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 薄暗い早朝の山道を、野盗のアジトへ向かってひた駆ける。アーリャがいつ出発したのかは分からないが、少なくとも満足にこの山道を歩くだけの体力は無い。もしかすると、急げばまだ間に合うのかも知れないのだ。
 視界があまり良くなくとも、大体の方角や自分の位置は分かる。だからこそ、どんどんアジトへ近付いているというのに、一向にアーティストの姿が見付からない事に焦りと不安を感じ始めた。そこまで無謀であるとは思えない、思いたくはないが、断言出来るほど俺は割り切って考えられない。少しずつでも不安があるなら、せめてそれが杞憂だったと確かめずにはいられないのだ。
 どれだけ急いでも、アーリャには一向に辿り着く気配がない。そればかりか、とうとう野盗のアジトの屋根までが見え始め、正面の玄関口付近まで辿り着いてしまった。
 まさか、とっくに通り過ぎてしまったのだろうか? それとも、単に俺が考え過ぎで、実際のアーリャは一人で早々に街へ引き返しただけなのか。それならば構わないが、既に捕まってアジトの中に居るのだとしたら。本来の予定だった所に、アーリャというオマケが付く、それはそれで良くない事態だ。
 このまま突っ立っていても仕方がないが、まさかアジトに正面から突入する訳にもいかない。どうしようかと考えあぐねていたその時だった。突然、アジトの前で動く人影を目にし、咄嗟に出来るだけ音を立てないよう近くの藪へ飛び込んだ。
 こんな朝早くから、起きて動いている野盗もいるのか。
 そう思いながら、藪に潜んだままその人影の様子に注視する。
 大方用足しに出たか、飲み過ぎで出て来たか、そのどちらかと俺はたかくくって見ていた。しかしその人影は、何やら太い棒のようなものを手にすると、それを使って地面に何やら描き始めた。しかも、単なる落書きやサインにしては、右に左にと大きく行き来しており、その上棒の動きを見る限りかなり複雑なものを描いている。まるで、手紙か絵を地面にしたためているようだ。
 酔っ払いにしては、随分機敏な動作だ。それに、何のためにこんな事をしているのか。
 どうしても気になった俺は、人影の主をよくよく見て確かめようと少しずつ距離を詰める。だが、いまいち明かりが足りず、姿が見えない。もう少し近付けば何とかなるか、そんな事を思っていた時だった。不意に雲の間から光が差し、その者の顔を照らした。
「あっ!」
 そして、次の瞬間に俺は思わず声を上げていた。それは、紛れもなくアーリャの顔だったからだ。
「おいっ……!」
 すぐさま藪から飛び出した俺は、問答無用でアーリャを掴み、そのまま出て来た藪へ共に飛び込む。
「お前、何やってんだ、こんな所で!」
 腹の底から声を上げて怒鳴りつけてやりたかったが、連中に知られるとマズい。だから押し殺した声に精一杯の怒気を込めて言い放った。
「これから、子供達を救出します。いや、それにしても助かりました。あなたがいれば、もう成功は約束されたようなものです」
「お前、昨日の俺の話を聞いていたのか!? この人数で奴らと対等に渡り合えるはずはないと、散々言ったよな!?」
「ええ、ですがそれは誤解です。渡り合えるんですよ、私とあなたなら」
 平然と夢物語のような事を口にするアーリャを前に、俺は心底この場で殴り倒したい衝動に駆られた。わざわざ助けなければならない、義理のある者ではない。それでも危険を承知で来たのは、死ぬと分かってて放っておくのは後味が悪いからだ。しかし、当の本人はこの調子である。一方的なお節介だったにせよ、怒りはこみ上げてくる。
 駄目だ、話にならない。
 話をしても無駄だと判断した俺は、こうなれば引き摺ってでも連れ帰るしかないと決意する。後は病院になりに放り込むだけだ。俺はアーリャの襟首を掴むと、文字通り引き摺るようにしてアジトから離れようとする。
「待って下さい。後少しで完成なんですから」
「何の話だ」
「ですから、子供達を救い出す準備です」
「ああ、そうか。それは後で俺が一人でやる。お前は街でじっとしてろ。もしくは、さっさと実家へ帰れ」
「そうは行きません。私には、大事な目的があるのですから」
「大事な目的?」
 どうせ、紙一重の戯言だ。問い返しはしたものの、アーリャとの会話を継続させるつもりは毛頭無い。そう思っていた時だった。引き摺られているアーリャが、おもむろに襟首を掴む俺の手に両手を添えた。俺の手を強引に引き剥がそうというのだろう、そう思い、俺は全く意にも介さなかった。
 しかし、次の瞬間だった。
「うわっ!?」
 突然、体が前のめりになったかと思うと、そのまま俺の視界は一回転し、地面に背中を強かに叩き付けた。続いて俺の目に映ったのは、少しずつ白み始めた空と、俺の手を逆手に捻った格好で持っているアーリャだ。
「あ、受け身を取らないと危ないですよ? 頭は打ってないようですけど、腰は大丈夫ですか?」
 あの呑気な口調で、そうアーリャが問う。訳も分からず、俺はただ無言でこくりと頷き返す。
「では、始めましょうか」
 そう言ってアーリャは、すたすたとアジトの方へと向かっていってしまった。
 一体今のは何だったのか。起き上がりながら、自分に起こった出来事が信じられず、唖然としていた。アーリャは、ただ俺の手を持っていただけのはずなのに。それが突然、俺が宙を舞う結果になってしまったのだ。
 何か、魔法の一種だろうか? もしくは、何かの特殊な技術か。しかしどちらにしろ、そんな高等な技術を習得しているようにアーリャは見えない。
「よし、出来た」
 そう言って、続きを描いた棒を放り投げ、アーリャは胸の前で手を合わせる。
「おい、一体何をする気だ?」
「これから、野盗達を誘い出すんですよ」