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 帰路に付いたのは昼食を終えて間もなくの事だった。
 帰りのバスの中で俺は、妙な疲労感を感じていた。半分は慣れない河原を登っていった事での単純な疲れ、もう半分はひたすら拝み倒す浩介を説き伏せるために要した精神的な疲れだ。
 浩介は一応は納得してはくれたものの、未だ申し訳なさそうな雰囲気だった。どうしても成美に告げ口してしまった事で俺が気分を害したということから離れられないようである。成美同様に浩介も俺の軽薄な行動を不安がってしまうのは理解出来るのだが、それほど気に病むのであればどうして今まで黙って素知らぬ顔をしていたのだろうか。それが疑問ではあったが、浩介もまた色々と板挟みになってやむにやまれぬ事情があるのだろう。そう解釈する。
 昼食に食べた後にも浩介はまた何匹か鮎を釣り上げた。それらも同じように血抜きをし、クーラーボックスの中へ氷と一緒に納められた。川の水を汲んで生きたまま持って帰った方がいいと思ったが、狭い所に一緒に納めておくと喧嘩をして体を傷付ける事があるらしく、あまり良くないそうだ。魚にも随分気性の荒い種類があるものである。
 帰りのバスの中は他に乗客は無くがらんとしていた。他の釣り人はまだあの川で釣りを続けている。まだ帰るには早い時間帯なのだろうが、浩介は日が暮れるまで粘る訳にはいかないそうだ。
「夏場は何回か釣りに行くの?」
「はい、何も予定が無ければ。でも自分、大概は海釣りなんで、川は一回か二回です」
「やっぱ大物は海じゃないと釣れないもんなあ。鯛とか釣ったりしたよね」
「そういうのになりますと、季節もそうですがやはり沖の方に出ないと釣れないですよ。真夜中に釣り宿に行って、朝三時に出港するような感じです」
「うわ、それまだ夜じゃん。やっぱでかいのを釣るとなると、相当労力いるんだなあ」
 多少右往左往はしたものの、浩介とは普段通りの会話をしながら家路を向かった。あそこまで追い詰められたのだから、しばらくはまともに会話出来ないほど引き摺るのではないかと懸念していたが、どうやらさほどでもないようである。かえって早く立ち直ってくれた方がこちらも気が楽である。
「あの、裕樹様。一度成美さんとお話してはどうでしょうか?」
「話? 何の話?」
「その、事実確認と言いますか、その」
「要するに、いつも通り気安く話せるように折り合いつけろって事かな?」
「あ……その……なんか、そういう感じで」
 浩介ははっきりと肯定はしなかったものの、俺の言った事で図星だとばかりにうろたえ気味の表情を浮かべた。浩介もこの微妙な距離感が気になっているのだろうか。そして、ここで答えた事はまた成美の耳に入るのだろうか。そう思った。
「それと、もう一つ。差し出がましい事なのですが……裕樹様は、成美さんと悠里さんとどちらが好きなのでしょうか?」
「君はなかなかデリケートな質問をズバリ訊くね」
「あ……すみません」
 本当にに差し出がましい事だ。思わず苦笑いが込み上げて来る。本来は謙遜の意味で使う言葉なのに、浩介は言葉通りに受け止めているのだろうか。それとも、ただただ純粋に気になっているから訊いてしまったのか。どちらにしても、深刻な質問をするような態度ではない。
「なんでまた、急にそんな事を訊くの?」
「自分、そこら辺に問題があるんじゃないかなって思ったんです。成美さん、良く裕樹様や悠里さんの事を口にしますから」
「あのね、だからと言ってそういう誰か人を限定して好きかとか簡単に訊くもんじゃないよ。両方好きって言えば人を軽く見られるし、嫌いって言えばいけ好かないって思われる。どちらかを選べば、じゃあもう片方は嫌いなんだね、って勝手に解釈される。どう答えても角が立つんだよ?」
「そ、そうですか……」
「だからね、俺はこう答える。両方好き」
「それでは、軽んじられるのでは?」
「そうだよ。まさか、俺を見て謹厳実直な人間だって思う人なんかいないでしょ? ケーキに少しくらいクリーム足したって大差ないよ。そういう事。分かった? 分かったなら、もうそういう質問は軽々しくするもんじゃないよ」
 はい、と力無く答え浩介は俯いた。軽率な質問をした自分を悔いているのだろう。だが、うまく質問をうやむやにする事が出来た。そんな浩介の萎縮した表情を見て安堵する。まさか浩介にこんなシビアな質問をされるとは思ってもいなかっただけに、額には嫌な汗が吹き出ていた。こちらが動揺している事を悟られぬよう、こっそりと額を拭った。
 浩介は良く恐縮する割に、意外と俺には気安くないだろうか?
 だからどうだと言う事でもないが、些か軽んじられているように疑いたくなってしまう。それに、今のような困窮する質問はあまり好ましくない。
 口が軽い訳でなく、単に馬鹿正直なのかもしれない。悪気は無いが結果的にそうなってしまうようなタイプだ。そういった意味で、浩介にはもう少し言う事を選んでおいた方が良さそうだ。そう思った。