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一定の絶対……?
万物は不変のものであり、一見して確実に起こりうる事象でも、いとも簡単に別な要因によって阻止される。古代、この世の成り立ちを木火土金水の五要素で説明する理論があった。あらゆる要素は他の別な要素と相克の関係にあり、どれだけ強固なものでも決して崩せぬ訳ではないのだ。
しかし。相克によって成り立つこの世界だが、その法則から大きく逸脱した現象を作り出す方法がある。それは練世術と呼ばれ、この世界そのものの法則自体を書き換えるという非常に強引なものだ。物質の構造を知り、そして組替える錬金術の発展系とも呼べるだろう。つまり練世術とは世界を物質に見立てて錬金術と同じ練成を行う技術という事である。
練世術自体は発足してから間もないため、現在の研究段階はまだそれほどではなく、本当に入り口に差し掛かった程度のものだ。しかしその時点での技術を用いただけでも、普通では考えられないような現象を人の領域で引き起こせるのだ。考えてみれば、私の人体を根本から造り替えたこの魔宝珠も、同じような技術を用いられているのかもしれない。
普通では考えられない現象。それを引き起こす事の出来るもの。
魔術、法術、精霊術法、錬金術、そして練世術。
自然界では中の下程度の強さしか持ち合わせていない人間が、食物連鎖の極めて高い位置に君臨し今日まで繁栄したのは、肉体的な貧弱さを補い余る知性があったからだ。その知性は弱肉強食の自然界で生き残るための様々な技術を生み出した。そして現在の立場を確立した訳だが、それでも人間は留まる事無く新たな技術革新を求めて精力的に邁進し続けてきた。先人から後世へ伝えられ進歩していった技術は、遂に神の領域の末端に辿り着いた。何の能力も持たぬ人間が超常的な事象を引き起こす力を持つ、人類の英知の結集体の一つ。
そう、それは―――。
「貴様、もう一つ神器を持っているのか?」
行き着く答えはこれになる。確かなもののない世の中で、絶対と呼ぶに匹敵するほどの力を持つ神器。彼女が視界のままならぬこの状況で私の魔術を回避した理由がそれならば納得がいく。それに、クリムゾンサイズを束ねる三人は神器を所有しているとは聞いたが、何も一人一つしか持っていない訳ではないのだ。
厄介な事になったな……。
私は舌打ちをしながら渋い表情を浮かべる。
直ちに彼女の持つもう一つの神器を解析したかったが、それよりも今はこの暗闇をどうにかする方が先だ。これが神器の作り出した闇であるならば、必ずそれを打破する方法もある。これが相克の法則なのだ。神器は絶対に等しい力を生み出すが、完全な絶対を生み出した例は未だ無い。だからこの闇にも弱点は存在する。
今現在、Mの書にこの闇を解析させているのだが、まだそれは終わっていない。それはともかく、まずは彼女の持つもう一つの神器について考察しる必要がある。まず、彼女の持つそれは、おそらく戦闘を補助するタイプの可能性が高い。基本的に、一つの神器には複数の能力を付加する事は出来ない。となれば、それは回避行動を補助する能力という事になる。
補助タイプならば、直接的な攻撃は仕掛けられないはずだから、安心して良い?
まずはそういう考えに落ち着くが、それは実に安易な考えだ。攻撃系の神器ではない事は確かだが、もしもそれが回避を補助するものではなく、行動を補助するものならばどうだろう。それこそまさに、暗闇の中でも周囲の状況がはっきりと把握出来るようなものであったりしたら。
私は大まかにこそ攻撃は出来るが、相手の攻撃までは防ぐ事が出来るかどうか自信はない。だが、もしも彼女が神器の力により暗闇の中でもはっきりと私を確認出来るのだとしたら。私は自由に行動の出来る彼女に一方的に攻め立てられる事になってしまう。エルとシルに防いでもらうにしても、おそらく二人は今、それぞれの相手だけで手一杯だろう。ならば、周囲をくまなく障壁で覆って防ぐしか方法はない。
とにかく、やられる前にやるしかない。
両手に魔力を集中させ、イメージを描く。こうなったら手加減している暇はない。まだ完全にはものにしていないため少々不安定さは否めないが、破壊力では遥かに上回る雷撃魔術を使うとするか。大体の位置は私にも掴めるのだから、今度は逃げ場も無いほど徹底的な攻撃布陣を敷いて―――。
と。
私は猛り狂う三匹の雷の和竜の姿をイメージし、だがやはりそれは魔力には与えず消した。
そうだ、私は何を考えているのだろう。彼女の所有する神器が、仮に私の位置を正確に把握するものであるとしたら、わざわざ相手に神器の存在を知らせる必要はないのだ。ただ黙って、知らぬ私に襲い掛かればいいだけの話だ。にも関わらず彼女が打ち明けたという事は。その辺りの駆け引きが出来ぬ愚鈍な人間ではない。ならば、これはただのブラフだ。私にそう思わせるための。
しかし。とは言っても私には彼女に攻撃する事は出来ない。彼女が私の位置をはっきりと確認出来る訳ではないが、攻撃を回避出来るのは事実だ。魔術とて理性の際限がある。無闇な攻撃を続けては、意味がないどころか自らの首すら締めかねない。
さて、どうしたものやら。
魔術の使えぬ魔術師ほど惨めなものは無い。魔術師は基本的に戦士のように肉体を鍛える必要はなく、魔術以外ではほとんど有効な攻撃手段を持ってはいないのだ。私は一応常人離れした肉体を持ってはいるが、体がままならなかった時期が長かったせいだろうか、いまいち思うように使いこなせないのだ。いきなり性能の良すぎる体に変わってしまったため、脳の方がついてこれないのだ。最近はそこそこ体術の実力もついてはきたが、プロの人間にしてみればこの程度では一般人と大差がない。つまり私は、体は異常なほど丈夫ではあるがその他は素人同然なのだ。その程度ではまるで話にならない。
