戻る

「まず初めに、事件が起こるまでの経緯をお話いたします。重ねて申し上げますが、くれぐれも外部には漏らさぬようにお願いします」
「分かっています。それで、その経緯とは?」
「このセディアランド総領事館は、我がセディアランド国の主権が及ぶ場所である事は、既に御存知ですね」
「国際法で決められた、国交を結ぶ際の規則でしたね。それは勿論」
「実は、当館にはとある同好会が存在します」
「同好会ですか?」
「サイファー殿は、決闘禁止法という法律を御存知でしょうか」
「確か、如何なる理由があろうと私的な戦いは一切を禁じる、でしたか。ただ、セディアランドには存在しない法律だったと思います。決闘の文化も無かったはずで」
「そうです。即ち、セディアランドでは決闘は合法という訳です。もっとも、傷害罪や重過失致死が適用されるため、違法行為には違いありませんが」
「それが一体何の関係が?」
「その同好会というのは、決闘を目的として結成されたものだからです」
「決闘を目的とした?」
 俺は思わずオウム返しに訊ねてしまった。因縁の末に決闘に至ったというならともかく、決闘そのものを目的にするという考え方が理解出来なかったからだ。
「入会出来るのは、全ての会員と一切の因縁が無い事を証明出来る者のみ。同時に三名以上の会員の承認が必要となります。そうして会員を厳選した上で、月に二度ほど、この総領事館の敷地内で活動を行います」
「活動とは、つまり決闘を?」
「そうです。もっとも、初めから殺傷を目的としている訳ではありません。真剣を用いるため怪我をする事はありますが、決して殺害が目的ではありません」
「そのため、因縁のない者しか入会出来ないという事ですか。しかし、何のために決闘をするのです? 殺傷が目的ではないとは言え、刃傷沙汰というのはいささか不穏当かと」
「言うなれば、一つの精神修養です。こればかりは会員にしか理解出来ない域でしょう」
 決闘が果たして何の精神修養になるのか。軍人は格闘技を習わされるが、それは軍務に必要だからである。俺も新人だった頃は基礎技術としてある程度は習わされた。技術体系を修めている実感はあったが、それが精神修養に繋がるかと問われれば、そんな実感は全くなかった。ただ肉体的な苦痛に耐え、徐々にそれが慣れていくだけである。
「あの、先程から話し方が気になっていたのですが。もしかして、あなたも会員なのですか?」
「ええ、そうです」
 ドナは左腕の袖を捲って見せる。そこには、手首から肘にかけて赤紫色の傷跡がくっきりと浮かんでいた。何かで抉られたのだろうか、肉が元通りにくっつかず隆起している。およそ若い女性の腕には不釣り合いな傷跡である。
「これは去年の決闘の時に、相手の細剣で出来たものです。多少縫いはしましたが、見た目ほどは酷いものでは無いんですよ。後遺症もありませんし」
 しかし、こういった傷を作っては平然としている姿は、俺にはとても異様に見えた。若い女性だからというだけでなく、そもそもこれだけ深い傷を進んで作る思考が信じ難い。
「そろそろ話を戻しましょう。こちらは、今回の事件で亡くなったセルギウス大尉の資料です。部外秘という事をお守り戴ければ、そのまま差し上げます」
 ドナは十数枚の書類をくくった束を俺に差し出した。いずれも五分十分で読み切れるような内容ではなく、かなり微細に調べ上げたものだった。俺はまず略歴だけ、ざっと目を通す。
 入隊したのは三年前、士官学校を主席で卒業しアクアリア陸軍へ入隊。最初の階級は少尉と、明らかなエリート将校である。父親はゴットハルト元中将、これも事前に聞いていた通りの情報である。幾つかの戦役を経て、中尉、大尉と順調に昇進。その後に総領事館で死亡。除隊扱いになったのは、死亡してから三日後。任務外で死んだため特進はなかったのか、階級は大尉のままである。事故死扱いにして貰い、辛うじて不名誉除隊は免れたといった所だろうか。
「セルギウス大尉が死亡した原因は、その同好会の決闘によるものですね」
