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 その晩は村長の家で厄介になる事になり、俺は一旦護衛の緊張感から解放される事となった。ドミニカが用意した檄文は、村の人間が周囲の村々へ届けている最中である。近い内に、件の領主の屋敷へ向けて移動を始め、道中に各村々の者達と合流していく事になるだろう。
 食事も済ませ、その日は疲れた事もあって、早めに床へ着いた。しかし、長年待ち望んでいた大事件へようやく関われたという興奮から、疲労感とは裏腹に妙に目が冴えて仕方なかった。今朝は、ただ金が必要だったから実入りの良い仕事に付ければと思っていただけだったのだが、それがまさかこんな事になろうとは。何度も自分の境遇を、そう繰り返し念じた。
 どれだけそうしていだろうか、まどろむ事も無いまま時間ばかりが過ぎる事に飽いてきた俺は、ベッドを抜けて窓際へ近寄る。窓枠に腰掛け、ぼんやりと外の景色を窺ってみるが、月明かりも出ていないその晩は、全くと言って良いほど真っ暗で何も見えない。栄えている町ならば、夜でもぽつりぽつりと明かりが点っていて、朧気に照らされている風景を眺めるのが好きだった。
 何も見えない真っ暗なものを眺めていても、何も面白くはない。もう一度ベッドへ戻って寝直そうか。そんな事を思った時だった。
「ん?」
 ふと、廊下の方から床板をそっと踏む足音が聞こえてくる。なるべく足音を立てないように気遣っている風ではあったが、完全に消そうともしていない辺り、何かしら悪意がある者のようではない。息を殺して聞き耳を立てていると、その足音はこの部屋の前で止まった。こんな時間に訪ねて来るのは、一体誰だろうか。アーリャなら向かいの部屋だし、とにかく今日は食事中に意識が朦朧とするほど疲れていたから、朝まで絶対に起きるはずがない。となると、この家の者か、はたまた同行者の何れかか。
 あれこれ顔を思い浮かべている内に、遠慮がちにドアがノックされる。
「レナート? もう寝てる?」
 ドア越しに聞こえて来たのは、ニーナの声だった。
「ああ、起きてるよ。どうかしたか?」
「ちょっと話があるんだけど……」
 普段とは違って、妙にしおらしい口調である。ひとまず俺は、ニーナを中へと入れた。
「何かあったのか? 別に明日でも良かったんじゃ」
「ちょっと、誰にも聞かれたくない話だったから」
 そう、しおらしい口調で話すニーナ。このシチュエーション、艶っぽいものかと一瞬思ったが、そもそも俺達はそんな関係ではなかった。それに、暗くて表情はほとんど見えないが、ニーナの雰囲気もまたそういったものでは無いように感じる。
「えっと、何から話せば良いのか分からないんだけど……」
「良くは分からないが、まあゆっくりでも構わないさ。どうせ、明日はこのまま滞在するんだろうし」
 眠気もない俺も、特段話を急がせる理由もない。
「その、何て言うか……。あんた、本当にレナートだよね?」
「は? 本当にって?」
「変なこと言ってるのは分かるけど……昔とかなり変わったから」
 そんなに変わっただろうか?
 わざわざ深刻そうに訊ねられるほど、自分自身に変化があった自覚は無い。俺はニーナがそんな事を訊ねる背景が分からなかった。
「そんなに変わったか?」
「変わったわ、別人かと思えるくらい。それに、まさかあのアーリャと一緒に居るなんて……」
「一緒にって、アイツが強引に付いてきただけなんだがな」
「それだって変だわ。だってアンタ達、いつも対立してたじゃない」
「対立? 俺とアーリャが?」
 確かにアーリャと意見が対立する事はしょっちゅうだが。
 いや、そもそもニーナの言い方、まるでずっと前から俺達が同道しているのを知っているかのようだ。ニーナとは今回に偶然再会しただけで、俺とアーリャが組んでいる事は知らなかった筈なのだが。
「変わったって言うけどさ。そんなに変わったか? 前とどう違う?」
「妙に優しくなったと言うか、人間味が出て来たというか。今日だって敵から逃げる時、誰か捨て石にでもするんじゃないかって思ってたし。それが一番合理的だからって」
「馬車に取り付いた連中の腕を、容赦なく刺した人の意見とは思えないな」
「だってそれは―――! アンタが、そういう時はそうしろって言ったから……」
「俺が?」
 ニーナにそんな事を言った記憶はない。
 話の内容に、少しずつ困惑を覚え始める。俺とニーナとで、随分認識の違いがある。皮肉で言っているのかと思えば、少しばかり語気を荒げる所を見ると、そうでもないようである。
 この違和感、一体何が理由なのだろうか?
「その……私は別に、今は今のままでいいの。まともになったと言えば、まともになった訳だから。それよりも本題。本当に気になるのはアイツ……アーリャの方よ」
「まあ、ちょっと変だけど、悪い奴じゃないさ」
 アーリャを知らない人間からすると、あいつの奇行はかなり目立つ。その上、今日もそうだったが、訳の分からない不思議な魔法を使い出す。それらに不安を覚えるのは当然だが、本人はいたって悪意のある輩とはかけ離れた存在だ。
 しかし、
「いえ、気をつけた方がいいわ。本当に得体の知れない奴だから。そもそも、人間じゃないのかも」
「どういう意味だ? っていうかお前、アイツのこと知ってたのか?」
 ニーナは言い難そうに口ごもる。この期に及んで、何故そんなに躊躇うのか。
 しばらく逡巡した後、らしくない遠慮がちな口調でゆっくりと口を開いた。
「……前に少しだけ、仕事で一緒になった事があるの。ただ、その時にアイツ、一回殺されたのよ」
「殺された……?」
「そうよ。本当に憶えてないの? アンタも一緒に居たのに」