ、随分現実的な考え方をしていたと思う。いや、単に今が感傷的過ぎるだけなのか。
「けれど、結局受けたのか」
「色々あってね。アーリャも、そうやって仕事を受けた連中の一人よ。なんでも、心の優しい人が争いに巻き込まれるのがどうとか。まあ、やっぱり浮いた存在だったわ。荒事のために雇われたはずが、暴力は一切無しって立場を取ってたからね」
「暴力は無し? 戦わないってことか?」
「そう。しかも、何度か襲撃犯をかばったり、傷を治すとかしたりして、かなりの問題になったわ。それでいて、世の中には本当に悪い人はいない、なんて説教を始めるものだから、余計反感を買ってたし」
「どうして、それでクビにならないんだ?」
「それでも仕事には一番真面目なのと、どうやら給料は貰ってなかったみたい。自分から辞退したそうよ。依頼主にしても、いつ自分が怪我をするか分からないし、怪我を治すのに丁度良かったからじゃないの?」
 そうやって、無償で人の厄介事に自ら首を突っ込む辺りは今と変わらない。しかし、世の中には本当に悪い人はいない、という主張には違和感がある。あのアーリャが、果たしてそんな事を言うだろうか。悪は消すべし、そうやって野盗共を虐殺した様を目撃した身としては、どうしても引っ掛かる所だ。
「それで、結局はどうなったんだ?」
「何度か小競り合いを繰り返した挙げ句、最後に大掛かりな抗争を一つして終わりよ。その時に何人も死んだし、私が大怪我をしてアーリャに助けられたのもその時よ。そして、アーリャが死んだのも」
「単に、本当は生きてただけじゃないのか?」
「まず有り得ないわね。思い出したくないけど、肩から腰まで切り下ろされた挙げ句、炎の魔法で真っ黒に焼かれてなお、人間が生き延びられると思う?」
「それは……万に一つも無さそうだな」
「それに、アンタにしたって……」
「俺がどうした?」
「本当に、何も憶えてないの? 思い出せる事もない?」
 暗闇の中、ニーナの真剣な眼差しが突き刺さる感覚だけが伝わって来る。その声は、どこか悲しげだった。
「何を訊かれてるのかも分からない。その時に、俺にも何かあったのか?」
「分からないならいいわ」
 そう突き放すように会話を打ち切ると、ニーナは憮然とした様子で椅子から立った。
「もう戻るわ。今夜の事は、誰にも話さないで」
「ああ、心得ているが……」
 それだけを確認し、ニーナはすたすたと出口へと向かう。そしてドアノブへ手をかけ、そこでもう一度こちらを振り向いた。
 月明かりも無いせいで、ニーナの姿は輪郭が朧気に分かるくらいにしか見えない。だから、今どんな顔でこちらを見ているのかも分からないのだが、どことなく発する雰囲気が、妙に悲壮感を感じさせる。
「……本当にレナートなの? 本当に、本物の」