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 その朝、僕はいつになく自分を戒めながら登校した。
 昨晩、冷静になって自分を見つめ直したのだが、どう考えても僕は彼女の説得よりも彼女に教えられる事件の方に興味が傾いて来ている。特に昨日などは酷かった。最後など形的には彼女に言い包められたと評されてもおかしくは無いくらいである。
 自分がやらなければいけない事をあえて整理する。
 一番大事な事は、彼女に人殺しなどという馬鹿げた事を止めさせることだ。まず、子供の浅知恵では大人相手に太刀打ちなど出来るはずも無く、また相手が誰なのかどれだけ恨んでいるのかは知らないが、僕に相談するほどの良心があるのなら絶対に実行時に躊躇ってしまう、という事を理解させなければならない。
 そんな目標の羅列もそうだが、とにかく今日は普段よりも強く言ってやろうと、学校が見える頃には強く力み意気込んでいた。今日は必ずいつもより一歩踏み込んだ対話をする。その揺ぎ無い決意に自然と足取りも力強くなる。
 普段通りの時間に教室に入り、またいつものようにランドセルを置きながら横目で彼女の姿を探す。しかし教室には数人のグループが二つあるだけで、彼女の姿は見当たらなかった。
 普段彼女は僕よりも先に登校しているはずなのだが。今日は寝坊でもしているのだろか?
 どことなく出だしから躓いた気分ではあったがそれ以上気に留める事はなく、僕はいつものように校庭にいる友人達の元へ飛び出していった。それから朝会が始まるぎりぎりの時間に教室へ戻ってきたが、彼女の姿は相変わらず無かった。朝会が始まっても先生もその事について何も言わず、他の誰も訊ねようとしない。先生はどう考えているのかはさておき、その取っつき難さから彼女はクラスであまり快く思われてはおらず、たとえ今日登校してきていなくとも誰も問題を感じないからだろう。だから僕も皆と同様に質問する事が出来なかった。
 僕の座る席の列の後ろの方が彼女の席である。そこが空席であっても、いつものように物事は進んでいった。むしろ違和感を感じているのは僕だけだと思う。給食の時や掃除の時も、今日は空の彼女の席も他と同じように運ばれる。何故、その事に誰も違和感を感じないのだろうか。違和感を感じる僕の方がおかしいのか、それともみんなそうと知っていながら敢えて気づいていない振りをしているだけなのか。
 みんなの初めから彼女が存在していなかったかのような振る舞いには、胸を締め付けられるようなやりきれない気分にさせられた。彼女と話すようになる前、一体僕は普段どう過ごしていたのか思いだそうとしたけれど、何一つ思い出す事が出来なかった。つまりそれまでも、僕にとって彼女はそういう存在で、今こうして思い悩んでいる姿こそ異常なのだ。
 それとなく周囲の噂には耳を澄ましていたが何一つ情報は得られる事無く、僕は放課後を迎えてしまった。結局、彼女は学校へ来なかった。休んだ理由は誰からも伝わらず、先生も何も口にはしない。噂すら立たなかった。それが当たり前だという空気に違和感を感じてならない僕は、友人達の誘いも断りそのまままっすぐ自宅へ向かった。
 帰路の最中、ある予感が頭を過ぎった。
 まさか彼女は、とうとう実行に移してしまったのだろうか?
 一体相手は誰かは知らないが、小学生にそんな大それた事が出来るはずがない。それに、今日はそういった血生臭い事件の噂など一つも聞いていない。こんな狭い田舎の町だから、警察沙汰になろうものなら必ず僕達子供の耳にも入ってくるはずなのだ。
 なら、彼女は実行に移したものの、失敗し最悪の結末を迎えた? クラスメートは単に彼女に対する興味が無いだけだろうが、先生には何かしらの連絡は行っているはず。ただそれが子供達にはすぐに伝えられないような内容であるため、今は敢えて何も説明しなかったとも考えられる。
 縁起でもない想像を頭に張り付かせ、僕は帰宅後も不安に苛まれて続けた。しかし両親が帰宅してからは普段通りに振る舞い、夕食は普通に食べて、宿題もきちんと済ませ、いつもの時間に眠ってしまった。夢の中で、形だけ不安がっているのかと意外に薄情な自分を皮肉ってみたが、それも朝に目を覚ますと同時に忘れてしまった。
 意外なほど彼女の存在は僕の中で大きなものではないらしく、昨日あんなに頭を悩ませた予感も一晩経てば簡単に消化してしまえる、自分の割り切った態度に納得がいかなかった。しかしそれすらも、家を出る頃にはほとんど気にならなくなり、いつしか頭の中は今日の放課後の予定を考えるようになっていた。だから、むしろ彼女の事を意識的に気に留めておくよう、わざわざ昨日の不安を掘り起こしてまで頭の片隅に置くようにしなければならなかった。
 昨日よりも軽くなった不安を頭に張り付けての登校。彼女は来ているかと軽く考えながら教室へ入ると、そこには意外にも既に彼女の姿があった。
 一時は最悪の連想もしただけに、まずは彼女の無事を僕は素直に喜んだ。けれどただ一点だけ、普段と異なっている部分があった。
 彼女は左目に眼帯、左頬にガーゼを当てていた。