戻る
レイの案内で向かった先は、町から離れた山道の更に外れた山中だった。国有の森林ではあるが元々は私有だったもので、何らかの理由で手放したのを国が買い取ったようである。
山中はまるで人の手が加えられた後が無く、木々や雑草が伸びるままに生い茂っている。それをいちいち手持ちの小剣で切り開かなければならないため、思うように前へ進めなかった。彼女がこんな所を何も持たずに踏み入り山道へ出られたのは、ひとえに偶然としか言いようがない。普通ならまず間違い無く方角が分からなくなって、山中に迷い込んでしまう。
「あ、そこです。あれがそうです」
山中に入り込んで小一時間も進んだ頃、レイの言っていた廃屋がようやく姿を表した。建物の大きさはさほど無く、どちらかと言えば炭焼のための仮住まいといった風体だった。外観の痛み具合からすると、建てられてから少なくとも十年は経過しているだろう。石炭への普及が丁度始まった頃だから、おそらく持ち主は早々に炭には見切りを付けて、鉱夫へ転職したと思われる。
「此処で間違いないか?」
「はい、大丈夫です。ちゃんと覚えていますから」
何故記憶を無くしたのかは知らないが、記憶力そのものに問題がある訳でもないらしい。レイは自信たっぷりにそう返答する。
ドアには鍵が掛かっておらず、俺は早速中へ入って調べる事にする。
家の中は外観から想像出来る通り、相応に古びて酷い埃臭さだった。幾つか家具は残されているが、貴重品と思えるようなものは、ざっと見渡した限りでは見当たらない。やはり捨てられた家のようだ。
「あの……この家の持ち主と私は関係があるのでしょうか?」
「さて、な。もしそうなら、大分事態は簡単になるんだが」
この国で主に使われている工業燃料は、炭から石炭へ移行しつつある。需要が減り価格が下落した事で炭焼を辞め、こうして炭焼小屋を捨てる事はさほど珍しくはない。問題は、こういった場所に建てられた家は意図的に登記していない場合が多く、持ち主が誰か調べられないという事だ。おそらくこの小屋そのものからはめぼしい手掛かりに繋がる事はないだろう。
「君はどこで目が覚めたんだ?」
「はい、この辺りの壁際です。こう、座りながらもたれ掛かるような感じで。そこの毛布を被っていました」
レイの指差す先、古びた安楽椅子の背もたれには一枚の毛布が掛かっていた。手に取って確かめてみると、それはこの廃屋の物にしては随分と新しい物のようだった。後から持ち込まれた物なのだろうが、それはレイがしたことなのだろうか。レイが記憶を失うのに繋がる事なのかもしれない。
バタンッ!
その時だった。不意に響いた物音に、俺は咄嗟に小剣の柄へ手をかけて音の方を振り向く。しかしその先では、レイが軽く咳き込みながら窓を開けていた。
「危険だから、勝手な事はしないで貰いたいんだがな」
「すみません、あまりに埃っぽくて。ケホッ」
確かに酷い埃ではあるが、それを見越して窓に罠が仕掛けられている事も有り得ない話ではない。去年も、備品の横流しをしていた憲兵が、資金を隠していた建物の窓に爆発物の起爆装置を仕掛けていた、なんて事が実際にあったのだから。そういう予測まで要求はしないが、少なくともこちらの目の届かない所で勝手な行動は謹んで貰いたいものだ。
レイが開けた窓には特にこれと言った仕掛けなどなく、幸いにも小屋ごと吹っ飛ぶような事態は起こらなかった。念のため、他に何か仕掛けられた物はないかと見回してみるものの、これと言って目に留まる物はない。やはりこの小屋は何か事件性のあるような建物ではなく、見た目通りの目的で建てられて捨てられたもののようだ。
もう少し調べた上で何も無ければ、今日の所は引き上げるとしよう。そう目論んでいると、不意に窓から強めの風が吹き込んで来た。
「ひゃっ?!」
風は室内に入り込み、床の上に積もった埃を一気に天井近くまで巻き上げた。俺は咄嗟に鼻と口を塞いだが、レイはまた埃を吸い込んでしまったらしく、素頓狂な声を上げて咳き込んだ。
「外に出ていても構わないぞ。此処は埃っぽい」
「い、いえ、大丈夫です」
そう目を擦り咳き込みながら答えるレイだったが、咳が何度も言葉を遮るのでそれ以上は何を言っているのか分からなかった。今まで民間人の立ち会いで仕事をした事はあったが、こういった成人未満であろう女性は初めての事で、どうにも距離感が掴めない。公務の内容上深刻な事態である場合がほとんどだったから、こうも気の緩んだ者を相手にするのが慣れていない、と表した方がより正しいのかも知れない。何にせよ、改めてこの仕事が自分には合わない質だという事を認識させられてしまう。
