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 フェルナン大使の密使が来た。ジャイルズの報告に、一同は驚きに言葉を飲んだ。その唐突な来訪もさることながら、この如何様にも取り繕う事など出来ない場に招き入れるなど、とても出来ないからだ。ただでさえ拗れている問題を大使にまで知られてしまうのは、リチャードにとって致命的である。しかし、ドナやゴットハルト氏は、かえって好機だと思っているだろう。
「とにかく、私の執務室へ通し、そこで待って頂くしかありません」
「え、ええ、それは分かっていますが―――えっ、ちょっと」
 その時だった。突然後ろからジャイルズが横へ押し退けられ、入れ替わりに一人の青年が室内へ入って来る。彼の顔に見覚えのある俺は、安堵感と、見られたくない光景を見られた焦燥感の入り混じった溜め息を漏らした。
「私は、セディアランド大使館書記官のクレイグです。フェルナン閣下の特使として参りました。急務につき、御一同そのままに願いたい」
 そうはっきりとした口調で宣言したのは、フェルナン閣下の直属の部下であり、俺にとっては同僚でもあるクレイグだった。彼の毅然とした態度は明らかにこの空間には異質だったが、まるで清涼剤のようにハッと目を覚まさせるものがあった。自分がどれだけ決闘の空気に当てられていたのかを、ようやく自覚させられる心境だった。
「クレイグさん、いつこちらへ?」
「本当につい先程です。閣下の指示で、突然昨日の出立となって。それにしても、一体何をされていたのです? 随分と酷い姿になって」
「込み入った事情があるので、それは後程」
 クレイグが俺の姿を見るなり目を丸くして驚いたのも無理はないだろう。俺は、この総領事館には事件の調査のために派遣されていただけの筈なのだ。
「クレイグ書記官、一体どのような御用件でしょうか。斯様な所まで押し掛けて来るとは、幾ら閣下の使者と言えども不躾ではありませんか」
 いつの間に普段の調子を取り戻したのか、クレメントがクレイグへ血相を変えて噛み付いて来た。この異様な場を何とか誤魔化そうという、そんな意図が見透けている。
「此方に、反政府軍代表のゴットハルトという人物が訪問していると聞いています。彼宛てに、アクアリア政府からの通達があります」
 その言葉に、押し黙っていたゴットハルト氏が声を上げた。
「アクアリア政府からだと!? それに、我々が反乱軍とはどういう事だ!」
「あなたがゴットハルト殿ですね。あなた宛ての通達です。お受け取り願いたい」
 訝しげに声を荒げるゴットハルト氏に、クレイグは些か気圧されながらも手に携えていた書簡をゴットハルト氏へ差し出す。それを奪い取るように手にすると、封蝋を力ずくで割って封を破く。そして書面を読むや否や、ゴットハルト氏の表情は見る見る内に深刻の色を深めていった。
「あなたがストルナ市を占拠するのに使った軍隊、その彼らの後ろ盾だった首謀者は内乱罪で昨日処刑されました。既にアクアリア軍は体制を大きく刷新しています。直ちに、新元帥の指揮下へ入り、ストルナ市から撤退して下さい。これを受け入れない場合、あなた方の軍籍は抹消され、反乱軍として対処する準備があります。これは言わば、アクアリア政府からの最後通牒です」
 アクアリア政府とアクアリア軍は、表立ってはいなかったものの、明確な対立関係にあった。その証拠の一つとして、今回のストルナ市の占拠に対し、アクアリア軍は無関係だとばかりにのらりくらりと追及をかわしていた。当然、アクアリア政府はセディアランドへの説明責任を果たせず、内輪もめの様相を晒すという心証を大きく損なう結果となった。実際にクーデターを企てていたかどうかは分からないが、少なくとも何らかの大きな展開がこの数日の間にあり、その結果政府がアクアリア軍の統率を完全に掌握したようである。
「元帥殿はどうされたのだ?」
「名誉除隊されましたよ。円満に」
「それで政府は、残る我々を賊軍と見ているのか」
「それはあなたの判断次第かと」
「あの盆暗だらけの閣僚の手並みとは思えんな。裏で糸を引いたのは、貴様の主人か?」
「それについて、明確な返答を提示出来る立場ではございませんので」
 そう言葉は濁すものの、厳に秘す意思も感じられなかった。やはり、フェルナン大使が何らかの形で動いたのだろう。大方、アクアリア軍に対しセディアランドの軍隊をちらつかせて圧力をかけ、その一方でアクアリア政府と取引したという所だろうか。元帥も案外買収されたのかもしれない。
「私の勝手で、前途ある若者達を賊軍にする訳にはいかんな……。どうやら、ここまでのようだ……。無念だ……」
 そうぽつりぽつりと消え入りそうな声でこぼしたゴットハルト氏は、書簡を丁寧に折り畳み懐へ仕舞い込んだ。その姿はまるで別人のように穏やかで、とても小さく老け込んで見えた。気落ちしたから、と言うような次元ではない。何か憑き物でも落ちたかのような様相である。
「それでは、紺碧の都へ来て頂きましょう。今回の一連について、公聴会が行われるそうですから。軍法会議とは違って拘束力はありませんが、是非ともその場で思いの丈を述べて頂きたい」
「いや、それには及ばん」
 すると、ゴットハルト氏は再び剣を手に取り構えた。
 その仕草はあまりに自然で、あの怪物じみた殺気も一切放っていなかったせいだろう、彼の取った構えは一目でそうと分かる不自然なものだったにも関わらず、誰もそれを指摘する事が出来なかった。
「生きて、虜囚の辱めは受けぬ」