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ルイと連れ立ってセディアランドへ帰国したのは、それから数日後の事だった。特に出迎えがある訳でもなく、これまで通り、世間は俺になど関心が無いかのように、当たり前に回っている。あれだけの事件だったのだから、本国では大変な騒ぎになっているだろうと思っていたのだけれど。事件そのものを表沙汰にしたくなかったから、そのように報道関係にも手配したのかも知れない。
港から馬車に乗り、自宅には寄らず真っ直ぐ本庁舎へ向かう。通り沿いの景色も見慣れたもので、相変わらず様々な業種の人間が、忙しなく行き交っている。セディアランドは東方の大国で、非常に強大な国力を誇っている。だからこそ、秘密裏に行われる不正も規模が大きく、それを取り締まる監察官の仕事は非常にやり甲斐があった。未練が無いと言えば嘘にはなる。けれど、既に次の道を決めた以上、今更後戻りするほど子供ではない。
本庁舎へ付くと、やはり午前中だけあって非常に職員が慌ただしく駆け巡っていた。一日の大半の業務が午前中に処理されるらしい。足を止めさせる事すらも憚られるほど、誰もが殺気立っている。
「俺は監部へ寄ってから、人事部へ行く。君は先に編纂室で待っていてくれ。場所は覚えているな?」
「はい、大丈夫だと思います。最初の時も、こんな風でしたから」
そう答えるルイに鍵を預け、俺達は一旦別行動を取る。
本庁舎の三階にある監部は、以前と同様に静かながら緊張感で空気が張り詰めていた。俺が居た頃と何一つ変わっていない様子で、どことなく安堵感が込み上げて来た。
船中で作成した、今回の一連についての報告書を担当者へ提出すると、さほど精査もされずあっさりと証印を得てしまった。やはりこの案件は、大して重要な扱いではなかったようである。特に誰とも見送られる事もなく、俺は監部を後にした。
それから人事部へ退職手続きのために向かう。三十分程の退職者講習を受けた後、機密事項に始まる各種の誓約書に署名させられる。あらかじめ、退職届けが受理されていたせいか、全体で一時間にも満たない手続き内容だった。これで明日には、正式に監部を退職する事になる。入るためにあれだけ苦労したのだが、辞めるのは実に簡単だ。どこか物悲しさも覚える。
本庁舎での手続きも終わり、ルイの待つ旧庁舎の編纂室へ向かった。
ルイは腰窓を開けて、狭い室内を忙しなく掃除していた。そう言えば、まだレイと名乗っていた時も、彼女はこんな事をしていた。家事をせずにはいられない性格なのだろう。
「お帰りなさい。もう全て済んだのですか?」
「ああ。この後、昼食を取ってから市民課へ行こう。普通より手間のかかる手続きになるが、午後なら割と人は空いている」
「はい……」
ルイは笑顔ながら気恥ずかしそうに答えた。突然の事での戸惑いが俺には残っているのだけれど、ルイは案外前向きらしい。これだけの体験をしたのだから、多少の事でおたついたりはしないのかも知れない。
この後、婚姻届とルイの帰化申請をする事になっている。フェルナン大使に発行して貰った特別滞在許可証は、三日間しか有効日数がない。発行手続きの完了までの時間を考えると、今日中にでも手続きを済ませる必要がある。今日でこの編纂室とは縁切れという事になるが、随分と長く空けていたせいか、今になって急に物寂しくなってきた。明日にはもう、主人のいない部屋になるだろう。そう思うと、あれほど憂鬱だったここも名残惜しく思えてくる。
「サイファーさんは、私物とかの整理はよろしいのですか?」
「元々、大した物は置いてない。それに、早晩辞めるつもりだったからな。特にこれと言って整理しなければならないものは無いさ」
それから、明らかに不必要そうな書類などを始末している内に、ルイの方も掃除が終わった。元々古くて汚い建物だが、それでもきちんと掃除をすると見違えるほど綺麗になる。こうすると気の持ちようも変わりそうに思えた。
「少し早いが、昼食に行こうか」
「はい。あ、その前に私、お手洗いに行ってきます」
掃除用具を片付け、ルイは足早に部屋を出て行く。その間、俺はソファにだらりと全身を預けるように腰掛け、ぼんやりと天井を眺めた。ここに飛ばされた当初は、よく天井の染みを数えたりしたものだが、今となってはそれもいい思い出かも知れない。人が腐っていく過程での、一つの目安みたいなものだ。
程なく、部屋の外からこちらへ近づいて来る足音が聞こえてきた。足音はぴったり部屋の前で止まり、そのまま開けっ放しのドアから中へ入ってくる。
「早かったな。場所は分かったか?」
「あら、彼女も来ているの?」
ルイの声ではない。そして、聞き覚えのある声。背中の筋肉が一斉に張り詰めた。慌てて体を起こして声の主の姿を見る。それはやはりイライザだった。その顔は、早くも何か言いたげにひきつっている。そう、可笑しくてたまらない笑いを堪えている顔だ。
「……何か言いたいようだな」
「お久しぶり。怪我をしたと聞いていたけど、元気そうね。フフフ……」
その様子だと、やはり俺の事は伝わっているのだろう。それを笑っている腹の内が見え透いている。いや、隠そうとすらしていない。
「真面目ぶった堅物気取りかと思ってたら。フフフ、まさかね、フフフ」
「そんなにおかしいか」
「いいえ、祝福してるわよ。外務省総出で。今まで、こんな力業で外交問題を解決した人間なんていないもの。あなた今、とても有名人よ?」
そんなもの、どうせ面白がっているだけに決まっている。何よりも、その表情がそれを物語っている。俺は不機嫌そうに眉をひそめて見せた。
「あんな威勢良く啖呵を切った人が、まさかこんな事をするなんてね。本当、人は見かけによらないわ。でも、平和的な解決法で何よりよ。その上、間接的にも南ラングリスへ貸しを作った事ですし」
「そんな下らない事を言いに来たのか。俺達は、これから食事に出るんだがな」
「いいえ、本題はこっち。良い知らせと、どちらでも無い知らせの二つ。退職の餞別代わりよ」
そう言ってイライザは、一冊のスクラップノートと書面をそれぞれ差し出して来た。
ノートの中は新聞記事の切り抜きを集めたものだった。編纂室では良くこんなものを作っていたが、さほど気にも留めなかった。そもそも検閲済みの記事など集めた所で何の意味も無い。そんな事を思いながら目を通していると、驚く事に、そこにはあの憎たらしい上司の名が載った記事が幾つも並んでいた。しかも、収賄やら不正便宜やら、更にセンセーショナルな単語と一緒である。