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「そう言えば、今の状況を君に説明していなかったな」
北ラングリスに連れて来られてまだ幾日も経っていないのだが、状況は酷く目まぐるしく動いている。政治的な事や判断を一切レイには関わらせなかったため、恐らく今の自分の立場も正確には把握していないはずである。
「そうでしたけれど……。何か凄く複雑なように思えるのですが、私でも理解出来るでしょうか?」
「して貰わないと困る。この先も、いつでも俺が必ずフォロー出来るという保証はない。いざという時に、俺が居なくとも正しく判断出来るようになっておかなければならない。なに、思っているほど複雑ではないから安心しろ」
薄闇の中で、レイが不安げな表情を浮かべているような気がした。あまり政治的な問題とは縁がなかったのか、単に複雑な事は考えたくないだけなのか、どちらにせよ自分の立ち位置だけはちゃんと理解していて貰わないと困る。
「まず、我々が北ラングリスへ来る事になった経緯なんだが。南ラングリスへの移送というのは嘘だった。実際は、南ラングリス政府と言うよりもノルベルト大使個人だろう、君の身柄は北ラングリス政府へ取引された。まあ、寸前でロイド氏に助けられたんだが」
「取引ですか? でも、大使さんは南ラングリスの方では……」
「ああ、独断なら明らかな南ラングリスに対しての背信だ。ノルベルト大使はその分の何らかの利益が得られるのだろう。だから、取引という事だ」
「ですが、私を引き取って、北ラングリスにどんなメリットがあるのでしょうか?」
「これは憶測だが……。取り敢えず南ラングリスの運輸相が暗殺された事件は知っているな?」
「はい。大使さんのお話で、ですけど」
「君がその実行犯だと思われている。少なくとも北ラングリス国内では。もしかすると南ラングリス政府も、同じ考えでいるかも知れない。いや、ノルベルト大使の態度を考える限り、そう思った方がいいだろうな」
だから、ロイドもあんな過激な行動へ打って出たし、レイに対しても崇拝とでも言うべき心酔振りを見せていた。北ラングリスでの手配はどの程度だったかは分からないが、少なくともあの規模で襲撃出来るほど重要には見られていたと考えて良いだろう。
「あ、暗殺犯? わ、わ、私がですか?」
「そうだ。北ラングリス政府が依頼した暗殺組織の実行犯、という位置付けだろう。いや、正確に言えば、依頼は北ラングリスの傀儡組織を経由しているが。いずれにせよ、君の身柄が南ラングリス政府に押さえられると、必ず依頼主へ辿り着かれる。そうなれば国際的な批難は免れない。北ラングリス政府はそう考えているだろう」
「だから、先手を取って身柄を押さえようと……? でも、どうしてわざわざ身柄ごと引き渡そうとするのですか? その、喋られるとまずい人間なら、もっと手っ取り早い方法も……」
「いい所に気が付いたな。確かに口封じするのが手っ取り早いだろうが、北ラングリスは法的な手順に則って処刑したかったのだろう。下手に謀殺すれば、それがかえって付け入られる隙を生むかも知れないからな。罪状はでっち上げでもいい。刑を執行してしまえば、頼みの綱はもはやこの世に居ないと、間接的に南ラングリスへ圧力をかけられる。以後は、この件をほじくり返すのが難しくなるだろうからな」
「でも、私は暗殺犯じゃありません。別人を処罰しても意味は無いのでは?」
「黒蜥蜴が壊滅させられている以上、別人かどうかを確かめる方法も無い。それはどちらも知っているはずだ。もはや関係は無いんだ。どちらも、都合の良い事実だけが欲しいのさ」
しかし、一つだけ引っ掛かる点がある。その哀れな生け贄が、どうしてレイでなくてはいけないのか、という事だ。
たまたま身元もあやふやで記憶のない人間が居たから、都合良く使ってやろうという魂胆だったのだろうか。しかし、それだけでこれほど大掛かりな計画を立てるだろうか。第一、誰も暗殺犯の人相や姿形を知らないなんて、とても有り得ない事に思うのだが。それとも、初めから犯人をでっち上げるつもりで事を起こしたのか。いや、初めからでっち上げるつもりであれば、何もレイにここまで固執する理由がない。
こんな不可解で不明点ばかりの状況で、果たして南ラングリスへ渡るのは正しい判断なのか。
いささか疑問ではあったが、今自分の後ろ盾になりそうなのは南ラングリスの大使館ぐらいである。少なくとも、北ラングリスへ留まるよりは良いはずだ。
「そう不安がるな。大使館へ着けば、そこはもうセディアランドの領地だ。たとえ南ラングリス政府であろうと、容易には手出し出来ない。君の身の安全は保証するよ」
「ですが……御迷惑にはならないでしょうか? そんな事をして、サイファーさんの立場が悪くなるとか」
「これ以上悪くなりようがない。気にする事はないさ」
「すみません、本当に何から何まで世話になりっぱなしなのに、何もお応え出来なくて……」
「そういう仕事だ。君が気に病む必要はない」
あくまでこれは仕事としてしている事だ。そう公私の切り分けは付けているつもりではあったが、俺自身にもレイに固執している素振りが見られないとも言い切れないと思う。閑職へ飛ばされた腹癒せで受けたつもりだったが、どうやら今はそうでもないらしい。
恐らく、命の危険を現実的に考えるような状況を一緒に突破し続けてきたから、本能的に抱いてしまう感情だろう。