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 帰りの馬車は、相変わらず睨み合いの続く総領事館前に停められた。馬車を降りると、一斉に双方からの剣呑な視線が一斉に突き刺さってくる。日頃から訓練している武装した男達から一斉に睨み付けられると、襲いかかられる事はないと分かっていても、流石にたじろいでしまう。俺は馬車の兵士に一礼するや否や、そそくさと総領事館の敷地へ入って行った。
 まずは会談の報告をしなくてはいけない。多忙な公使に時間を取らせるのは気が引けるので、クレメントかドナ辺りが適任だろう。そんな事を考えながら本館へ向かい、正面玄関から中へ入る。すると玄関先のロビーには、如何にもこちらを待っていたという風体でクレメントが立っていた。
「会談は如何でしたか?」
「ああ、只今戻りました。ずっと待っていたのですか?」
「いえ。ただ、表の兵達のざわつき方で、訪問者が来た程度は分かりますから。それで?」
「収穫はありました。ゴットハルト氏とは、今後も懇意にして頂けそうです」
「良い報告が期待出来そうですね。それでは、詳しくは私の部屋で」
 クレメントと共に、本館の二階にある彼の執務室へ場所を移す。一等理事官であるクレメントの部屋は、来賓客の応対もあるためか良く整理がなされ、不快感を与えぬよう調度品も細やかに気遣っている事が分かる。その一方で、膨大な資料や書面もそこかしこに並んでおり、独特の仕事の匂いが漂っている。こんな状況になる以前から、多忙な日々を送っていたようである。
「ゴットハルト氏からは、総領事館包囲の目的、死亡したセルギウス大尉について等、様々な情報を聞くことが出来ました。そして何より、今後も会談に応じて貰えるという信頼が得られた事が一番大きいと思います」
「そうですか。使節をにべもなく追い返したりしないか不安に思っていましたが、どうやら杞憂だったようですね。交渉の余地があるのは良い事です。それで、どのような事を聞きましたか?」
「まず、ゴットハルト氏は、子息が死亡した状況に強い不信感を持っています。有り体に言えば、決闘に不正があったと。それで、加害者本人から決闘中に起こった不正の事実を公表して欲しいとの事です」
「不正、ですか」
 その言葉にクレメントの表情が曇る。彼もまた、決闘同好会の関係者である。何か思い当たる節でもあるのだろうか。
「我が会には、創立メンバーが定めた会則があります。会員はそれを厳守して決闘を行なっていると思っているのですが。確かに安全面の配慮については、性質上疎かになっていたと言わざるを得ません」
「いえゴットハルト氏は、子息の死についてはあくまで結果でしかないと考えているようです。それよりも、死に至った過程を気にされています。おそらく、彼もまた決闘というものに対して独自の価値観を持っているのではないかと」
「そうかも知れませんね。そもそも決闘同好会は、公使がアクアリアの精神文化に影響を受けて創立されたものですから」
「アクアリアの精神文化ですか? それは、決闘を奨励するものなのですか」
「いいえ、いわゆる死生観の一つです。我々セディアランド人もそうですが、大抵の人間ならば、生と死では生を取ります。まあ、当然でしょう。しかしアクアリアでは、それが逆転するケースがあるのです」
「例えば?」
「生きる事が恥となる場合、若しくは生きるより死んだ方が名誉とされる場合。彼らは、生命よりも名誉欲の方が強いのです。そのため、戦いでは過剰なほど命を惜しまず戦い、そういった者を強く神聖視します」
「なるほど。命よりも名声ですか。そういう考え方をする人種ならば、確かにゴットハルト氏の考え方も納得がいきますね」
「流石に近年は、本当に命よりも名声を優先するような者は圧倒的少数派です。けれど、軍隊という組織へ進んで身を置いた人間ですから、未だそういった価値観に囚われていてもなんら不思議ではありません。この状況はかえって良かったかも知れませんね。そんな価値観の相手と本格的に一戦交える事になれば、とても無事で居られる自信はありませんよ」
