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「策略とはどういう意味なのですか? まるで、彼女が二人をいがみ合わせようとしたと聞こえますが」
「そう言ったつもりだ。息子はその真意までは見抜けなかったらしいな。若さが裏目に出てしまったか」
 確信を持って断言するゴットハルト氏。ドナがセルギウス大尉とジョエルを意図的にいがみ合わせたと、確信するだけの何か根拠があるようだ。
 しかし俺にはとても信じられなかった。ドナの人柄が云々以前に、セディアランドにとってそんな事をするメリットが一切思い当たらないのだ。仮に私的な理由だったとして、愉快犯以外に何かそうせざるを得ない理由はあるだろうか。少なくとも、その行為がどういう事態を招くか想像もつかないほどドナは愚かではなく、そんな愚か者が書記官などにはなれない。
「あなたがそう断言なさる根拠は何でしょうか?」
「理由を説明せねばならんのかね?」
「私は子供の使いではありません。明確な理由も無く、このような重要事項をおいそれと持ち帰る訳には参りませんので」
 すると、まるで牽制するかのようにゴットハルト氏がじろりと鋭い視線を浴びせて来る。しかし俺は、怯まずに真っ向からそれに対峙した。ここは退き所ではなく、むしろ前に出なければ喉元に噛みつかれる。そう言い聞かせると、不思議と覚悟が固まった。
「息子の日記に記してあった。ジョエルという武官は、その女書記官が推薦して入会したそうだな」
「その後に、人間関係がこじれたのでしょう。幾ら何でもそれだけでは」
「ならば、何故こういった屈折した素養の持ち主を推薦したのだ? 表立った活動の出来ない同好会ならば、もっと人選には慎重になるはずだ。第一、たかが一武官がどうしてそれだけの信頼を得られるのだ。そこには二心があって然るべきと考えるのが自然ではないかね」
「逆にお訊きしますが、そうする理由は何でしょうか? 彼女が何の見返りも無しに、このような国家規模の騒動を起こす理由こそありませんよ」
 ドナが二人を戦わせた、ゴットハルト氏の主張は何の根拠もない憶測だが、セルギウス大尉の日記とジョエルの入会の経緯を照らし合わせれば、一応の筋道は成り立つものである。しかし、肝心の動機がドナには無い。ドナはレイモンド家に縁の人物ではないが、リチャードの愛人であり、リチャード側の人間である。そんな彼女が、リチャードを苦境に立たせるような事をする理由が無い。つまり、ドナがジョエルという人選ミスをしてしまったがために、今回の騒動は起きてしまった事なのだ。
「ならば、ドナ書記官に動機があれば、こちらの主張を認めるという事だな?」
「あれば、ですが。けれど、これ以上は不毛な論議かと思います。ドナに動機があった事を、今更どうやって証明するのか。根本的な問題があります」
 仮にそれが事実であったとしても、ドナが否定してしまえばそれ以上の詮索は無理だろう。そしてリチャードが保護してしまえば追及すら出来ず、万が一に認めたとしても、セルギウス大尉の死亡はジョエルに原因となる非があり、その責をドナへ負わせるのはあまりに無理がある。
 やはりゴットハルト氏は、復讐が手段ではなく目的になっている。何かしらセルギウス大尉が死んだ怒りをぶつけられる対象を探しているだけだ。そんな彼との議論は不毛の一言に尽きるだろう。それでも、アクアリア軍の撤退を引き出さなければならず、かと言ってゴットハルト氏を満足させるにはこの横暴な申し出を受けるしかない。それはセディアランドの地位を下げる事にもなりかねず、リチャードの経歴に重大な傷を付けてしまう。
「では、この件は持ち帰り検討するという事にさせて頂きます。決闘については、会長の許可が必要ですので、私が確約する事は出来ませんから」
「どの道、他に方法は無い。何を得て何を失うべきか、良く考えるのだな」
 憮然とした表情で、半ば吐き捨てるように言い放つ。俺は努めて表情を出さず、無言で小さく会釈する。暗に、ドナを切り捨てる事を良しとしろ、そう言っているように聞こえる彼の言葉には率直に言って腹が立った。かつては名実共に備わった名将だったかも知れないが、老いさらばえ退いた上に子息の不審死と重なっては、とても正気のままではいられないのだろう。仕方のない事とは理解しているが、やはり感情の方が先に来てしまう。
「何故、そこまで決闘という形にこだわるのですか? 引責させたいのであれば、他に手段もあったはずです」
「セディアランド人の貴殿には分からぬ事だ。憶えておくと良い。清算とは、実利や形だけではないのだ。誇りとは命と同じ、一度失えば取り返しが付かぬ。だからこそ、我らは意地を通すのだ」
 それが、体面や名声を命より重く見るアクアリア人の考え方、精神文化なのだろう。気持ちの整理を付けるためには、自分を納得させる事が必要である。しかしアクアリア人には、良くも悪くも妥協が無く、一度決心すれば生きるか死ぬか両極端にしか行動出来ない。それがセディアランド人との相違点ではあるのだが、やはり俺には、共感も理解も出来ない。誤った事へ固執してまで溜飲を下げる意味や価値など、果たしてあるのだろうか。ましてや、我が身を滅ぼしかねないと分かっていながら。