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「裕樹様、縁様がお出でになりました」
 朝食後、のんびりとお茶を飲みながら祖母と雑談をしていると、昨日と同様に使用人の一人がそれを伝えにやってきた。
「それじゃあ、祖母ちゃん。俺、行ってくるね」
「はい、気をつけてな。ちゃんと勉強してぐんだぞ」
 急いで自室へ向かいカバンを引っ掴んで玄関へ降りる。そこではまたしても使用人達がずらりと並んで見送りの態勢を取っている。そして一段下がった出入口に、悠里が笑顔を浮かべつつも無言で一礼する。
「お待たせしました、悠里さん。では行ってきます、と」
 俺もまた昨日と同様に、素早く靴を履いて慌ただしく玄関を後にする。いってらっしゃいませ、と大号令が僅かに遅れ背中へ響く。どうにも朝のこのイベントはむず痒くて慣れる気がしない。
「やー、朝から騒がしくてすいませんねえ」
「緒方の御子息でしたら、見送りもああであって当然でしょう?」
「中流家庭で育った俺には分かりませんよ。極道映画のワンシーンみたいだし」
「だって、裕樹君たら酷いわね?」
 そうおもむろに悠里が視線を俺の背後へ向けて問い掛ける。振り向くとそこには、ばつの悪そうに俯く成美の姿があった。
「あ、いやね、別に他意がある訳じゃないんだよ?」
「無かったのなら、一体どういう意味なのかしらね? 成美ちゃん」
「ちょっと、煽るのはやめて下さいよ、悠里さん」
「いえ……見上さんがお嫌という事でしたら、私の方から相談してみますので」
 そうか細い声で言って、成美は更に俯いた。
 今日は病み上がりの成美に余計な気遣いをさせないつもりだったのだが。迂闊な事を口にしたばかりに、早くも問題を抱えさせてしまったようである。
 昨日と同じ登校ルートを、今日は三人で歩く。商店街に入ってからも行き交う人々の数や、彼等が向けてくる視線は相変わらずで、こちらは二人連れていると言ってもさほど状況に変化は無い。むしろ、都会から来たばかりの他所者が調子付いて女を連れ立ってると見られているかもしれない。そうなると、案外菊本の反応は自然なものではないかと思えてくる。
 通学用のバスプールまでやって来ると、今日も既に数名の生徒が並んでいた。俺達に気づいた視線は幾つかあったものの、どれもがそっと気づかない振りをして伏せるか、もしくは時折ちらちらと興味本位の視線を向けるだけに留まる。初め興味本位で見られる事はあまり良い気分ではなかったが、大分慣れてきた感がある。それよりも、直接絡んでくるタイプの方が遥かに厄介だという事を知ったせいもあるだろう。
「裕樹君、きょろきょろしてどうしたの?」
「いや、今朝は菊本がいないかなと思って」
「きっと時間帯ずらしたと思うわよ。そういう奴だから」
 向こうから突っ掛かっては来るものの、自分から積極的にからんでは来ないのか。
 ならば藪を突かなければ大丈夫だろう。そう安堵し視線を戻す。すると成美はいつもの上目使いで控えめに口を挟んだ。
「あの、見上さん。菊本さんは先輩に当たる訳ですから、呼び捨ては止めた方が良いと思います。そういう事には細かい方ですから」
「え、そうなの? 自分はあの態度で、人にはそれなのかよ」
「人間が小さいのよ。意気地も無いくせに、やたらそういう見栄は張りたがるんだから。そんな事よりも成美ちゃん、体の具合はどうなの?」
「もう大丈夫です。悠里さんには色々と御面倒をおかけしたみたいで」
「あら、いいのよ。私は好きでしているんだから」
「え? 好きと言いますと……」
「さあ? そのまんまよ」
 悠里の思わせぶりな言動に成美は困窮する。悠里は普段通りの笑顔で自然なそぶりだが、おろおろする成美と対比すると、何かしら裏があるようにも取れる構図に見える。
 初対面の時からそうだが、悠里は時折思わせぶりな態度を取る事がある。あれは俺に対して何かをはっきり言わせたいから取っている態度だと思っているが、成美にも取っているのならば多分本人の癖なのかもしれない。立場上、簡単に相手に胸の内を見透かされないようにするためなのか、はたまたとにかく人目を引き存在感を誇示するためなのか。
 今は何を言い含んだのだろうか。
 全く気にならない訳ではないが、女同士のこういう雰囲気の会話は少し苦手だ。当事者ではないのに胸から股下にかけてをえぐられるような感覚がして、嫌な汗が出て来るのだ。
 微に入ってまで汲み取る気にもならず、俺は一人視線を外した。