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 今後の対応の判断を仰ぐべく、依頼主の馬車へと戻って来る。しかし、そこに待ち受けていた光景に俺は唖然とし、思わずアーリャ共々物陰へと隠れてしまった。
 茂みの中から様子を窺うと、やはり状況は切迫していた。ここで待たせていた馬車が、大勢の人間に囲まれていたのである。彼らは松明を掲げ、馬車の周囲を煌々と照らしている。見た目からして、恐らくあの村の村人の男衆のようである。馬車を囲むとは穏やかではないが、今の所はただ囲んでいるだけで、直接的な危害を加えようとしたり、声を張り上げたりしている訳ではない。だが、そうなるのも時間の問題のはずだ。
 御者は引き摺り下ろされでもしたのか、ここからでは姿は見えない。車中の依頼主とニーナの様子も、同様にはっきりと分かるものはない。まさか依頼主を見捨てて行ったとは思いたくないが、状況が状況だけに、何が起こってもおかしくはないのだ。
「まずいな……。だが、見捨てる訳にもいかないだろう。アーリャ、連中を脅かしてやれるか?」
「出来ますけど……。そういう事は、好きではないんですよね。彼らは別に罪を犯している訳でもありませんから」
「これから犯すんだよ。それを待ってたら手遅れだ」
「第一、あの人達は別に何もしませんよ。ほら、ちゃんと聞いてみて下さい。依頼主の方と、何か話し合ってるようですよ」
「ここからで聞こえる訳がないだろう。ふざけるのもいい加減にしろよ」
「ほら、これでどうです?」
 そう言って、アーリャは手のひらを俺の方へかざして見せる。すると、そこにぼんやりと柔らかい光が灯ったかと思ったら、途端に声が聞こえ始めた。それも何人かが話しているらしく、複数の声である。
「何だこれ? どういう事だ?」
「出掛けに、馬車へ印を付けておいたんですよ。そこから音を拾っているんです。ですので、あの周囲の音は大体聞こえますよ」
 どう考えても、悪事にしか転用出来ないような魔法だ。そんな感想を持ちつつ、俺は聞こえてくる声に耳を澄ます。
『……ので、御心配なく。何としても皆さんの……』
『この辺りは、領主様の兵が……長居するのは危ないです』
『村の者しか知らない抜け道が……馬車は置いて……』
 依頼主の声と、複数の村人のものらしい声が入り乱れている。だが、村人の声は確かに依頼主へ敵意を向けているようなものではなく、むしろ彼女の置かれた状況を心配しているように感じる。それに、話の端々からは領主の名が出て来ており、そこはかとなく彼女と領主が対立関係にあるような印象を受けた。
「確かに、問題は無さそうだな」
「でしょう? ほら、早く合流しましょうよ」
 そう言ってアーリャは、突然と茂みから飛び出して、村人の集まる方へ駆けていった。
「バカ、やめろ!」
 俺は慌ててその後を追ったが、それは既に遅かった。のん気な声を上げたアーリャの方を、村人が一斉に振り返る。そして、たちまち目の色を変えて殺気立った。
「追っ手だ! 追っ手が来たぞ!」
「みんな、早くお守りするんだ!」
 村人達は、手にした農具をアーリャに向けて構え声を上げる。それでようやくアーリャは足を止め、敵意は無いとばかりに両手を上げる。
 今の会話を聞いていれば、そんな所に突然と現れたら、間違い無く敵と見なされるだろうに。何のために盗み聞きしていたのか、これでは分からなくなる。
 俺もアーリャの隣へ駆け寄ると、殺気立った村人達へ声をかけた。
「待って下さい! 我々は、彼女に雇われた護衛です!」
「何だと!? 出任せじゃねえだろうな!」
「確認してみれば、分かる事です!」
 そうは言いつつも、村人達は俺達へ向けた警戒心はまるで弛めていない。この団結心はただごとではない、そう俺は思った。何か相当込み入った事情があり、依頼主はそれに関わっているのだろう。
「皆さん、落ち着いて下さい。彼らは本当に私の護衛を受けて下さった方々です」
 村人達の中から、辛うじて依頼主のものと分かる声が聞こえてきた。村人達はすぐさま口々に事実かどうか確認しあい、少しずつこちらへの警戒を解いていく。依頼主はただ関わっているのではなく、彼らからの信頼が厚いように思った。村人達の態度は、単なる金持ちに対するそれとは明らかに異なっている。
「随分とカリカリしてますね。何か事情があるのでしょう。私達が力になってあげませんと」
 またアーリャは、状況も分からずにそんな事を言い始める。けれど、恐らく依頼主もそういった立場にあって、それで村人達の信頼を得ているのだろう。山道を無数の落石で襲い、憲兵達に迅速に検問所を設置させることの出来る相手、そのための護衛なのだろうが、話がきな臭くなって来た分、真相へと近付いていっているようでもあった。
「ま、こういう事らしいわ。だからここは安全って事ね」
 いつの間にか傍らに現れていたニーナが、皮肉っぽい口調で話す。
「何やらでかいヤマに首を突っ込んだみたいだな」
「どうする? ここら辺が止め時だと思うけど」
「いや、俺はこういうのを待っていたんだ。一躍有名になれるような、大事件に関われる機会に」
「アンタ、随分と変わったのね」
 それは皮肉だろうか。
 そう思いながら、何気なく見たニーナの表情。それは皮肉でも冗談でもなく、真剣そのものの表情だった。