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 私が普段見るコウタの姿は、川の縁にうなだれながら座って時折すすり泣きしているようなものばかりだった。だから自然と、コウタは暗くて湿っぽい人間なのだという印象を持つようになっていた。
 実際に顔を合わせて話すコウタは、そんな印象とはかけ離れた明るく朗らかな性格で、話すことが得意ではない私が押されてしまう程だった。多分、これが本来の姿で、此処で泣いているのは何か事情があるのだろう。
「ねえ、ちょっと見ててよ」
 先程から足元の砂利を物色していたコウタは、徐に一つを拾い上げ、腕を横にする何やら変わった構えを取った。こちらに合図をした後、コウタは石を持っていた腕を水平に振り抜き、持っていた石を川へ目掛けて投げつける。
「おっ、どうだ?」
 石は水面を滑るように何度か跳ねて向こう岸を目指し進んでいく。けれど、やがて勢いも無くなっていき、音も立てずに川の中へ沈んでいった。
「数えてた? 今、十回いったよ」
「何が十回なの?」
「えっ、水切りを知らないの? 今みたいに投げて、何回水面を跳ねたか競うんだよ」
「そうなの。私、知らなかったから」
「お父さんは、この辺の子供ならみんなやってたと言ってたんだけどなあ。あ、女の子はやらないのかも知れないね。男の子の遊びだし」
 水切りという今の遊びは、この町の子供が良くやる遊びの一つらしい。私はそういったものに頓着はないから、知らなかった事である。しかし、川に向かって石を投げる事がどうして面白いのか。私には理解が出来なかった。
「お父さんが教えてくれた遊びなの?」
「そうだよ。この町にお父さんの実家があって、お父さんの小さい頃はそうやって遊んでたんだって」
「じゃあ、コウタはこの町には遊びに来たの?」
「あ、ああ、うん。まあ、ちょっと色々あって」
 そう答えるコウタの表情は見る間に曇って行き、私から視線を逸らしてしまった。再び足元から石を拾い先程と同じ要領で川へ投げ込むものの、今度は石は水面を二度しか跳ねずに沈んでしまった。何か気持ちが動揺しているのだろう、コウタの様子からどこか気まずいものを感じた。
「実はさ、僕のお父さん。重い病気なんだ」
「病気?」
「そう。詳しくは教えてくれないけど、多分治らないみたい。それどころか、もうあまり長くないのかも知れないんだ」
「どうしてそう思うの?」
「どうして、ね」
 コウタは三度石を足元から拾い、川へと投じた。今度は投げ方からして異なり、石は真っ直ぐ水底に向かって突っ込んでいった。石を叩きつけるような乱暴な投げ方だ。
「この町に来たのは、お父さんが実家に帰りたがったからなんだけどさ。それをどこから聞きつけたのかな、今までほとんど会ったこともないような親戚が次々と集まってきてね。お父さんのお見舞いなのかな、と最初は思ってたんだけど、違うんだ」
「お見舞いじゃなければ何なのかしら?」
「遺産相続」
 その言葉を吐き捨てたコウタの表情は、まるで別人のように苦味走っていた。
「遺産相続って何?」
「僕のお父さんが死んだらね、お父さんの持ってるお金とか家とか、そういうのを残った家族で分け合う事なんだよ」
「それのどこが駄目なの?」
「駄目じゃない、腹が立つんだ」
 コウタはぷいと背を向けると、再び川へ目掛けて小石を叩き付けた。
「お父さんはね、まだ遺言状を書いてなかったんだ。遺産の分け方の決まりみたいなものだよ。当然それを書かなくちゃいけない状況なんだけど、それをね」
「それを?」
「親戚の連中が、内容にあれこれと口を挟んで来るんだ。それも、お父さんに対して面と向かって直接ね」
「どうしてそんな事をするの?」
「決まってるじゃないか。少しでも多く自分へ回って来るようにするためだよ」
「コウタが怒ってるのは、お父さんの財産が親戚に渡るのが嫌だからなの?」
「違うよ。まだ生きてるお父さんに向かって、平然と死んだ後の話をしているのが嫌なんだ。それだけじゃないよ、僕にまでそういう事を言って来るし」
 背中越しに聞こえるコウタの声が少し涙ぐんでいる。悔しいのだろう、と私は何となしに思った。
「大人になるまでは勝手にお金は使えないからね、とか、私がちゃんと管理してあげるから後見人に推薦してね、とか。笑いながらする話じゃないだろ、そういうの」
「そうね。そうかも知れない」
 コウタに相槌を打つものの、私は良く理解は出来なかった。笑いながら話しても泣きながら話しても、結局死ぬ事に変わりはないのだ。そこまでこだわる事なのだろうか、私には不思議でならない。けれど、多分コウタにとって人の生き死にというのはそういう尊い事なのだろう。ただ何となしに、役割だからと涙を流すだけの私は、むしろそういう気持ちの事を学習するべきなのだ。
「あ……ごめんね、いきなり変な話して」
「いいの。別に気にしないから」
「そう、ならいいんだ」
 コウタは依然背を向けたまま袖で目元をごしごしと擦る。私には涙を見せたくないのだろう。けれど、自分が泣いた事を私に知られたのは分かっている。だから、そのばつの悪さを誤魔化したかったのか、コウタはやけに勢い良く振り返った。
「あれ……碧?」
「何?」
「いや、その……泣いてるの?」
 コウタに指摘され、私は自分が涙を流している事に気がついた。何か自分の中で拍子が合ったのだろう。
「気にしないで。私、時々そうなの」
「時々って……何か嫌な事でもあった?」
「ううん、何も。ただ、時々泣いてしまうだけ」
 コウタは困惑した表情で私への視線を泳がせる。コウタの困惑の理由は私でも理解が出来た。私とコウタとで、泣く理由が全く違うからだ。