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「フギン、ムギン、来なさい」
 凛と響き渡る彼女の声。
 と―――。
 ギィン!
 ギィン!
 より一層大きく響き渡る、金属の衝突音が二つ。その直後、二つの黒い影が彼女の元へ降り立った。
「予定を変えます。ここからは全力で行きます」
「分かりました、姉上」
「分かりました、姉上」
 二人の小太刀使いは目を閉じたまま、そう静かにうなづく。
 姉上、ねえ……。
 そこはかとなく感じてはいたが、この双子、どうやら彼女の弟のようだ。それにしても、随分と示し合わせたかのような珍妙な巡り合わせだ。片や兄に双子の妹、片や姉に双子の弟。双子自体が珍しいというのに、その中で神器を所有している人間となれば更に限られてくる。まさに神なる者の大きな意思が引き合わせたとしか思えない。もっとも本気でそうと信じている訳でもなく、私にしてみればこの自分達とは何から何まで正反対の彼女らの存在は、壮大で私達の存在そのものへのアンチテーゼ的な皮肉としか思えんが。
 続いて、スッと私の両脇に音も無く現れるエルとシル。刀は鞘に収められているが、右手は柄に添えられたままである。
「ほう。ようやく、本当の実力を出してくれるという訳か。面白い」
 これまでは我々を本隊から足止めするために、わざと事を交えずにのらりくらりと攻撃を仕掛ける事無く防御に専念していた。おそらく本気でぶつかりあえば、どちらかが一瞬でやられてしまう危険性を考慮しての事だろう。神器は御業を人の意思で体現化するほどの力を持つ武具。それらが全力でぶつかり合えばどうなるか。神器の力の性質にもよるが、文字通りどちらかが、もしくは双方が消滅しかねない局地的な力の暴走、爆発も起こる可能性すら現実的なレベルでありうるのだ。最悪でも私達をそれに巻き込めればいいが、もしも消滅するのが自分だけならば。足止めするどころか、トップ3の喪失という事実が組織の士気に致命的な打撃を与えてしまう。結果的に、ただでさえ実現が困難な政府から政権奪取するという目的が遠のく。
 組織において最も優先させる最重要事項とは、個人の保身でも上役の命令の遂行でもなく、組織そのものの存在意義である発足目的、クリムゾンサイズの場合ならば『この国を治める国王から政権を奪い取る』だ。目的のためならば、たとえ組織を束ねる人間だとしても切り捨てる必要もある。あくまで目的は目標達成。その観点から考えれば、彼女らの選択した行動は正解と言えるだろう。
 遂に彼女は本気となった。これでこれまでのような緩慢な戦闘に終止符が打たれ、望んでいた神器所有者同士の凌ぎの削り合いが実現する。より力を磨く目的でやってきた私にしてみれば喜ぶべきことなのだが、それ以外にもう一つの理由で私は口元を綻ばせていた。それは、これまで終始感情を表には出さずあくまで指導者の見本然としていた彼女が、初めて自らの感情を露にし、そして私情に流され足止めをしなくてはならないはずが私的行動に移ったからだ。その事実が私の優越感を甘美に擽る。こう、第三者の精神を蹂躙するのは非常に気持ちがいい。相手を支配した達成感、これは精神的な戦いにおいて、実質の勝利に匹敵する。昔から私が要らぬ皮肉を繰り返すのも、相手の精神の起伏を自分が支配した快感が忘れられないからかもしれない。
「ムギン」
 そして。
 平静を努めるも怒りの感情が隠しきれていない、そんな口調で彼女は小太刀使いの片割れに告げる。こくりと左側の彼がうなづき、そして腰に携えた鞘から小太刀を抜き去り構える。直後、私の左右からエルとシルが前に進み出て私をかばうような立ち位置を取る。私もまた両手に魔力を集中させ、いつでも障壁を展開出来るように備える。
 考えてみれば、彼の持つ小太刀は神器である。この唐突な動作から察するに、神器の力を起動させると考えて間違いはないだろう。神器の力は例外なく絶大なもの。定石で考えれば、力の起動は最大限の努力を持って防ぐべきだろうが、しかしその神器の力というものも是非見てみたいと考える好奇心がそれを抑圧する。もっとも、たとえ起動を防ごうとした所で、双子の片割れがすぐさま妨害してくるだろうが。どの道、黙って成り行きを見ているしかないのだ。
「『四天が一人、いと猛々しき修羅。その大いなる御手にて中天を覆いたまえ』」
 起動韻詩。
 直後、周囲の空気がざわつき始めるを肌が感じ取った。そして空気は徐々に流れて気流と化し、更に強く疾く走る。
 ……来る!
