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 屋敷の中には幾つか広間はあったが、通されたのは一番広い所だった。およそ五十畳はある青畳の和室で、一番には掛け軸と壺が飾ってある、金持ちの和室と言われて俺が真っ先に想像するそれと同じだった。
 俺が座らされたのは、一番奥より一つ手前、上座の真向かいである。上座には祖母が座り、そこから目上の順に上座と相対する形に並んで座って行くのだろう。その様は、時代劇にあるような殿様に謁見する家臣の構図と同じである。
 水野さんは部屋の隅へ静かに腰を下ろした。いつものことだが、補佐的な立場であるためかあまり自ら存在感を示す事をしない。発言力が無い訳でもないはずだが、矢面に立つ事を避けているのだろうか。もしくは、自分はでしゃばってはならないと遠慮しているのだろうか。
 程なくして、部屋には数名の男女が入って来た。それはいずれもどこかで見覚えのある顔ばかりだった。確か商店街のどこかの経営者だったと思う。彼らはこちらを見て軽く一礼、そしてそれぞれがやや離れて座った。
 それから続々とやってきたが、集まったのは商店街からだけではなく、実に多種多様な顔触れだった。海辺の釣り場で良く見かける顔、見るからに独り歩きの困難そうな老人、学校の教師やその関係者、その上同じクラスの面々までいる。老若男女、白壁島の住人が勢揃いと言っても良いような顔触れである。しかし、誰もがこちらを見て軽く一礼するだけでそれ以上の事はなかった。その妙な素っ気なさは、特に普段から親しくしている人達にとっては不自然に思えてならなかった。緒方家の屋敷の中だからおとなしくしているのかとも思ったが、うつむけて視線すら合わせようとはしないのは明らかにおかしい。
 急に疎外感を覚え始め心細くなってきた。人の輪から自分だけが外されたような感覚である。
 そんな時、不意に後ろから肩を叩かれた。驚いて振り返ると、そこには菊本の憮然とした顔があった。そのまま菊本は無言で俺の隣に腰を下ろす。
 妙な気分だった。普段は菊本に対して、こちらから絡む事はあっても向こうから絡んで来る事はほとんど無かった。そして絡む時は決まって何かしらいちゃもんを付ける時である。どちらかと言えば嫌われているのだろうと思っていたが、そんな菊本がこういう行動に出たのは、驚く一方でどこか嬉しさが込み上げてくるものがある。
 それから間もなく悠里が現れた。悠里もまた無言ではあったが、こちらにはいつもの意味深な笑みだけを浮かべてそっと反対隣に腰を下ろした。何も言わないが、所作は何から何まで普段と変わりがない。
 これで心細さが和らいだ。俺は自分に落ち着きを取り戻させ、雑念を追い払った。どうせここで細々と考えていても何も解決はしないのだ、余計な事を考えずにどっしりと構えているべきである。その方が、いわゆる当主らしさがある格好だ。
「大体集まったが」
 最後に、どこか不機嫌そうな口調で祖母が現れた。目の前を横切る際に何かを言おうとして腰を僅かに浮かす。しかし祖母はじろりと視線を向けると、じっとしていろと言わんばかりに俺の顔を睨みつけた。
 祖母の視線にどこか息の詰まるような嫌な感じを俺は覚えた。祖母に叱られた事も無いため、強く出られた事に驚いただけかもしれない。しかし、俺の顔を見て睨んだ事がいつまでも頭を離れなかった。本当に戒めるつもりだったのか、とそんな疑問さえうかんでくる。
 だがその疑問も束の間、少しおかしな事が起こり気がそちらに向けられた。祖母は上座に向かいそこへ腰を下ろしたのだが、その位置がやけに右寄りだったのだ。当主代行である祖母が上座に座るのは当然として、何故いつものように真っ正面に座らないのだろうか。けれど、周囲の雰囲気はいたって変わりは無かった。まるでそこへ座るのが当然という様子である。
 一体どういう事なのか。
 そんな中、俺はふとある事を思い立ち周囲を見渡した。だが、どこを探してもそこにはあるはずの顔が見当たらなかった。そう、これの一番の当事者であるはずの成美である。
 目の前のことを良く飲み込めないまま、更に事が始まるのを待ち続けた。単に、誰かに、それこそ祖母に直接訊ねれば良かったのかもしれない。けれど、俺はそれが出来なかった。この何とも言えない張り詰めた空気がそれをさせてくれなかったのだ。しかも、祖母のいつになく真剣と言うよりもむしろ鬼気迫った感のある表情に、迂闊な行動を取れば自分だけでなくその周囲にまで飛び火させてしまう、そんな危惧も抱いていた。あまり動かない方が良い。結論はそこになる。
 しばらくして、ようやく最後に成美が現れた。
「お待たせしました」
 そう言った成美は極自然な足取りで上座へ向かうと、そのまま祖母とは反対の左寄りに腰を下ろした。
 俺は怪訝に眉をひそめ成美の顔を見た。すると成美はこちらを真っ向から直視し、一瞬微笑んだように見え、そして普段とは比べ物にならないほど真剣な表情になった。なんとなくその凄味は祖母に似ている気がする。そう俺は思った。