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リチャード達が戻ってきたのは、それから間もなくの事だった。クレメントと何か公務についての話をしながら入室し、その後ろにはファイルに何か書き込みながら歩いているジャイルズが続く。移動のすがらでも処理せねばならないほど仕事が積み上がっているのだろう。
「お待たせいたしました。急用が入ったもので。それで、ゴットハルト氏は如何でしたか?」
その多忙振りを感じさせない軽快な足取りで、リチャードは俺の座るソファーの向かいへ腰を下ろした。
「それが、実はゴットハルト氏はセルギウス大尉の日記を持っていました」
「大尉の? 部屋には無かった筈―――」
そこまで言いかけたクレメントは、自らの失言に気付き慌てて自らの口を塞ぐ。ジョエルの手帳は出所を誤魔化していたが、自ら無断でセルギウス大尉の客室へ入ったと白状したも同じである。当然リチャードが気付かない訳も無かったが、特に咎め立てする事もなく、ただ重く息を一つ吐くだけだった。
「続けて下さい」
「はい。それでセルギウス大尉の日記を、私も許可の元で閲覧しました。そこには決闘同好会の事も書かれていて、どのように自分が入会したかも正確に残っていました。まず本人が書いたものだと思われます」
セルギウス大尉は、リチャードの誘いで決闘同好会へ入会した。その経緯は先日にリチャードから聞かされており、日記の内容もほぼその通りだった。当人しか知らないであろう情報であるため、これが誰かの偽造である可能性は低いと言える。
「ただ、そこで大きな問題が浮上しました。ジョエルとの関係と、決闘に至った理由についてです」
「と、言いますと?」
「ドナ書記官が仰った女性問題の件、そしてその女性がドナ書記官だった事は事実のようです。ただそれは、ジョエルがドナ書記官へ妄念を抱いていたのと、それを彼女が不安に思いセルギウス大尉へ相談、その末に二人が決闘したようなのです。事実関係の確認は出来ていません。ただ、少なくともゴットハルト氏はそれが真相であると断じ、アクアリア軍のストルナ市撤退と引き換えに、そもそもの原因となったドナ書記官との決闘を強く望んでいます」
「なっ……」
ここに来てリチャードは、これまでにないほどの衝撃を受けたのか、驚きも露わに目と口を大きく開いた。
「ドナと決闘をさせろと言う事なのですか!? それで、まさか応じた訳ではないでしょうね!」
「落ち着いて下さい。検討するとだけしか回答はしていません。ただ、こういった認識のまま凝り固まられた以上、当初の思惑とは大分外れてきています。別な案を考えるべきです」
リチャードが声を荒げるのは、やはりドナを危険な目には遭わせられない、そういう思惑があるからである。それだけに、クレメントやジャイルズの淡々とした態度が実に対照的だった。二人は間違いなく、ゴットハルト氏の提案に承諾の姿勢だ。
「ゴットハルト氏は、ドナがセルギウス大尉を謀殺したと主張しているのですね?」
「ええ、そういう事になります」
「その誤解を解く余地はありますか?」
「正直な所、難しいと思われます。ゴットハルト氏は、自身の生死より目的にこだわっています。いえ、むしろ手段の方、決闘する事しか頭に無いのではないかと」
「建設的な話し合いは、もはや無理だという事ですか……」
せめて、今少しゴットハルト氏に当初の冷静さが残っていたのなら。まだ、共存共栄の道を模索する事が出来たかも知れない。それを狂わせたのは、おそらくあの日記だろう。あれさえ彼の目の届かぬ所にあったのなら―――。
何故今になって、あんなものが出て来たのか。当初は、セルギウス大尉謀殺の実行犯と決闘する、という毅然とした目的を持っていた。しかし、今はすっかり前後の見境を無くしてしまっているように見受けられる。セルギウス大尉の日記が、ゴットハルト氏の復讐心をどす黒く歪めたのは確かだ。それを見越して、更に状況を悪化させようと仕組まれたものであるなら、タイミングといい見事としか言いようのない手口だ。
やはり、反公使派の人間の仕業だろう。ただ、こちらの動きを正確に掴んでいるように思える節がある以上、かなり近しい立場の人間であると推測される。一応気は使っていたつもりだったのだが、みすみす出し抜かれてしまうとは。
「解決法としてそれしか無いのであれば、私は構いませんが」
ドナは平素通りの淡々とした口調で、そう提言する。
「いいえ、それは許可出来ません。別な手段を探します」
「ですが、時間が無いのではないでしょうか。これ以上、事態を混乱させるのは得策ではありませんが」
「何が得策かを判断するのは、あなたではありません」
リチャードは断固としてドナの提案を受け入れない。それが明らかに私情であるのは、俺でもはっきりと分かった。ゴットハルト氏との決闘は、決闘同好会のそれとは違う本当に真剣の殺し合いだ。ドナがリチャードと懇意である以上、関わらせまいとするのは当然の事ではある。しかしそれでは、事態の解決には一向に結び付かない。
「ですが、他に方法はありませんよ。此処は一つ、妥協すべきです。公使というお立場も考慮しなければ」
「公使、どうか御決断下さい。これは国家間の争いにまで繋がる危険があるのですから」
更にクレメントとジャイルズがドナの提案に賛同の意を示す。俺は彼らに、ジョエルの次はドナをスケープゴートにしようと画策しているのでは、という疑いを持っている。レイモンド一族に関係のない彼女が、リチャードと親密な間柄なのが気に食わないからなのかも知れない。何にせよ、ここぞとばかりに排斥してしまおうという本音が見え透いている。
「私は、お守りが必要な歳ではありません。二人とも、少しわきまえて頂きたい」
リチャードはそれでも意見は曲げず、より語気を強めて二人を突き放す。意地でもドナを守り通す、そんな信念が窺える。どの道、レイモンド家の意向に従わずにドナと公私の付き合いをしているのだから、今更二人が多少言った所で意志は揺らいだりはしないだろう。それだけなら美談で済むだろうが、今は戦争に発展するか否かの瀬戸際である。公使として不適切であると、断じざるを得ない。
三人の話し合いは進むどころか険悪になるばかりで、解決までの道のりは一向に見えてこない。停滞、もしくは脱線まで起こしている。このままでは埒があかないだろう。
俺は再度、自分が何故此処へ寄越されたのか、大使の命令を思い返した。俺の仕事は、この総領事館で起こった一連の事件について調査すること。そして、セディアランドの名家であるレイモンド家の御曹司、リチャードの経歴を守る事だ。最優先すべきはリチャードであり、最悪そのために多少なりとも犠牲は良しとしなければならない。この場合ドナがそれに当たるのだが、それはあくまで第三者の考え方であって、リチャードにとってドナを失う事はあまりに大き過ぎる問題だ。つまり、リチャードと同様にドナも保護しなければならない。それでいて、ゴットハルト氏を納得させる方法、果たしてそんな都合の良い方法などあるのだろうか。
しばらく考えた末、やはりこれしか手段は無い、そう俺は決心した。