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 悪い事は前触れも無く突然とやってくる。今までもそうだったように、その時は唐突にやって来た。
 リビングから出る足音が二つ、その内の一つは階段を登って二階へ、もう一つはまっすぐこちらへ向かって来る。
 遂に来た。
 すぐさま跳び起きた僕は、まこちゃんを小突いて揺り起こした。まこちゃんは流石に眠りが浅かったのか、すぐに目を覚まして顔を上げる。
「あかしま? どうしたの?」
 不思議そうに訊ねるまこちゃん。小首を傾げながら僕を見る様は、いつもじっと僕と目を合わせるから、本当に心が通じ合っているような気持ちにしてくれる。
 だけど、浸っている時間は無い。
 僕はまこちゃんの袖を掴み、倉庫の隅へ無理矢理引っ張った。
「ちょっと、あかしま。何よう。服が破れちゃうでしょ」
 事情を知らないまこちゃんは、すぐに僕に対して抗議してくる。だけど僕は構わずまこちゃんを引っ張った。これぐらいの引っ張りっこなら僕の方が強い。力ずくでも隅へ追いやる事が出来る。
「駄目だよ、あかしま。今は遊べないの。分かる?」
 困った顔で僕を諭そうとするまこちゃん。だけど、僕は今の状況はずっと正確に分かっている。だからむしろ、まこちゃんは知らない方が良い。僕は何も答えずそのまままこちゃんを隅に追いやると、そこから動くなとばかりに、まこちゃんが立ち上がろうとする都度小突いた。
「もう、一体何なのよう」
 何度か繰り返すと、まこちゃんは僕がここへ追いやりたい意図を分かってくれたらしく、元の場所へ戻ろうとするのを止めた。けれど、僕がこんな事をする理由が分からないから、とても不満そうな表情を浮かべる。訳を分かって欲しいけれど、僕にはそんな手段も時間も無い。
 がちゃりと戸の向こうから鍵を外す音が聞こえて来た。その音はまこちゃんの耳にも届き、ぎくりとその場で硬直する。物置へやって来るのはあの連中しかいない。多分あの時の事が頭を過ぎったのだろう、まこちゃんの表情が見る見る強張って行く。
 僕は戸の前へ進み身構えた。勝負は戸を開けたその瞬間だ。こちらの様子を察知される前に急襲して、不意を打たなければならない。機先は今後の展開を想像するにとても大事な事だ。
「あかしま、危ないからこっち来て!」
 まこちゃんがトーンを落としつつも険しい口調で僕に言う。しかし僕は、まこちゃんの声など聞こえていないかのようにその場から動かなかった。
 やがて鍵が外された戸に手がかけられるも、どこか引っ掛かっているのかがたがたと揺れている。僕は最後にもう一度だけまこちゃんの方を見た。まこちゃんは部屋の隅にいたまま、僕に向かって手を伸ばしている。その姿を良く焼き付け、僕は視線を戸へ戻した。
 そして。
 引っ掛かりの取れた戸が、勢い良く乱暴に開かれる。開いた戸の間から、廊下の照明の眩しい光が物置の中へ入り込んで来る。その逆光の中を遮るように人影が立ったのが分かった。僕はその輪郭と狙いを確認し、自分の体重が後ろへかかるのを意識しながら体を低く沈めて引き絞ると、人影が物置の中へ踏み出すのと同じタイミングで飛び出した。
「おい、ちゃんとおとなしくして……うわっ!?」
 僕の狙いは右腕。習った通り、手首を目掛けて思い切り掴む。普段なら加減するのだけれど、今だけはそのまま潰してしまうぐらいの勢いで力を振り絞った。
 不意を打たれて悲鳴を上げ蹌踉めく男。僕は奇襲の成功を確信し、今度は右腕を掴んだまま体重をかけて下へ引っ張る。既によろめいていた男は、敢え無く自ら向かうように後ろ側へ倒れ込んだ。相手が倒れても油断はしない。すぐに僕は自分の位置取りを変えて、男の右腕に絡み付いた。無論、掴んだ手首は絶対に離さない。より力を込めて男の手首を押さえ付けると、滲み出た血の嫌な臭いが口から鼻にかけて通り抜ける。それがより僕を奮い立たせた。
「うわあああっ! くそっ、この、畜生! 何しやがる!」
 まさか僕に攻撃されると思っていなかったのだろう、男は慌てふためきながら左腕で無茶苦茶に僕を殴ったり引っ張ったりする。だけどその程度で僕は離したりはしない。何をされても絶対に退かないだけの覚悟を決めている。
 男の腕はしっかりと押さえつけている。体重差はあるものの、一度転がせばこちらが遥かに有利で容易に起き上がる事も出来無くなる。特に今のこの男は腕の痛みで慌てているから、尚更冷静に重心を戻して起き上がろうとする事は出来ない。全部、習った通りの状況だ。
「おい、どうした!?」
 程無く、この騒ぎを聞き付けてリビングから連中の仲間が飛び出して来る。連中はこの状況を見てすぐ血相を変えた。
「助けてくれ! 物置に入ろうとしたら、こいつが急に飛び掛かって来て!」
「よし、待ってろ。くそっ、こいつめ、おとなしくしろ!」
「痛ッ! ちょ、おい、待て! 無理矢理引っ張るな! 腕に食い込んでるから先に口を開けさせろ!」
「でもこれは素手じゃ外せねえぞ。くそ、早く離せよ!」
 連中は何とか僕を引きはがそうと、体を引っ張ったり、あちこちを殴ったり蹴ったりしてくる。特に僕の頭や顔を集中的に狙って来た。既に体中が痛い僕にこれは堪えたけれど、男を押さえる力は少しも緩めなかった。もう自分の体は放り捨てているようなものだ。
「くそっ、駄目だ。全然離しやがらねえ」
「何か棒のような物を持ってきて、無理やりこじ開けさせよう。何かないか?」
 すると、押さえている男が左手で自分の体をまさぐり何かを取り出す。
「もういい! こん畜生は殺してやる!」
「おい、落ち着け! 銃は駄目だ! 機動隊が突入して来るかもしれない!」
「うるさい! こっちはもう右手の感覚が無くなって来たんだ! 絶対に殺してやる!」
 遂に痛みに耐えかねたのか、押さえつけていた男が半ば自棄になった口調で銃を振りかざした。そして僕の脇腹に、金属の冷たく固いものがごりっと当てられる。銃口だ。そう認識した途端、一瞬身が縮こまるような恐怖感を覚えた。
「待て! 駄目だ、やめろ! やるなら先に人質を―――」
 仲間の一人の訴えの途中で、男は引き金を引く。
 直後に聞こえて来たのは、耳に突き刺さるような鋭い破裂音だった。だけど同時に、体の中を鈍く低い別の音が駆け抜けるのも聞こえて来た。一体どちらが銃声なのか、聞き慣れていたはずの僕はすぐに判断が出来なかった。