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午後は職員達の聞き込みに終始し、夕方には情報をまとめるため自室へ戻った。
職員達の証言から分かったのは、ドナの話した内容は大筋が事実である裏付けと、事件の詳細は誰も知らないという事だった。アクアリア軍の大尉であるセルギウスを、駐在武官のジョエルという男が剣で斬り殺した。はっきりしている事実はそれだけである。おそらくそれ以上の情報は、箝口令が敷かれているか、厳重に統制しているのかも知れない。もし知れ渡れば、総領事館中が混乱するような内容なのだろう。
更なる事件の詳細を知るためにも、現在は拘置されているという加害者のジョエルと面会し、聴取を取りたい。ゴットハルト氏との会談の準備のため、と申し入れれば、どうにか許可は得られないだろうか。
一通り得られた情報をまとめあげ、現時点までのレポートの草稿を書き上げた頃だった。不意に部屋のドアがノックされ、此処に誰が訪ねるのかと首を傾げながらドアを開ける。するとそこには、午前中に聴取を行ったドナが立っていた。
「こんばんわ。何か御用でしょうか?」
「夜分、失礼致します。公使がサイファー殿を夕食に招待したいとの事で、それを伝えに参りました」
「夕食ですか。今から?」
「ええ、今からです」
夕方からずっとレポートをまとめていたため、まだ夕食は取ってはおらず、そろそろ食堂へ行こうと思っていた腹具合である。しかし、いきなり公使の夕食へ招待されるというのは、流石に気後れがした。大使が夜会へ出席する際に付き人として呼ばれる事はあったが、当然貴賓客達と同席する事は無く、いつも決まって別室で待機している。公使のような身分の人間と同席する経験が無い俺には、気軽に返答する事はとても出来なかった。
「御都合が悪いのでしょうか。公使は是非とも来て頂きたいそうですが」
「いや、その。そういった場に出席する用意をしていませんので、かえって迷惑をお掛けするかと」
「平服で構いません。出席者は皆、そういった方々ですので」
「そういった?」
「ですから、堅苦しい場ではありません。構えずとも結構ですよ」
濁した表現だったが、それの意味する所は、例の決闘同好会の会員の集まりという事なのだろうか。
すると、必然的に―――。
「事件の続きをお話戴ける、という事ですか」
「はい、そうです」
決闘同好会の話は聞いたが、肝心の事件の詳細はまだ聞かされていない。それをはなして貰える場を自らセッティングしてくれるのはありがたいが、いささか不審にも思う。幾ら何でも考え過ぎだろうか。
「分かりました。そういう事でしたら、出席させて頂きます。その前に、手だけ洗わせて下さい。何分、インクまみれなもので」
手早く身支度を済ませた後、ドナの案内で早速会場へと向かう。
宿舎を出て、雪の降り積もった庭を通り本館の中へ入る。流石に来賓客をもてなしたり、執務室が集まる建物だけに、広いエントランスにもかかわらず部屋の中はよく暖まっていた。廊下は相変わらず何人もの職員が忙しなく行き交っていて、総領事館の業務の中心らしい風景である。
「サイファー殿、どうかあまり警戒されないで下さい」
廊下を歩いていると、おもむろにドナがそんな事を話した。
「警戒などしてませんよ」
「深くは追及いたしませんが、腰の物は今夜限りとして頂きたいのです。我々は、あなたに危害を加えるような事を画策している訳ではありませんから」
腰の事を指摘され、思わず息を詰まらせる。腰には、身支度をする際に密かに忍ばせた短剣がある。護身用に、大剣とほぼ同じ厚さで打たせた特注品だ。普通の短剣よりも嵩張りはするのだが、どうして見抜けたのだろうか。それこそ、決闘という儀式がそういった洞察力を身に着けさせるのか。
「これは、以前に満足な武器が無く難儀したためのものです。ただのお守り代わりで、他意はありません」
「そうでしたか。ラングリスでは大変だったそうですね」
わざわざ指摘してくるのは、向こうもこちらを信用していないからではないだろうか。俺もまた、自分を信用しない相手を信用したりはしない。先にこちらを信用しろ、と言うのは虫のいい話だが、今はそれくらいに慎重に事を進めなければならないのだ。
やがてドナの案内で通されたのは、本館の地下一階にある薄暗い一室だった。地上とは違い、忙しなく行き交う職員の姿も見られない。
「どうぞ」
ドアを開け入室を促される。室内は薄暗く、待ち構えられていても気付けない、という不安感が込み上げてきた。しかし、ここまで来て今更後にも退けず、意を決して最大限警戒しながら中へ足を踏み入れる。
「突然お呼び立てして、失礼致しました。さあ、どうぞ。席にお着き下さい」
室内は幾つもの蝋燭が灯されているものの、非常に薄暗く、辛うじて人の顔が判別出来る程度だった。上席に座りながら出迎えるのは、やはりリチャードだった。次いで、クレメント理事官、それから見知らぬ青年が一人、座っている。おそらく、同じ会員の一人だろう。
椅子を促され、恐る恐る空いた末席へ座る。それからドナも席に着き、これで五名が会した事になった。晩餐会と呼ぶにはいささか少人数で、この薄暗くおどろおどろしい部屋の雰囲気も、和やかな談笑を弾ませるものではない。給仕もいないらしく、テーブルには全ての料理が所狭しと並んでいる。取り敢えず、堅苦しい晩餐会ではないのは確かだ。