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 めぼしい所の聞き込みは粗方済んだため、俺は拘置所の検分へ向かった。
 ジョエルの事件以降、武官をも締め出してクレメント達が何かをしていたようだったが、今はそれも完了し、駐在武官が一人だけ形式的な警護役として配置されている。特に重要性は無いと判断されたのか、話をするだけで簡単に中へ入る事が出来た。
 中は前回同様に殺伐とした古めかしい作りで、痛ましい事件の発端になったと聞かされれば、妙な箔すら付いたように思う。廊下でさえ無機質な重苦しい雰囲気を醸しているが、実際地階の独房を見てみるとそれ以上の重苦しさや不気味さが立ちこめている。こんな所に長く押し込められていては、確かに精神の一つを止んでもおかしくはないだろう。
 ジョエルの居た独房はすっかり片付けられた後で、空の木のベッドと粗末な椅子とテーブルが残っているだけである。前回来た時は、それでもまだ生活感があったのだと、しみじみ思い返す。あの時は、聴取のため根気強く何度も通わなければならないだろうと思っていたが、まさかこんな形での再訪問になろうとは思いも寄らなかった。
 ベッドなどの家具、それから壁、部屋の隅等。何か遺書めいた物はないか一通り探ってみるが、それらしき物は一つも見つからなかった。仮に存在したとしても、既にクレメントが確認済みだろう。都合が良ければただの自殺である根拠に、そうでなければ抹消しているはずだ。
 この独房でジョエルは、一体どのような事を考え、どのように決意を固めたのか。武官を力ずくで蹴散らしてまで投身自殺するなど、並大抵の理由、覚悟では出来ないはずだ。それに、ジョエルが何故決闘同好会に入り、リチャードは何故それを了承したのか。今となっては、ジョエルをみすみす死なせてしまった事が悔やまれる。恐らく、彼が今回の事件で最も真相に近かった人物のはずなのだから。
 手掛かりらしきものも見つからず、早々に諦めた俺は、何かここでしか浮かばない名案があるかも知れないと、しばしその場で考え込んでいた。そんな時だった。不意に階段を誰かが降りてくる足音が聞こえてきて、俺はおもむろに房の外へ視線を向けた。
「お仕事中ですか」
 現れたのはジャイルズだった。今はまだ業務中の時間のはずだが、恐らく合間を見て抜け出して来たのだろう。
「いえ、少し考え事を。ジョエル氏の気持ちになれば何か分かるかと思いましたが、そううまくはいかないものです。ところで、こちらには何か用事があって?」
「いいえ。実はサイファーさんに、折り入ってお伝えしたい事があります。此方に向かったと聞きましたので、好都合でしたから」
 それは、他人には聞かれたくはない内容なのだろう。わざわざ探してまでとは、何やら不穏な雰囲気もする。これは油断ならないと、俺は内心いつでもどうにでも動けるような気構えを整えた。
「ジョエルが同好会に入った理由ですが。サイファーさんがそれを調べるのは、ジョエルの自殺に関わりがあると確信しているからでしょうか?」
「まだ確信とまでは。他に手掛かりもありませんし、これまでその方面の調査も怠っていましたから」
「実は、率直に申し上げますと、ジョエルを推薦したのはドナなのです」
「彼女がですか? つまり、二人は以前から知り合いだったからという事でしょうか」
「それはまず無いでしょう。私は、この総領事館の人事にも携わっています。二人の接点は、少なくとも業務に関してはありません。私的な面にしても、二人はそれぞれ別の時期に此処へ着任しましたから、極めて薄いと思います。第一、ドナがどういった立場の人物かは、既に御存知なのでしょう?」
 ドナはこの総領事館の二等書記官で、リチャードの愛人である。直接リチャードに確認した訳ではないが、あの職務に不相応な広い執務室の割り当てを考える限り、事実と見て違い無いだろう。ドナの人柄から察するに、別の男の気をうまく引きながら手綱を取るほど器用そうにも思えない。
 つまり、ドナは初めから何らかの目的でジョエルを勧誘したという事だろう。そしてそこには、入会を承認したリチャードの思惑が多分に関わっている。リチャードはセルギウス大尉を謀殺するためにジョエルを利用したのだろうか。そう考えると、一定の辻褄は合う。ただ、そもそもの動機が思い当たらない。セルギウス大尉を死に至らしめなければならない理由は、一体何なのか。
「ジョエルを殺したのは誰か。サイファーさんはそれを知りたいと思っているでしょう」
「ええ。正直なところ、疑わしい人物も少なくありません。ですから、セディアランドとして最善の選択をするためにも、真実は真実として知りたいとも思っています」
「私も真相は分かりません。ただ個人的に、ドナを疑わしいとは思っています。公使でもクレメントでもありません。彼女一人を、です」
 重ねてドナ単独である事を強調するジャイルズ。彼の立場からすると当然だが、そこまで断言するならばその根拠はあるのだろうか。
「何故そうと?」
「クレメントが此処から押収した来訪者名簿に、ドナの名前がありました。来訪理由は聴取のためとありました。公使も確かに依頼したそうですが、それはあの事件の前夜の事なのです」
「なるほど。タイミングとしては怪しいですね。しかし、それでは公使も疑わしいのではないですか?」
「公使がそのような謀議をするはずはありません。あの方は一時期、責任を取るためアクアリア軍に投降までしようとされたのですから。勿論それは我々が辛うじて抑えましたが、公使は未だに悔やんでおられます」
「だから、事件の糸を引いたのはドナの独断だったと?」
「その可能性が高いと私は思います」
 けれど、それはただの感情論でしかない。心情的にはシロかも知れないが、見方を変えれば心変わりしただけとも捉えられる。リチャードが本当にセルギウス大尉の死を悔やんだという、客観的な証拠など何一つ無いのだ。
 ジョエルに罪を擦り付けて口を封じる事は、大使私設秘書官である俺に疑われた時点で失敗だったと言える。ならば今度は、それもまとめてドナに罪を被せるつもりなのだろうか?
 クレメントやジャイルズとは違い、リチャードにとって彼女は閨閥とは何の関係も無い愛人でしかない。レイモンド家も彼女を疎んでいるとなると、機を窺い切り捨てる事もやぶさかではないだろう。しかしリチャードが、本当に簡単に切り捨てられる程にしかドナを思っていないとは、個人的には考えたくはない。これは、外交官になったばかりの俺だから抱く甘さなのだろうか。
 何にせよ、リチャードの手引きかジャイルズの独断かは分からないが、ドナを次の標的としている動きがあるのは確かのようである。
 反公使派の動きが全く分からない以上、本当は身内同士で争っている場合ではないのだが。やはり生粋の外交畑の人間達の考える事は、今ひとつ俺には馴染めそうに無い。