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 見るからに弛んでいた検問所の雰囲気は、こちらに気付くや否や瞬く間に厳粛なものに変わる。
 税金で給与を賄われているのだから、こんな些細な仕事でも真面目に取り組むべきだ。少なくとも、そういう姿勢くらいは見せるべき。普段の俺ならそれくらいにしか思わなかっただろうが、あまりに緊張した彼らの様子に、かえって違和感を感じた。こんな山奥で警戒色を剥き出しにした検問を敷くのは、足留めする相手が明確になっている時だ。脱走中の凶悪犯、手配中の重犯罪者、種類はそう多くない。
「ど、どういたしましょうか? 引き返しますか?」
 不安げに訊ねる御者。車内の依頼主も、この状況を理解しているため即断が出来ない。俺もまた、どうすれば一番良いのか、手段を考えあぐねていた。
「いや、急な反応はしない方がいい。一気に追い掛けられる。ひとまず、速度は落としたままだ」
「は、はい」
 簡単に歩いて追い付ける速さまで速度を落とす馬車。けれど、前進を続けている以上は、検問所へ辿り着いてしまうのも時間の問題だ。
「どうする? 無理に突破してしまおうか? 先制攻撃なら、不意を打てるわよ」
 窓から顔を覗かせるニーナが、そんな提案をする。
「あそこだけ切り抜けても、その後が続かない。すぐに手配されて、街にも入れなくなる」
 かと言って、すんなりと検問を通る事は出来るはずもない。ここまでやっているのなら、みすみす俺達を見逃す事などまず有り得ない。若い女なら片っ端から足留めしてきてもおかしくはないのだ。
 やはり、その場しのぎでもいいから、無理やり突破するしかないか。後のことは後に考えるとして。
「ニーナ、手持ちの武器は?」
「いつもの通りよ。やるの?」
「いや……」
 ならば、馬車を突っ込ませた後に、俺が連中を引き付ける方法ならどうだろうか? いや、頭数に差があり過ぎる。あっという間に馬車に取り付かれて終わりだろう。相手に気付かれ、警戒された上での強襲など、正規兵に通用するはずがない。せめて、同道していた連中が残っていれば、まだ可能性はあったのだが。
「あの……方法はお任せします」
 依頼主は、不安げな表情だが腹を括ったらしい。けれど、依頼主を一か八かの博打に巻き込む訳にはいかない。取り乱さないのは結構だが、肝心の方法は何も無いのだ。
 あまり悠長にはしていられない。しばし考え込んだ末に、俺は一つの結論を出した。
「馬を返せ。突破はしない。街道を戻ろう」
「戻ろうって、逃げるってこと?」
「そうだ。突っ込んだとして、万が一も可能性は無い。退いた所ですぐに追われるだろうが、追っ手を撒く方がまだ可能性はある」
「ま、この頭数じゃ妥当なところね」
 消去法の結論だが、一人でも賛同者がいると心強かった。今この状況は、戦術でどうにかなるものではないのだ。
 けれど、もし今ここにアーリャが残っていたのなら。あいつの常識を外れた魔法があれば、この人数差もものともせずに強行突破も出来たに違いないのだが。肝心な時に居合わせない、間の悪さと身勝手に、今になって無性に腹が立った。
 逃げる算段が整った所で、遂に馬車を徐行から停止させた。検問所の様子を窺うと、まだ動きこそ無かったが、明らかに意識しているのが分かった。ここから次のアクションを起こせば、それが切っ掛けとなって、検問所から蜘蛛の子を散らすように憲兵達がやってくるだろう。特に騎兵は真っ先に駆け付けるはずだ。機動力は馬車と比べ物にならない以上、俺はそれらを確実に相手にしなければならない。それだけでも十分危険な賭けだ。
「じゃあ、準備はいい? 一、二ので振り返って、一気に走るわよ。指示は中から出すから、それ以外はとにかく走り続けること。いい?」
「は、はい。分かりました」
 明らかに気後れしている御者。見るからに善良そうで平凡な男は、まさか自分が憲兵達に追い掛けられる日を迎えるなど、想像もしていなかっただろう。普通はそうなのだ。強権に保護された憲兵は、やり合ってはいけない相手の一つなのだから。
「合図を頼む」
「始めるわよ。せーの、いち、にの―――」
 四者が一様に緊張の面持ちで待機する中、淡々と数えられるニーナの開始の合図が終わる、まさにその直前だった。
「やあ、ようやく追い付きましたよ。いや、馬に乗るのも案外疲れるものですね」
 緊張した場の空気を、そののんびりした口調が一瞬で瓦解させる。
 突然の事にぎょっとし、皆一斉に声のした方を振り向く。そこには、本当に直前までは姿形も無かったはずのアーリャがいた。しかも今回は、出発時は持っていなかった馬にまで乗っている。
「それにしても、どうしたんです? こんな道端で立ち話ですか?」
 驚く俺達の様子を見ながら、アーリャはいつものようにきょとんとしている。またどこからか降って湧いたように現れたせいで、今俺達が置かれている状況が分かっていないのだろう。
「今まで何やってたんだ!? お前、何のために来ているのか分かってないだろう! 大体、その馬はどうした!」
「ああ、さっきの場所の頂上で。不心得者から頂きました。ああいった手合には、家畜も必要ありませんので」
 まるで近所で買い物をして来たかのように、軽く答えるアーリャ。おそらくその不心得者とは、山道で岩を落としてきた連中の事だろう。
「その連中を押さえたのか?」
「とりあえず、眠らせましたよ。後で憲兵にでも突き出しましょう」
 今回はまだ殺してはいないようだ。何にせよ、相手がアーリャの手に負える程度ならば。この状況は何とか出来るはずだ。