気を取り直し、小屋の中の残る箇所を手早く確認する。残っているのは古い家具で、中には埃と古い食器が幾つかある程度で、これと言ってめぼしい物は見当たらない。そもそも家宅捜索は初歩的なスキルで、何処に何を隠しているかや、此処には何も重要なものは無いなど、ある程度は見ただけで大凡見当は付いてしまう。廃屋であってもそれは同じで、埃の厚さや家具の反響音などで違和感はすぐに見つかるのだ。
これ以上は探しても何も見つかりはしないだろう、今日の所はもう引き上げてしまおう。そう思い振り返ると、
「レイ……?」
先程まで咳き込んでいたはずのレイが、いつの間にか居なくなっていた。ああは言ったものの、やはり埃に耐えられなくて外へ出てしまったのだろうか。それならそれで構わないのだが、何かあった場合を考えて一声ぐらい掛けて貰いたいものだ。無意識の内に眉間に皺を寄せ、大きな溜息を付く。ここ最近、こんな表情をする事が増えたものだ、そう己を嘲った。
その直後だった。
「サ、サイファーさん!」
小屋の中にまで響くほどの、悲鳴のような叫び声。小屋の外から聞こえてきたようだが、とても尋常ではない様子である。すぐさま俺は小屋の中から飛び出すと、レイの声が聞こえた方角を確かめる。レイの姿は小屋のすぐ脇にある炭焼小屋の前にあったが、何故かその場にへたり込んでしまっていた。
「どうした、何があった?」
「こ、これ……。炭焼き窯の中から……」
かたかたと震えながら指さしたのは、レイの目前に落ちている大きな革袋だった。大分痛んで汚れも目立っているが、さほど古いものではないようで埃もなく、まだ使うのには充分のようである。
「私、ほんの少しだけ思い出したんです。それで窯の中に入って……。そこに何かが隠してあるような気がして。それで、これを見つけて……」
「この革袋が炭焼き窯の中に?」
こくこくと力いっぱい何度も頷くレイ。よほど信じられないものを見たのか、酷く動揺しているのが見て取れる。
当然だが、炭焼き窯に革袋を保管するような事は無い。おそらく隠す目的だったのだろうが、重要なのは一体何を隠していたのか、だ。
「中を見たのか?」
「は、はい……」
「俺も見るぞ、構わないな?」
念のためレイに確認を取った上で、俺はその皮袋へ手を伸ばした。革袋の口は開かれていて、だらりと垂れ下がっている。そこを掴み持ち上げようとすると、見た目に反して重く、少々力を込めなければ持ち上げる事が出来なかった。そして、持ち上げた革袋を再度下ろすと、聞きなれた金属の擦れる音が革袋の中から聞こえて来た。そう、憲兵のする不正には最も縁の深い、貨幣の音だ。果たして中身は幾らの現金なのか、そう思いながら口を広く開いて確認する。
「これは……」
俺は思わず言葉を失ってしまった。革袋の中には、みっしりと大量の金貨が詰まっていたからである。試しに一枚取り強く噛んで見るものの、メッキが剥がれるような事は無かった。せいぜい銅貨が詰まっているのだろうと思っていただけに、これだけの金貨が詰まっているとあっては面食らってしまわざるを得ない。横領や密売で稼いだ金は何度も見たことがあるが、それでもここまでまとまった額の金は無かった。仮にこの金貨が全て本物だとすると、数十年は楽に暮らしていけるだろう。
「この金に覚えは?」
「わ、分かりません。こ、これ、私のお金なんでしょうか? こんな大金、どうして……」
「何とも言えんな。君が大富豪の御令嬢だとしたら、それも有り得るかも知れないが」
だが、仮にそうだとしたら、普通は連合国内へ大々的に捜索が行われるはずである。少なくとも俺は、富豪令嬢の行方不明の話など聞いたことは無い。となると、やはりこの金貨はきな臭いものに関わっている事になって来るのだが。
「ん?」
ふと、金貨の山の中に何か黒っぽいものが埋まっているのを見つけた。金貨以外に何か入っていたのだろうか。指を伸ばし、それを引っ張り出してみる。特に引っかかりもなく、あっさりと袋の中から取り出せた。
「これはまた、随分ときな臭いな」
それは、装飾の一切無い異様な雰囲気の短剣だった。儀礼用や護身用の短剣は一般的に売られているが、そのどれとも当てはまらない、まるで隠し持つためだけに誂えた短剣である。それだけでも充分異様なのだが、その短剣は柄から鞘にかけて、べっとりと血の跡が付着していた。