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結局、この倉庫には大半の人間が残った。憲兵に命を狙われているという依頼主の護衛、リスクは俄かに想像が付かないほどではあるが、高額な報酬は非常に魅力的である。欲の皮の突っ張った人間の多いものだと皮肉る反面、自らもその一人であることに一種の自虐さを覚える。
「では、参りましょう。日が暮れる前には到着したいですので」
依頼主である彼女が、細々とした声で皆に訴える。そんな小声でも、高額報酬の依頼主ならば聞き逃さないのか、すぐさま一同は出発の体勢を取った。
「馬車の中は空いてる? 護衛なら、一人くらい同乗した方がいいわ」
すると、ニーナがそんな提案をしながらも、依頼主の返答を待たずに馬車の中へ乗り込んでしまった。図々しい態度とは思ったが、言っている事に間違いは無いのと、他に女性もいない事から、誰も反論は出来なかった。
出発の準備が整い、馬車が動き出す。丁度、普通に歩くのにはやや速い程度の速さである。俺はこれぐらいの事に慣れてはいるが、アーリャの方はどうなるか、いきなり不安になった。
一同は進む馬車の前後左右にそれぞれ、自然と緩やかな集まりを作って陣取る。どこから急襲を受けても対応出来る陣形ではあるが、それぞれの連繋がきちんと取れていなければ、かえって混乱を生じる危険性もある。お互いどれほどその辺りの認識はあるのか、人数が揃っていれば安全だろうという油断は一片たりとも出来ない。ひとまず俺は、集団の最後尾をキープする事にする。ここなら状況が把握し易いのと、すぐに息の上がるアーリャをフォローし易いからだ。
「レナート、ところであの馬車はどちらに向かっているのですか?」
珍しく順調に歩き続けているアーリャが、歩きながらそんな事を訊ねてくる。
「東北東を目指しているようだな。詳しくは俺も知らない」
「確認はしないのですか?」
「余計な詮索はしないものだ。こういう訳ありの仕事は、簡単に明かせないのが普通だからな。もしかすると、この中に憲兵側の人間がいるかも知れない」
「そういうものですか。人助けとは、難しいものですね」
小首を傾げるアーリャに、思わず苦笑する。本人はあくまで善意のつもりで同行しているようだ。そんな目的で来ているのは、まず間違い無くアーリャだけだろう。
「まあ、夕方には着くような事を言っているんだ。大した距離では無いだろうさ」
「御心配なく。今回は準備を怠っていませんから」
「準備? 何だ、それは」
「まあ、後のお楽しみですよ」
そう言って意味深に微笑むアーリャ。こちらは冗談で訊いているのではなく、いよいよの時はアーリャを道端に置いていかなければならなくなるかも知れないから、あらかじめ確認をしていたのだが。
本人がそこまで大丈夫だと言うならば、これ以上野暮ったい追求はしないが。随行出来なくなっても、俺は責任は持てないし、持つつもりも無い。
やがて馬車は渓谷へさしかかる。この地域はこういった切り立った崖が延びたような道が多く、一見すると非常に険しい道のりに見える。しかし、危険ではあるものの実際に渓谷の部分は少なく、少し進んで坂を下ればあっと言う間に人里へ出られるのだ。港町からも距離が近く、海と山が隣接した珍しい地域と言える。そんな地域性もあってか、誰も渓谷へ入る事に何の異議も唱えなかった。俺は逃げ場が少ない道を通る事には気乗りしないが、実際のところ憲兵側が本当にどれだけ本気かも分からない現状、あまり騒ぎ立てる事はしたくなかった。それに、山道など一時間もしない内に通り過ぎる。こちらの行動を初めから把握した上で待ち伏せでもしない限り、襲撃など無理だろう。
黙々と馬車の後部を眺めながら、未だ不明な目的地へ向かって進む。この先はどんどん山間部の町や村に向かう事になるのだが、金持ち御用達の別荘でもあるのだろうか、そんな事を考える。事情の知らない依頼主など、そう珍しくはない。しかし、今回ばかりはどうにも落ち着かなかった。高額過ぎる報酬、旧知との再会、素性の知れない相方、いずれも理由に当てはまる気はするが、それだけではないように思う。
いつから俺は、自分の直感を鵜呑みにするようになったのか。
程なく、理性が冷や水を浴びせ、ふと俺は我に返る。そう、護衛任務で最もしてはいけないのは余計な事を考える事だ。初動が一番重要、改めて自分にその基礎を言い聞かせる。
「ん……アーリャ?」
気を取り直した直後、俺はすぐ近くを歩いていたはずのアーリャがいつの間にか居なくなっている事に気が付いた。慌てて周囲を確認してみるが、その姿は何処にも見当たらない。
「なあ、俺の相方を知らないか?」
俺は周囲にそう訊ねてみる。
「さあ知らねえな」
「そんなヤツいたか? 俺は何も見てねえぞ」
「嫌になって、逃げちまったんだろ。こんなうまい儲け話、ふいにするってのはもったいねえな」
アーリャの行方を知る者は、誰一人としていなかった。これだけ大勢の人間がいるというのに、どうして誰も見ていないのか。もしも体力が尽きただけなら、誰かしらの目に止まるはずだ。そうではないという事は、アーリャが意図的に姿を消したのかも知れない。
何の為に、そんな事を?
新たな疑問が浮かぶが、考えるだけ無駄だった。アーリャのやることなすことは、一般的な常識に、良くも悪くも囚われていないのだから。