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翌日からコウタは、この場所に現れなくなった。おそらく件の通り、父親との温泉へ出掛けているからだろう。コウタと、病床の父親と、そして多分折り合いの悪い母親と。三人がどんな顔でどんな会話をするのか分からないけれど、私はうまくいけばいいと漠然とした祈りを込めた。
あの日からずっと耐え続けている涙は、これまでにも増して私に窒息感を与えて来るようになった。いよいよコウタの父親は峠を迎えているのだろう。コウタの考えている事は察することが出来ない癖にに、こういう事には敏感な自分を初めて憎らしいと思った。だけど、あまり悠長にもしては居られない。もし再び私が泣き始めたら、コウタの父親は死んでしまうのだ。私が泣くのを我慢出来た長さだけ、コウタは父親と一緒に居られる。私は少しでも長くその時間を作ってあげたい。
今頃コウタは何を考えているのか、決意通り泣かずにいられているのだろうか、私は日長そんなことばかりを考えていた。コウタには、漠然とはしているけれど、状況が良い方へ向かって欲しいという思いがある。多分、コウタにはいつも笑っていて貰いたいと思うのだ。その方がコウタにも良さそうだし、私も良い気持ちになれる。そのために、私が出来る唯一の事が、全力で自分の役目を放棄する事だ。私が泣かなければ、その分コウタの父親は長く生きられるはずだし、コウタも悲しい思いをしなくて済むのだ。
泣こうとする自分を抑え込むのは、とても苦しい事である。苦痛に耐える事は、私には目的があるから、さほど辛いとは思わない。だけど、一人で居る孤独感までは同じようにいかない。コウタと話す時間が長過ぎたのかも知れない。いつの間にか私は、孤独感というものを感じるようになってしまった。コウタと居るのが心地良くて、楽しいという事が何かを覚えたからだろう。そのせいか、今まで当たり前のように思っていた涙を流す自分の役割が、とても辛くて悪い事のようにすら思えてくる。だけど、自分の役割をどれだけ否定しても、涙を我慢する事が辛いのに変わりはないのだけれど。
どうか、コウタの願いが叶いますように。母親との仲が良くなりますように。
苦痛に耐え切れなくなりそうになると、その祈りを口に出して、何とか耐え忍んだ。自分の言葉でも、ただ思うだけと口に出すのとでは重みが天地も違った。コウタが私に、今まで嘘をついていたと敢えて打ち明けた心境も、今なら分かるような気がする。私は人ではないけれど、祈りは届くのだろうか。そんな不安もあったけれど、私にとってこれだけが唯一の支えだった。
またコウタは此処へ来てくれるだろうか。
もう用事は無いから来ないのではないだろうか。
そんな怖い想像と、自分を奮い立たす祈りの言葉を繰り返しながら、どれだけ耐え続けただろうか。
迎えたある朝、ふと私を苛むこの苦痛が嘘のように消えてしまった。それは何故なのか、何を意味するのか、私はすぐに悟り、そして落胆する。
私の役割は、生き死にをどうにかするほどのものではなかったのだろう。ただ、今際の際を告げるだけのものでしかなかったのだ。朝を迎えると鶏が鳴くのと同じだ。本能的なそれを堪えた所で、人の生き死には左右されない。
私の頑張りは結局意味のないものだったのか、そう呟き、力無く溜め息をついた。
苦痛からの解放感と、それが意味するところのやるせなさと、無力感。ひとしきり気持ちの整理に混乱した私は、そのまま意識を失ってしまった。自分の役目を勘違いして、強く決心を固め果敢に挑んだ滑稽さが、酷く心に堪えた。
コウタはきっと悲しんでいる。でもその気持ちは父親との約束で表には出せないから、とても苦しいだろう。コウタはそれを、私のせいだとは言わないだろう。だけどもう、私は消え去ってしまいたい。何もかもに、疲れてしまったのだ。