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 剣術の基礎は学徒時代に、更に発展した応用的な部分は配属前の新人時代に研修で習った。しかし、それだけである。監部時代の俺の仕事は、あくまで身内の不正を暴くことである。場合によっては強制捜査のために帯剣する事はあるが、それを抜いた経験は一度として無い。ゴットハルトは、既に老境に達した小柄な老人である。体力なら遥かに俺の方が上なのだが、一抹の不安を払拭出来ないのは、抜剣した事のない自分の経歴から来るものだ。
 夜も更け始めて来た頃、再び集まったゴットハルトの客室は、異様な空気に包まれていた。部屋の外には見張り役のジャイルズ、部屋の奥にはリチャード、傍らにクレメントとドナがそれぞれ添い、中央には片手に剣をぶら下げた俺が立っていた。
 ソファーに鎮座するゴットハルトは、手にした剣を食い入るように見詰めながら、その刃先や柄の作りを検分していた。その目は相変わらずらんらんと殺気で輝き、迂闊に声すら掛けられない異様な雰囲気を放っている。
 果たして俺に勝ちの目はあるのだろうか。いや、そもそも本気で勝敗を決して良いものか。俺はそんな疑問を浮かべる。
 敗北は当然最も避けたい事として、仮に勝利しゴットハルトを死に至らしめたとすると、それはセディアランドとアクアリア間での更なる政争に繋がりかねない。どちらにしても遺恨は避けられないならば自らが生き残る方を取るべきだが、遺恨を残すならば元から決闘などするべきではなく、またこれまでの経緯からゴットハルトを死に至らしめるにはいささか躊躇いもある。
 今回の事件の非はセディアランド側にあると未だに思う部分がある。そもそもゴットハルトとの決闘に絶対の勝算がある訳ではないのだから、全て憂慮するだけ詮無い事である。ただ、他に解決手段は無かったのか、そう嘆くばかりだ。
「では、始めるとしようか」
 そう宣言したゴットハルトは、手にした剣を勢い良く床に突き立てる。それを支えにし、ゆっくりと腰を上げる。立ち上がり剣を構え歩み出すゴットハルトは、見るからに足元が覚束無い様子だった。それは体調不良でも何でもなく、明らかに足そのものに原因がある。
「その足は……」
「ただの古傷だ。気に留める程ではない」
 ゴットハルトは、常に傍らに杖を欠かしていなかった。それは歳によるものというより、何らかの権威付けのようなもの程度にしか思っていなかった。けれど、実際は本当に足を悪くしていたようである。かつては一兵卒として最前線で従軍していたに違いない。
 体格も体力も、若く健康な俺の方が遥かに上だろう。全力で打ち込めば、受ける事は出来てもあの足で踏ん張る事は出来ない。勝負はそれで決まる。それぐらいは俺でも分かるのだが、何故ゴットハルトは決闘に拘るのだろうか。アクアリア人特有の意固地なのか、それとも他に何か勝算があったのか。何にせよ、相手がか弱い老人であろうとセディアランドに敵対する者ならば全力で打ち込む、俺はその程度の割り切りすら出来ないほど青くはない。
 俺の剣の間合いより一歩外まで歩み寄ったゴットハルトは、剣を一度振りかぶり腰溜めに構えた。続いて俺も同じように剣を構える。
 遂に始まる。そう思っても、俺の心はもう動揺する事は無かった。腹を決めたからだろう、僅かな雑念も無かった。
「双方共に宜しいでしょうか? それでは、今からコインを投げますので、これが床に―――」
 リチャードがそこまで口にした時だった。
「キェェェッ!」
 裂帛の気合いと共に、ゴットハルトは突然と斬り込んで来た。
 足を引き摺っていた割には素速い踏み込みではあったが、決して捉えられない速さではなかった。しかし体は、それに反応するだけでも精一杯だった。それほどに虚を突いた攻撃だったのだ。
「くっ」
 真っ正面から来る打ち込みを、剣の背を盾に受け止める。火花のみ散りそうな激しい金属音と共に、柄を握る手が恐ろしいほどの力で押し戻されそうになる。体重差もあるはずだが、まるでそんな物を感じさせない強烈な打ち込みだ。
 受け止めた剣をはねのけ、ゴットハルトとの間合いを取る。流石に足の負担が大きいのか、ゴットハルトは意外なほどあっさりそれを許した。ゴットハルトは俺の剣の間合いの外から何、今のようにいつでも鋭く打ち込めるという事実が、二歩三歩余計に俺を下がらせる。自分の間合いに捉えるというより、相手の間合いに捉えられない立ち回りを。その消極的な発想をする自分に、緒戦は完敗だったのだと更なる重圧が掛かって来る。
「どうした? 打ち合わないのか?」
 さも落胆したと言わんばかりの口調。露骨な挑発である。けれど、俺は黙殺した。下手に取り合った所で、自分の不利を増大せるだけである。
 無言のまま、改めて剣を構える。真っ正面にゴットハルトを見据え、その一挙手一投足に細心の注意を払いながらじりじりと少しずつ間合いを詰めていく。またいつ踏み込んで来るのか、それが大きなプレッシャーだった。けれど、守りばかりに気が取られていては、肝心の攻撃の手が鈍ってしまう。だから、その重圧は敢えて飲み込んでしまう他無い。
 ざわつく心を鎮め、じりじりと牛歩の勢いで間合いを少しずつ縮める。やがて剣の先端が引っ掛かろうという距離まで狭めると、今度はこちらから打ち込む機先を模索し始めた。
 攻撃とは何を意味するかは、今更言うまでもない。だが、迷いが生じぬように、柄と柄から伝わる重みにひたすら感覚を委ねる。
 そして、今まさに打ち込む気組みが出来た時だった。よりによってそのタイミングで、俺はルイの顔を脳裏へ過ぎらせてしまった。