「ええ、そうです。私は直接立ち会ってはいませんが、そう聞いています」
「となると、アクアリア陸軍がストルナを包囲しているのは、同好会の活動に対する抗議でしょうか」
「さあ。私は、ただの書記官にしか過ぎませんので」
 どこかはぐらかすようなドナの態度に、何か不自然さを感じる。今の話の流れなら、決闘で運悪く死んでしまった、としても何ら不自然では無かったはずだ。
「個室を与えられているという事は、あなたは公使からの信頼も厚いと思われますが。何かしらお聞きにはなっていないのですか?」
「いいえ、何も。それに個室が与えられたのは、単に私が公使の愛人というだけですから」
 驚くほどストレートな物言いに、思わず訊ねた俺の方が困惑して声を詰まらせてしまう。
「如何されましたか?」
「いえ、少し驚いただけです。公使はまだ独身だと思っていたのですが」
「サイファー殿は、閨閥というものを御存知ですか?」
「いえ、私は不勉強なもので」
「サイファー殿は大恋愛の末に結婚へ至ったと、噂では聞き及んでいますが。通常、セディアランドの外交官の結婚には制約があるのです。それが閨閥と呼ばれる、血縁関係の枠組みです。有力者一族の派閥とお考え下さい」
「誰彼と自由に結婚は出来ないと?」
「そういう事です。閨閥とは、既得権益を守るためのものです。結婚は互いの家柄などが重視され、両家から許可が出なければする事は出来ません。そのため、時には一族の有力者が相手を決めてしまい、完全に契約と割り切った結婚に至る事も珍しくはありません」
「つまりあなたは、公使との正式な交際が許されないという事ですか」
「私はセディアランドに移民した南方族の三世です。かの名門とは到底釣り合うはずもありません。ですから、自由に恋愛をするとなると、愛人という関係しかないのです。もっとも、それも気楽なものではありません。私はレイモンド家に目を付けられ、二度とセディアランドには戻れないでしょう」
 外交官も、高官になると自由な結婚も出来ないのか。自分とはあまりに違う世界の内情に、驚きと衝撃を隠せなかった。自分の場合、多少なりとも互いの意志が尊重されていた分、まだ良かったのだろう。だから、未だにあの事が噂されるのかも知れない。
「随分と込み入った話をさせてしまいました。申し訳ありません」
「いいえ、構いません。腹を割らなければ信用も得られないでしょうから。お互いに」
「私は皆さんを疑っている訳ではありませんよ。調査という性質上、そう思われてしまうだけです」
「ええ、存じております。ところで、サイファー殿はアクアリア軍のゴットハルト氏に会談を求めているそうですが」
 隠していたつもりはないが、まだ話してはいなかったはずだが。このような状況下でも、ぬかりなく情報は集めているのだろう。
「申し訳ありません。まだ打診の段階でしたので、正式な回答が来てからお話するつもりでした」
「咎め立てする訳ではありません。ただそれについて一つ、こちらからお願いしたい事があります」
「何でしょうか?」
「会談が成立したあかつきには、サイファー殿には両国間の交渉を行う使節になって頂きたいのです。そうすれば、公使はあなたに対して全幅の信頼を寄せますし、まだ話す事の出来ない事柄についてもお話出来るようになるでしょう」
 それはつまり、同好会の話には続きがある、という事か。使節を身内ではなく部外者の俺に要請するのは、身内には打ち明けられない何かがあるからとしか思えない。
「あなたも当事者の一人、なのですね?」
「確約して頂けるまでは何も話せません」
 否定はするが、おそらく当事者なのだろう。無関係なら、否定する必要すらないのだから。
「分かりました。お引き受けいたしましょう。公使にも、そのように」
 更なる面倒事を引き受けてしまいそうな取引に思えたが、現在は秘匿されている事件の詳細を知るには他に手段は無さそうである。当初の目的から離れている事ではあるが、この際は致し方無いと割り切るしかないのだろう。