 命よりも名声を優先する。現実主義者と呼ばれるセディアランド人の端くれでもある俺には、いささか理解に苦しむ価値観である。後世に自分の名が残るとは言っても、それだけのために命を投げ出すなど到底考えられない。自分が死ぬ事で果たして何か意味があるのか、必ずそういった実利は頭を過る。実利も無く、名誉のためだけに死ぬ事が出来る。セディアランドにしてみれば、アクアリアのような国とは絶対に戦いたくはないだろう。
「それで、ゴットハルト氏の件ですが。事実確認のためにも、やはり加害者の聴取が必要になります。昨夜お話した件は、今からでも宜しいでしょうか?」
「ええ。公使から言い使った通り、既に手続きは済ませています。いつでも構いませんよ。しかし、ゴットハルト氏にお伝えするような事実は得られないと思いますよ」
「どういう事でしょう?」
「我々もまた、既に彼の聴取を済ませています。得られた事実は、既に御存知の通りです。駐在武官であるジョエルがセルギウス大尉を、決闘により死に至らしめてしまった。それだけです」
「ですが、ゴットハルト氏はそれを否定しているのです。セルギウス大尉は不正な決闘で殺された、と主張されてます。対戦相手ではない、第三者が手を下した可能性も考えていました。その辺りを細かく調査しなければなりません」
「つまり、誰かが決闘中にセルギウス大尉を不意打ちしたという事ですか?」
「はい。その根拠として、セルギウス大尉の背中についた不自然な傷が挙げられます。先方からは、検死資料の写しも頂いています。セルギウス大尉の遺体の背中には、剣ではない抉られたような傷が認められています。その実行犯の口から、決闘での不正を公表させる。それがゴットハルト氏が提示した、包囲解放の条件です」
 クレメントの表情が再び曇っていく。よりによって、そこをゴットハルト氏に突かれるのか。そんな苦々しい表情である。
「背中の傷ですが、ジョエルが止めを刺すために剣を突き立てたのだと思います。その、そういった行為は会則に反するばかりか、会そのものの原理に反する行為ですので……」
「創立メンバーがそんな行動に出た事を、他の会員には知られたくない。そういう事ですか?」
「ええ、その通りです。ですから、今まで意図的に伏せていました。サイファー殿にも、どうかこの場限りの話にして戴きたい」
「分かりました。決して他言はいたしません」
 きっと、これがいわゆる決闘での不正行為にかかっているのだろう。確かに、倒れている者への止めは、不正な行為だと咎められても不思議ではない。クレメントの表情が曇り言葉が淀んだのも、頷ける話である。
 この事を知らせれば、ゴットハルト氏は納得し包囲を解いてくれるだろうか。逆に、かえって態度を硬化させて、更にきつい要求を突き付けられやしないか。ひとまず、独断で伝える訳にもいかない以上、今は保留しておくしかないだろう。
「そうだ、一つ聞かせて戴けますか?」
「何でしょう?」
「決闘には立会人は居ないのですか? 通常決闘では、裁定をする者か、結果を見届ける役が居る者が同席すると、前に聞いた事があったので」
「ええ、確かに我々の同好会にも、会則として見届け人の同席が義務付けられています。しかし、本件に限ってはそれが居ないのです」
「居ない?」
「そうです。ジョエルは会則に則らず、立会人を付けずに決闘を行ったのです」
「つまり、現場には二人しかいなかった、という事ですか」
「そうなります。なので、我々はすぐに彼を拘束しました。他に容疑者が居ないのですからね」
 二人きりでの決闘なら、確かに他に疑われるべき人物は居ない。自然と生き残った側が犯人となるだろう。
 けれど俺は、何か言い様の無い不自然さを感じた。会の創立メンバーの一人が会則に則らなかった事、その決闘でアクアリア人の会員が死んでしまった事、これは果たして偶然なのだろうか。どこか作為的なものを感じてならない。
 もしかして容疑者である駐在武官ジョエルは、初めからセルギウス大尉を死なせるつもりだったのではないだろうか?