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アクアリアの首都、紺碧の都は、海に広く面した港の多い都市だった。エリアごとに停泊する船の種類が分かれており、それぞれが分社化して業務が行われている。アクアリアは、一部の水産業を除いて、船舶の関わる事業は全て国有化されている。国家主導により海洋関連を厳格に管理しているのは、如何にも海洋大国らしい行政のあり方と言える。
船が港に着き、積み荷が次々と運び出される。俺達も遅れず、大使を先頭に下船する。波止場にはセディアランドのバッジを胸に付けた職員が二人、こちらの出迎えにやってきていた。
「長旅、お疲れさまです」
「やあ、出迎えありがとう。君達が大使館の職員かね?」
「はい。大使館へお送りするよう、言い使っております。あちらへ馬車を用意しておりますので、御家族の方々も御一緒にどうぞ」
大使を前にした緊張からか、その若い職員はやたら力の籠もった仕草で俺達をぎこちなく案内する。外交官補辺りの職務なのだろう、それならば大使という人間を天上人のように思っていてもおかしくはない。
波止場から程近い所に、待機所と馬車の乗降場が併設されている。我々はそこに止められている五台の馬車へ分乗する。荷物は遅れて宿舎の方へ届くので、我々だけが一足早く大使館へ赴く事となる。そして、やはりとは思ったが、大使とは俺が乗ることになった。大使は周囲の気を知っているのかどうか分からないが、明らかに俺へ厄介者を押し付けた構図である。
「やあ、見てごらん。なかなかいい街並みだね」
馬車が走り始めるや否や、大使は早速窓を全開にして外の風景をあれこれ批評し始める。どこで仕入れた知識なのか、街の歴史についてのうんちくをあれこれと並べている。俺はそれについて、いちいち相槌などを打って返した。
アクアリア国の首都である紺碧の都は、確かにその名の通り、街の至る所へ紺碧を散りばめた非常に美しい景観を誇っていた。思わずじっくりと眺めていたくなる衝動には駆られたが、流石に大使のようにはしゃぎはしない。それよりも、こうも目と鼻の先であれこれうんちくを述べられては、落ち着いて眺める事も出来るものではない。
「それにしても、どうやら波紋はこちらにまで来ているようだね」
そんなはしゃぎぶりが、どれだけ続いただろうか。ふと大使は、急に我に返ったかのように落ち着いた口調で、唐突にそんな事を口にした。
「急に何の事です?」
「出迎えが新人君だった辺り、ああこれは僕にはすぐに知られたくない事があるなあ、そう思ったんだよ。それと、馬車だね」
「馬車?」
「先頭と最後尾、あれは兵士が乗ってる護衛用だよ。重さが違うからね、車輪の沈み具合が違う。どうやら、大使が攻撃される可能性が杞憂ではない程度にはあるようだね」
飄々と笑う大使に、その観察眼を驚くべきか己の油断を恥じるべきか、入り混じった心境に表情が堅くこわばってしまった。
ようやく船旅を終え、今日から陸で生活が出来る。俺が考えていたのはそんな事ばかりで、大使のように周囲への観察は全く怠ってしまっていた。以前のような誘拐事件もあるのだから、まさに自分こそがこのように注意を払わなければならないというのに。あまりに迂闊である。
「申し訳ありません。全て見落としていました」
「まあ、君も早くこういう世界に慣れておかないとね。それに、視野が広くないと、捜査なんて出来ないよ?」
「精進します」
「うむ、そうしたまえ。そうそう、それでね。君にはちょっと話があったんだ。他のスタッフは抜きでね」
「話、ですか?」
「そのために、君に乗って貰ったんだよ。ルイーズの機嫌を損ねてまで」
穏やかな平素の表情ながら、大使の視線は時折射抜くように鋭くなる事がある。今がまさにそれで、俺は俄に背筋を緊張させた。
「例の総領事館での事件なんだけどさ。捜査するに当たって、君には予め注意しておいて貰いたい事があるんだ」
「何でしょうか?」
「死亡したのがアクアリア国民なのは話した通りだけど、実はその人物は現役の陸軍大尉でね」
「尉官となると、相当な地位ですね。だから、陸軍は報復に過激な行動に出た訳ですか」
「それだけじゃない。その大尉の父親がさ、陸軍の元将校なんだよ。今回の陸軍の騒動は、実質彼が首謀者と言われてる。なんせ、北海の荒鯨なんて異名を持つ人でね。気性は激しいけど人望も厚く、軍内外にも支持者が非常に大勢居るんだ」
「つまり、包囲している陸軍だけでなく、ストルナ市そのものが敵だらけだと?」
「その可能性もあるという事だね。でも、君に一番注意して欲しいのは、それじゃあないんだ」
「それじゃない?」
「陸軍が何を要求しているのかは分からないけれど、政府が隠蔽している以上、かなり強い内容のはず。私怨も少なからず含まれているだろうからね。だから、何か要求されても拒絶するようにして欲しいんだ」
「拒絶という事は、つまり交渉の余地は初めから無いと」
「いや。セディアランド側の非は絶対に認めるな、と言えばいいかな?」
そう答えた大使の表情は、何時になく凄みを帯びたものだった。
脳裏を、リチャード公使参事官の事が過ぎる。セディアランド側の非を認めてはならない、それはつまり、彼の経歴に傷を付けるなという事だろうか。
「大使、それでは―――」
「いいかい、これはね、戦争と変わらないんだよ。君が君の正義にもとろうとも、セディアランドが自ら退く選択は有り得ない。一度非を認めたら最後、今後セディアランドはアクアリアの後塵を拝する事になるからね」
事件の詳細はともかく、総領事館内で起こった事件である以上、セディアランド側にも何らかの責任が問われる可能性が高い。それを外交のカードとして使われる事が、セディアランドにとって最も避けたい状況だ。それは確かに、この世界に入って日の浅い俺でも理解出来る事である。しかし、その手段の在り方はどうなのだろうか。
「国家間の交渉なんて、初めから君には求めていないよ。君に求めているのは、もしもセディアランドにとって不都合な事が見付かったら、という事だよ。そのために、わざわざ君をストルナへ寄越すんだ。分かるね?」
正義にもとる事は決してしない。そういう人間だから、俺を私設秘書に雇ったのではないか。
だが、大使の凄みを帯びた表情は、その反論を一言も俺にさせなかった。普段なら遠慮無く意見はぶつけるのに、今はそれが許されていない、そう思わざるを得ない心境だった。
疑問や不満ばかりが募る要求である。けれど俺は、ひとまず理解した振りをし、反論せずただ素直に頷き返した。