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警察が来てから随分時間が経つ。初めは少し会話をしていたようだけれど、それきりぱったりと止んでしまって音沙汰も無くなってしまった。パパさんが来たから、あの連中なんてぱぱっと追い出してしまうはずじゃなかったのか。そう期待していた僕は、何の進展も無いまま時間だけがただ過ぎて行く事にじれったさを覚えていた。
外は今どんな様子なのだろうか。連中は何を企んでいるのか。とにかく状況が見えない事にはどうにもならず、僕は物置の外で起こっているであろう事全てが気になって仕方なかった。
物置の隅ではまこちゃんが、膝を抱えるようにして座りながらうとうとしている。夕飯も食べていないのでお腹が空いてたまらないと言っていたけれど、普段ならもうとっくに寝ている頃だから、眠気の方が空腹に勝ってしまったのだろう。僕もお腹も空いて疲れてはいるけれど、まだ体中が痛くて仕方ないし、緊張し過ぎて眠る気にもなれない。
何もする事も出来る事も無いので、取り合えず僕は物置の戸の前に座って外へじっと聞き耳を立てた。何か分かりそうな事が聞こえてくるかもしれないし、物置へ近づいて来る連中の警戒も出来る。けれど、話し声くらい聞こえるだろうと思って期待していたのに、連中は何をしているのかそれらしい物音を聞き取る事は出来なかった。リビングの辺りに居る気配は確かにする。けれど、よっぽど小さな声で話しているのか、内容まではっきりと聞き取れない。小さな声で話しているという事は、警察と話はしていないのだろう。若しくは、今はリビングでくつろいでいるのかもしれない。連中の匂いが残るのは、いささか不愉快である。
外の様子も分からない上に知ることも出来ない。自分でどうする事も出来ないそんな状況を歯痒く思っていた、そんな時だった。
突然音域の高い耳障りな音が聞こえて来た。これは電話の呼び出し音だ。音そのものは聞き慣れているけれど、いつも何の前触れも無く聞こえて来るから、どうしても反射的に身構えてしまう。僕はこういう不意を打つ高温が苦手だ。
「あかしま? どうしたの?」
反射的に身構えた僕が出した物音で、まこちゃんが眠そうな顔を上げた。電話の呼出し音は物置の中まで響いて来る。まこちゃんは一度僕の方を不思議そうな顔で見、その後に電話の呼出し音を聞いて微苦笑する。
「電話が鳴ってるだけだよ。気にしなくて大丈夫」
それは分かるのだけれど、あの音にはどうしても反射的にこうなってしまうのだ。それをまこちゃんに説明したいのだけれど、うまくする事は出来ない。
誰も取らないのか、それとも誰もいないのか、その電話の呼び出し音はしばらく長々と続いた。そろそろかけている人も諦めるんじゃないかと思い始めた頃、ようやく誰かが受話器を取ったらしく呼出し音が止んだ。何か取り込んでいたのか、それともわざと相手を焦らしていたのだろうか。
『……そうだ、代表者は私だ……ああ、うむ、ああ……』
受話器を取って話す声、それは玄関で僕を蹴ったあの男のものだった。あの男がこの連中の代表という事らしい。
男の口調は玄関での時とは真逆で、ぼそぼそと小さな声で呟くようなものだった。言葉選びにも良く躓き、喋り方がどこかたどたどしい。相手に緊張しているのだろうか。
『駄目だ、その要求は飲めない。人質の交換もだ。まずはそちらが我々の要求を飲んで貰わない事には……うん、いや、それも駄目だ。全員だ。それに関しては一切妥協する事はしない』
人質とか要求とか、そういった言葉の意味は、前にいた所で大まかに理解しているつもりだ。多分、電話をかけてきたのは警察の誰かだろう。人質交渉をしているのだろうけれど、やはりいきなりでは応じる事はしない。
『……そうだ、その通りだ。我々の主張は終始一貫しているはずだ。不当に逮捕された我々の同士を……起訴中? そんな事は知らない。警察が解決すべき問題だ。手続きだとかそんなもの、首相なり法相なりが動けばどうにかなるはずだ。それくらいの権利があるのは知っているんだぞ』
男が繰り返す連中の要求というのは、どうやら警察に捕まった仲間を返せというもののようだ。けれど、警察に捕まったのはどうせ悪い事をしたからに決まっている。そして、それを返せと言っているこの連中も、今まさに家の中へ勝手に入って来て占有し、まこちゃんを虐めたりしている。捕まるべくして捕まったような連中を返せなど、言い掛かりもいい所だ。
『とにかく、期限は明朝の日の出までだ。それまでに要求が果たされなかった場合はどうなるか、過去の事例を思い返してみることだ。我々の闘争は勝利まで一分の妥協も許さないぞ』
ここで交渉は終わりとなった。最後はやや苛立ったような声色で早口にまくし立てると、一方的に受話器を置いてしまった。がちゃりと立てた音まで物置の中へ伝わって来る。
警察は連中との交渉がまだうまく出来ていないようだ。もっとも、まだ始まったばかりだから、今後の展開でどうなるかにかかってくる。それよりも気になるのは、男が最後に早口でまくし立てた言葉だ。過去の事例とは一体何の事なのだろうか。それが明日の朝の期限と言っていた。明日の朝になったら何かが起こるのだろう。そして、それは警察に対して脅しのようになる事なのだろうか。
一体何の事なのかは良く分からない。けれど、何だか良い予感はまるでしなかった。