ならばレーヴァンテインを使うか? 私は格闘技のスキルは全くといってない。ケンカならば適当にこぶしを揮うだけでいいが、戦闘の手段として自らの体を使うとなれば、それ相応の技術や経験が必要となってくる。僅かに技術を習得するだけでも、その破壊力、鋭さ、命中力は変わってくる。ならば神器の絶大な力を借りて、それらの不足分を補えばいい。
私は上着の奥にあるレーヴァンテインの重みに意識を向ける。だが、そこに手を伸ばす事はしなかった。これなら互角にやれる。それは神器の力に溺れた人間の判断だ。彼女は槍術の達人だ。レーヴァンテインの炎の刃はあらゆるものを焼き切るも、それを使う私自身、剣術に関しては素人なのだ。その差は神器の力を持ってしても埋められるものではない。第一、視界もままならぬのに、どうやって接近戦を挑むというのだ。結果は火を見るよりも明らかである。
魔術も無駄、レーヴァンティンも使えぬとなれば、私には攻撃手段がなくなってくる。少なくともこの闇がある内は。
さて、本当にどうしたものか……。
―――と、
『この闇についての解析結果が出ました』
その時、私の周囲に漂っていたMの書からそんな独特の無機質な声が聞こえてくる。
ようやく、この異様な闇の正体が分かったのか。私はこの現状を打破できる足がかりを期待しながらMの書の言葉に耳を傾ける。
『厳密に言えば、これは闇ではありません。周囲から全く光源が感じられません。物体の反射率も0%一定です。これらから推測するに、なんらかの要因によって光そのものを完全に消されている可能性があります』
闇ではない?
私は意外なMの書の解析結果にはたと目を見開いた。そして、すぐにバランス感覚を保つために目を閉じる。
私はこれまで、この闇は神器の力によって人工的に作り出されたものだと思っていた。しかし、どうやらその推測は完全に違っていたようである。人間が物を目で見る場合、その物体に反射した光が網膜に映りこむ事によって初めて認識する事が出来る。そのため、光に乏しい夜間などは視界が著しく制限されてしまうのだ。
なるほど。確かに反射する光がなければ、何もかもが見る事が出来なくなくなって当然だ。それは真っ暗に見えても本当の闇ではなく、単に見えていないだけなのだ。そこに物があろうとも、認識できなければ暗闇と同じだ。光とはつまり物を認識するための媒介。これが取り除かれてしまったら、人間の視覚は正常に機能しても効果を発揮する事は出来ない。
「して、その要因は?」
『要因判明。これは神器羅睺による、光波吸収現象です。羅睺が発動中は、周囲半径500メートルに発生する光は全て羅睺に吸収されてしまいます』
なるほどな……そういう事か。
先ほど小太刀を構え起動韻詩を踏んだ双子の片割れ、確かムギンと呼ばれていた男の神器がこの特異な状況を作り出していたのか。まあ、とりあえずこの暗闇の仕組みは分かった。後はそれに添った戦略を立てるだけだが。その前にだ。そういえば、何故あの二人はこの暗闇の中でこうも自在に動けるのかが判明していない。まあ、さしたる問題はないだろう。暗闇が晴れてしまえばどうでもいい事だ。
「聞いたか? なかなか面白い神器を持っているな」
私は思わず口元を綻ばせた。これまで自らの知識だけではまるで見当もつかなかったものが、何かの切っ掛けでようやく解明出来た瞬間ほど心地良いものはない。謎とは理解が足らない内は難解かつ不可思議なものだが、それが解明出来ると途端につまらないものになる。好奇心があるか否かだけで、こうも印象が変わるのだ。そして更なる好奇心をくすぐるものを捜し求める。これが探究心であり、良くも悪くも人間を現在の姿まで進化、そして退廃させたものだ。
「どうだ、解除出来るか?」
『フィールド検索……終了。神器羅睺は有効範囲内にフィールドを張り、その空間に練世術で干渉、光が自らに収束する仕組みになっています。作り変えられたフィールドに相克属性を持って干渉する事で無効化、解除が可能です』
「なんだ、意外と簡単だな」
まるで神が下した天罰ように思えるほど深遠な闇ではあったが、蓋を開けてみればなんて事は無い。大掛かりな魔学実験のようなものだ。こんなものにこれまで自分が振り回されていたのかと考えると、そんな自身に失笑を隠せない。かくも無知とは愚かしいものだ
仕組みはいたって単純。間に何も無ければどこまでも真っ直ぐ伸びていくという光の性質を、練世術によってあの小太刀の中に集まるように変化させる。そして小太刀自体には光を吸収するような仕組みでもつけておけばいい。その仕組みの如何は分からないが、今はさして重要でもないだろう。
私は右手の人差し指に魔力を集めた。
練世術とは、この世の法則を変えるという大掛かりな技術。そのため一見すると壮大なものに思えるが、簡単な事であれば個人の力でも十分に可能だ。条件は二つ。術式自体を正確に把握している事。そして、書き換えの媒介となる何かを習得している事。用は如何にして見えざる糸を探り出し、繋ぎ、断つか。たったそれだけの事なのだ。
「さて」
人差し指から放つ魔力を用いて空間に紋様を描く。中空には幾何学的な記号が幾つも並んでいくだろうが、あいにくこの暗闇ではその様は見えない。
「これで終わりだ。”光あれ”」
戯れにとある宗教書の冒頭にあった創造神の言葉を皮肉を込めて用い、私は歪曲された光の法則を正しい形に戻す。略式で行使するため有効範囲はこの周囲に限られるが、それだけでも十分だ。