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 総領事館本館は、基本的には執務を行う場所である。そのため、一通り回ってみたものの、気軽に声を掛けられそうな雰囲気の職員は皆無だった。日没と共に仕事を終えた者は帰宅し、残っているのは多忙な者だけだからだろう。
 あまり長居しても意味は無さそうなため、俺は本館から旧館へと移動する。旧館は本館の裏手に隣接しており、二階部分が連絡通路で繋がっていた。旧館は現在、主に職員達の常駐場所や休憩施設として使われており、本館より和らいだ空気だった。この様子なら、職員には話しかけやすいだろう。
 中央の大階段を降りると、すぐ脇には職員用の食堂があった。ラングリスの大使館とは違い、倍以上の広さがある部屋だったが、既に夕食を取る職員で溢れ返っていた。従事する職員が多い事もそうだが、市内があの様子では外食に行く事も出来ないのだろう。
 今日は昼食も軽めにしか取っていなかった事を思い出し、まずは自分も夕食を済ませる事にする。周囲がしているやり方を観察し、同じようにして厨房の方へ注文をしてみた。
「あれ、見ない顔ですね」
 カウンター越しに立つコックコート姿の青年が、首を傾げながらしげしげと見つめてきた。
「ああ、こちらには今日来たばかりで」
「もしかして、紺碧の都から来た方ですか?」
「ええ、そうです」
「丁度良かった! まあ、そこの席で待っていて下さい。すぐに運びますんで」
 突然とまくし立てられ、呆気に取られながらも言われた通り、手近な空いた席へ着く。周囲を見回すと、誰もがカウンターで注文して自ら受け取っており、給仕のサービスは無いように見受けられる。そのため、どうにも自分が浮いてしまった印象が否めず戸惑ってしまう。
「お待たせいたしました。さあ、どうぞ」
 程なくして、先程の青年がコックコートのまま料理を運んできた。やけに愛想良く、テーブルへ次々と皿を並べ始める。それは明らかに自分が頼んだ品目より多く、一体どういう状況なのかと問う暇もなく、青年は俺の向かいの席へ着いてしまった。
「職業柄、人の顔は良く覚えているんですよ。それに最近は、アクアリア軍のせいでほとんど人の入れ替わりがありませんでしたからね。すぐに分かりましたよ」
「はあ、そうですか」
「ああ、自己紹介が遅れました。僕はブルーノ、ここの主任を任されています」
「私は大使私設秘書官のサイファーです。よろしく」
「ああっ、サイファーさんってもしかして、あのサイファーさんですか?」
 不明瞭な問いではあったが、彼が何を問わんとしているのかは容易に推測が出来た。俺の噂は外交官の間だけでなく、拠点単位で広まっているようである。
 このブルーノという男、随分と人懐っこい性格をしているものだと、俺は内心苦笑いしていた。会話が成り立ちやすいのは良いが、反面馴れ馴れしさに辟易しかけている気持ちもある。適切な距離感を取るのが難しいタイプの人間だ。
「ともかく。何か私に用事があるのですか?」
「ええ、まあ。ちょっと」
 すると、ブルーノは周囲の様子を窺う素振りを見せるや、急に身を乗り出して声を潜める。
「僕、実は知ってるんですよ」
「知っているとは?」
「この総領事館には、秘密結社があるんですよ」
「秘密結社?」
 まさかいい大人が、そんな突拍子もない事を本気で言い出すとは。俺は面食らって眉を潜めた。
「具体的な活動は知らないですけど、定期的に集まって何かやっているようなんですよ。場所はここ、旧館の地下室です。半世紀前は牢獄として使われていたらしくて、本当に不気味な場所らしいです。何でも、獄中死した男の霊も出るとか噂になって」
 真剣な眼差しで話すブルーノだったが、俺はまるで興味が沸かなかった。どこにでも良くある、ステレオタイプの噂の域を出ていない話である。事件の調査についての足しにはなりそうもない。普段なら酒の肴にも出来たが、今は仕事で来ているため、そういった余興に付き合う心境にはなれない。
「あの事件を調べに来たんでしょう? 絶対その秘密結社が怪しいですよ。何か犯人と繋がってるはずですって」
「それより、事件についての話を聞かせて貰いたい。主観で構わないから」
「事件ですか? まあ、僕はほとんど人から聞いて知っただけですからね」
 案外話には乗せやすい。俺は気が変わらぬ内にと、早速上着の内ポケットから手帳と鉛筆を取り出し、早速話始めたブルーノの言葉を要約しなが書き留め始める。
「先月の事です。その日は早番だったので、日の出前に出勤したんですけど。旧館の中庭がやたら騒々しくて、まあ夜勤の武官達が酒でも飲んで騒いでるんだろうなって、その時は気にも留めないで仕事場へ入りました。そしたら、丁度朝食の時間辺りですか。今度は旧館の中まで騒がしくなって。館内を武装した武官達が駆けずり回るんですよ。それで何事かと思って訊ねてみたら、駐在武官がアクアリアの軍人を殺したって聞きまして。いやあ、驚きましたよ」
「殺人事件が起こったという訳ですか」
「それもありますけど、何故総領事館にアクアリアの軍人が居るのかって話ですよ。一応、ここはセディアランド主権の場所なのに」
「軍人が入館するような理由は無かったと?」
「少なくとも、僕は知りませんね。割とここは色々な情報や噂話が入って来ますけど。確か、元中将の息子さんでしたっけ? そもそも軍部との接点すら無かったと思ったんだけどなあ」
 本来、居るはずのないアクアリアの軍人が総領事館で殺された。それがストルナ市を武力占拠した切っ掛けとなった事件なのだろうが、確かに不自然さの否めない話である。セディアランド側はその事実について、どんな見解を示しているのだろうか。確かめておかなければならないだろう。
「ちなみに、殺された現場というのは何処に?」
「中庭と発表があったんですけどね。ただ、噂によるとあの地下室らしいんですよ」
「地下室?」
「秘密結社の集会がある所です。この旧館の。もしも本当なら、おかしいですよけ。どうしてわざわざ、現場を変えたんでしょうか?」
 秘密結社の集会場が殺人事件の本当の現場と言うのか。
 これが組織犯罪なら大変な事だが、俺はブルーノの話は半分に留めておいた。重要なのは二点、被害者であるアクアリア兵が総領事館の敷地内に居た事と、手を下したのがセディアランドの武官という事だ。
 まだ事実関係の確認が必要だが、これは解明にとって大きな手掛かりである。しかし、彼のような如何にも口の軽そうな人物がこの事を知っているのは、いささか不安である。きっとこの話も、誰かに話したのは初めてではないだろう。