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翌朝、俺とアーリャはマカールに挨拶を済ませるなり、早々に集落を後にした。昨夜はアーリャがマカールに件の方法を伝授していたようだが、俺はその子細については訊ねなかった。霊を消滅などという荒唐無稽な話はさておき、例えインチキでもマカールの気が休まれば十分だからだ。
再び街道へ戻ると、そこは既に行き交う人々の姿が幾つもあった。今日は朝から天気が良く気温も涼しいので、距離を稼ぐにはもってこいだからだろう。俺は特に先を急ぐ理由は無いのだが、周りに釣られて自然と足が早まりそうになった。しかし、同道するアーリャはそうはいかない。やはりある程度歩いた所で急に音を上げ、途中休憩を余儀無くされた。
「なあ、一つ思ったんだけどさ」
その休憩の最中、退屈しのぎにアーリャに訊ねた。
「昨晩、俺が見たグレープは、本当に本人だったのか?」
「そうですよ。間違いありません。あれは紛れもなく、グレープさん本人です」
「彼がマカールを恨んでて、それでああやって呪い祟っているんだろ? 具体的な方法は、何処かの悪意のある奴に聞き出したなんかして」
「お金なのか、単純に好奇心か。とにかく、自分の命を使ってまでも呪うような、下法中の下法です。それを伝達する悪人が、世の中にはいるのですよ。許せないことに」
やはり、あれは本物のグレープだったのだ。あまりに強く呪ったが故の末路、そんな所だろう。しかし、魔物でも精霊でもない、幽霊だとは。一晩経って冷静なってみると、やはりどうしてもあの存在は信じられない。
「ただ、グレープさんはマカールさんを恨んでいる訳ではなかったようですよ」
「恨んでない? しかし、恨んでいたからこそ取り憑いていたんだろう?」
「いいえ。グレープさんは、単に自分の酒家に無関係な人間を入れたくなかっただけです。マカールさんの体を使ったのは、証文を勝手に売られた事への意趣返しですよ」
けれどあの表情は、ただの意趣返しで済ませるつもりのものだろうか? 俺には、途方もなく深い憎悪のそれしか見えない。
それにしても、グレープの目的が自分の酒家に人を近付けさせない事だなんて。そもそも酒家は、人が集まってこそ経営が成り立つというのに。誰にも取られないようにするための苦肉の策なのだろうが、本末転倒である皮肉な結果だ。もし、彼が本当にマカールを恨んでいないとしたら、一体どうすれば満足し、この世から本当の意味で去る事が出来るのだろうか。それを考えると、グレープを一方的に消滅させる選択は、あながち間違いではないようにも思えた。
「お前は、あの出来事をどうやって確かめていたんだ? あの時、突然と消えていただろ。あんな時に、一体どこに行ってたんだ?」
「ちょっと離れた所に。私がいると、霊は近付けないんですよ」
「霊が近付けない?」
「ええ。私の周囲には、無意識の内に張られる見えない幕のような物があって、悪意ある霊や呪いの類は、近付いただけで消滅するんですよ」
高位の神官などが使う法力の類だろうか。けれど、いささか荒唐無稽過ぎて、俄には信じ難い。もっとも、アーリャならばそんな事も出来るのだろうという、ある種の親しみぐらいは持てるのだが。
「本当に、あれやこれやと何でも知ってるんだな。一体どこで憶えたのだか」
「時期を見て、追々話しますよ」
「その胡散臭さも、どうにかならないものかな……」
アーリャがありとあらゆる知識を身に付けているのは、紛れもない事実である。そしてその中には、世間一般で知られる常識や規格から大きく逸脱したものまである。どういった経緯でそれを身に付けたのか、そもそもどういった出自で、何故それを隠すのか。本当に分からない事だらけだ。
「あ、やはりそうでしたか」
ふと、アーリャは明後日の方を見ながら、そんな事を呟いた。
「何がだ?」
「マカールさんです。やはり、グレープさんを消滅させてしまいました」
淡々と答えるアーリャだが、俺は思わず声を出してしまうほど驚いた。アーリャがマカールに教えたのは、本当につい昨夜のはず。にもかかわらず、間髪を容れずあっさりと決行してしまうなんて。グレープに対する謝意など、マカールは繰り返し口にしていたが、やはり本音はこちらだったのだろうか。
あまりにショックが大きかったのだろう、俺は気持ちを落ち着ける代わりにアーリャを更に問い質した。
「お前、本当に一体何者なんだ? 今のだって、どうして分かるんだ? そもそも、お前が旅を始めた目的は何だ? 何故、俺に強引に同道してきた?」
「追々って言ったのに。珍しく質問が多いですね」
そう答えながら、こちらを振り返るアーリャ。その顔には、まるで張り付いているかのように、いつもの笑みが浮かんでいる。
「私の目的は、世の中を少しでも良くすることです。かつて人々がみんな信仰心が厚く、万物への親愛に溢れていた、そんな良き時代へ回帰させること。神代の世を、今の時代に取り戻したいのです」
この時ばかりは、何故かアーリャがまるで別人のように感じた。だから、今の世の悪は根絶しなければならない。悪しき芽を摘み、良き穂だけを実らせれば、それはもう神代なのだ。そんな言葉を続けていたが、もはやほとんど頭には入って来なかった。
とんだ誇大妄想狂だ。アーリャの言っている事について、少し前の俺ならそう呆れただろう。けれど、少なくともアーリャは何かしら世界相手にアプローチが出来る、そう思わざるを得ないものがある。そう、漠然と思っていたアーリャの得体の知れなさ、その根底にあるのは、この男は本当に世界を相手にするという実感だ。
「良くは分からないが……何のために、そんな事をするんだ? 教典にあるように、世界の救済するのか?」
「神の使者にも色々あるんですよ」
そこで急に、アーリャは話をかわしてしまった。いや、かわし切れてはいない。軽口を叩いているようで、否定する点と肯定する点は終始一貫している。
本気か比喩かは分からないが、少なくともアーリャは自分の行動に目的意識がある。そして、そこには何故か俺が組み込まれている。何が目的なのかは分からない。だが、こうしてこの先も同道する以上、俺はアーリャという人物を注視していなければならないだろう。