BACK
出ていったと思ったばかりのソフィアがすぐに戻ってきた事で、オーボルトは何の気無しに振り返った。しかしソフィアが蹴破らんばかりの勢いでドアを足で閉めたため、その大きな音に驚き首をすくめ慌て始めた。
「あ、あの、何かあったのでしょうか……? 痴話喧嘩は良くないと、はい……」
「違うってば。ったく、あいつにはもう付き合い切れないわ」
違うと否定はしても明らかに苛立っているソフィアに、オーボルトは恐る恐る様子を窺いながら訊ねる。
「それでは、一体何が……?」
「丁度清々したところよ。あーすっきりした。今夜は普通の宿に移るわよ」
「え? でも、まだここに移ってきたばかりでは」
「状況が変わったの! わざわざ言わせないでくれるかな、そういう分かり切った事をさ」
事情は分からないが、とにかくソフィアは苛立っている。大声を出すのは苦手だが出される事も苦手なオーボルトは、とにかく下手に刺激してはならないと口を噤んだ。
ソフィアは苛立ち紛れに当たり散らしながら自分のカバンを取ると、ぶつぶつ愚痴をこぼしながら荷物をまとめ始める。その姿を見てオーボルトは本当に移動するのだと息を飲むが、その理由は問うことは出来なかった。
「それで、グリはどうなの? 何か変わった事は?」
「いえ……ずっと熱にうなされたままです」
「そう。じゃあ先にグリをどうにかしないと駄目ね。そのままじゃ宿も泊まれないし船も乗れないから。医者か生物学者でもいれば何とかなるかな? いや、それ以前に当面の滞在先を見つけないと」
今ひとつ把握し切れていないオーボルトは怪訝な表情を浮かべるものの、下手に反対の意思を示してはとばっちりを受けると思い追随するような笑顔を浮かべて誤魔化す。
「ところで、オーボルト。先に確認しておきたいんだけどさ、あんたの兄二人はどうなろうと本当にいいのね?」
「ええ、はい……。どうせグリエルモ様の敵ですから。それに私はグリエルモ様と生涯を共にするのですから、竜族とは縁を切ろうと思っていますし」
「そっか。じゃあ、今日の夕方ぐらいに政府の人が引き取りに来るから、黙って見送って」
「はい、分かりました」
「それと、そいつらはあんたにも何か交渉してくるだろうから、全部断って。面倒になったら姿変えてもいいから」
「よろしいのですか?」
「分かったの? 分からないの? どっち?」
「は、はい、分かりました……」
一体これから何が起こるというのか。
自分の知らないところで状況が進展しているという予感はあったものの、オーボルトはひとまずソフィアに言いつけられた事だけをしっかり脳裏に焼き付けた。これから何が起ころうとも、グリエルモと我が身、ついでにソフィアを物理的に守っておけば後は何とかなるだろう。そう竜族らしい思考で納得していた。
「さてと、荷物も片付いたし、後はグリ次第ね」
ソフィアはグリエルモの横たわるベッドの、オーボルトの反対側に立った。
「グリ、大丈夫? 具合はどう?」
『アア……モシモ天使ガイルノナラ、ソレハキットコンナ声ダト私ガ言ッタ』
グリエルモは相変わらず高熱が続き、意識も朦朧として酷くうなされている様子である。声は聞こえなくはないものの、ほとんど外部の出来事は理解していそうにない。もっとも、これまでグリエルモが自分の周囲の出来事を正確に理解したためしなど一度として無いのだが。
「水、飲んだ?」
「はい、先程少しだけ。私が、その、口移しで……」
「そ。しかし随分酷い熱ね。竜って病気したりするの?」
「弱い竜なら時々……でもグリエルモ様は竜族の中でも最強の竜です。病気なんて考えられません……でした」
確かにグリエルモは以前にも、自分は生まれてから一度も怪我や病気にかかった事がないと言っていた。事実ソフィア自身もグリエルモがそういったものにかかる所を見たことが無い。それだけ頑丈なグリエルモがこうなってしまったのは相当な異常事態であって、それこそ解決策などそうそうあるものではないのではないかという不安感も感じられる。
「解熱剤ぐらい飲ませたいけれど、効くかなあ。猛毒すら飲んでも平然としてるんじゃ、人間用の薬なんか飲ませてもねえ。竜用の薬って何か無いの?」
「えっと……雄用のものでしたら、グリエルモ様のために一つだけ持ってますけど」
「何の薬?」
「えっと、その、こう、興奮するためにといいますか……」
「論外」
しかしそれはそれで稀釈すれば中高年の男性に売れるんじゃないだろうか、という考えが頭を過ぎったが、すぐにそれを取り払い現状に集中する。
「仮に弱い竜が病気になったらどうするの?」
「大抵は寝ていれば治ります。それでも駄目な場合は親族や親しいものが集まりまして、励まします」
「励まして治すって……頑丈な生物は気楽よね」
幾ら何でもこんなグリエルモの病状が励ましただけで治るとはとても思えない。竜族はあまりに頑丈な生物だから医学的な分野は発達しなかったのだろう。しかし、このままではグリエルモの命に関わってくる。治療手段が見つかっていないのなら見つけ出す以外に他無い。
「で、ですが、竜族は非常に繊細な心理構造をしていますので……」
「いいよ、別に。そういう講釈は」
「そ、そうではなくてですね……? 竜は非常に精神に左右されやすいので、励ますという治療は治癒能力を高め回復を促すのに絶大な効果があるのです」
「ふうん、つまり本人が弱気にならないような事を言ってあげればいいんだ?」
物は試しとばかりに、ソフィアはグリエルモの耳らしい部分に耳を乗り出し口を近づけた。
「グリー、おやすみのチュウはどこにして欲しい?」
『アウアウ』
妙な鳴き声を返すグリエルモ。ソフィアは肩をすくめながら溜息をついた。
「駄目じゃん」