 気流が加速しきったその瞬間、
「ッ!?」
 突然、周囲の気配が黒く塗り潰された。
 またあの闇だ。
 それは、ここに来た時に不意に襲い掛かったあの途方もない暗闇と全く同じだった。日の光が入っていたはずだが、まるで何かに遮られたかのようなこの暗さ。この闇の中では、元々夜間の活動には向いていない人間は視覚があっさりと閉じられてしまう。
 ギィン!
 ギィン!
 そして、不意に暗闇の中に響き渡る、二つの金属音。再びあの双子が攻撃を仕掛けてきたようである。
「解析を一時中断だ。この暗闇、そして発生元と思われる神器を解析しろ」
『かしこまりました』
 私はMの書に命令を下し、この暗闇の理由を突き止めることにする。通常の暗闇ではない事は分かっている。自然現象でないのであれば、打開策は必ずあるはずなのだ。仕組みさえ分かれば、私ならば必ずその策も考えつく自信がある。
 一時、己の防御をエルとシルに任せ、私は暗闇の中で彼女の気配を辿った。
 ……いた。
 どうやら彼女は彼らほどの隠形術は身につけていないようである。
 彼女は先ほどの位置からほとんど動いてはいない。一方、自由自在に暗闇の中を駆ける双子。これはつまり、暗闇は敵味方の区別をつけて視力に作用するものではない事を現している。ならば、何故彼らはこうもたやすく相手の位置を察知できるのだろうか。エルとシルは辛うじて二人の気配を嗅ぎ取ってはいるものの、こちらから仕掛けるほどではない。彼らはこの暗闇でも相手の姿を見る事が出来る? いや、それはありえないだろう。これは灯かりを灯してどうこうできるような暗闇ではないのだ。
「エル、シル。出るぞ」
 そう二人に援護を告げ、私は両手へ魔力を更に集中させたまま、漆黒の闇の中に辛うじて感ずる彼女の気配を辿って踏み出す。私とエル、シルはこの世に生を受けてから以来の付き合いだ。突き詰めた言葉を交わさずとも、互いの意図する事を伝える事は可能である。
 周囲の暗闇にはより激しく金属の衝突音が鳴り響く。やはり彼らも先ほどまでは攻めを控えていたらしく、規制が解除された今の攻撃の苛烈さは、威力、速度共にこれまでの比ではない。しかし、エルとシルにはまだ及ばないだろう。二人の剣技は、そんなものを確認しているレベルではないのだ。今でこそ、この特異な空間によって全力を出そうにも出せないだろうが、近い内にこの闇の構造をMの書が解析する。それが分かれば私が直ちに闇を取り除く。闇が晴れれば、あとはエルとシルの独壇場だろう。
 闇の中で微かに感ずる彼女が私の気配に気づいたらしく、私に向かって身構えた。しかし、彼女の方から攻撃を仕掛けてくる事は無い。それは時間稼ぎをするためではなく、彼女自身もこの暗闇によって私の居場所を正確に捉える事が出来ないからだ。彼女は戦士であるため、その攻撃範囲はごく近距離に限られている。だが、私は魔術師であるため攻撃範囲は格段に広い。相手の居場所さえ分かっていれば、どこからでも攻撃を仕掛けることが出来るのだ。
 私はそっと目を瞑り、より明確なイメージを魔力に与える。この暗闇だ、目は開こうが閉じようが大差は無い。それよりも目を閉じて自分は走っているのだと思い込ませれば、先ほどのように自分の平衡感覚を視覚に頼りすぎたために見失ってしまうような事はない。
 与えたイメージは、あらゆる存在を飲み込む、獰猛な水の和竜。
「喰らい尽くせ!」
 私は彼女の位置を大まかに掴むと、その疑惑の地点をまとめて吹き飛ばすように水の和竜を放った。和竜は鼓膜を突き破るような咆哮を上げながら、真っ直ぐにそこへ突進していく。
 ドォォン!
 床を破砕する轟音と共に、建物自体が縦に揺れる。私はすぐさま周囲の状況を把握すべく、神経を研ぎ澄まして周囲に張り巡らす。
 ……居る。
 今、この周囲は全く視覚が利かないほどの深い闇に覆われている。私も彼女も、互いの気配こそ感じ取れはするが、正確な位置までは窺い知れない。人体とは物とは違って雑音に満ちているため、非常に感じ取りにくいからだ。相手の姿が手探りなこの状況で有利な立場に立つのは、遠隔攻撃、それも大体の位置さえ掴めれば攻撃を仕掛ける事が出来る魔術師の方だ。
 私が作り出した水の和竜は、凄まじい水圧で対象を押し潰す。それはこの建物の床とて例外ではない。敵を認識出来るような知性は持ち合わせていないが、少なくとも一瞬の動作で回避できるほど攻撃範囲は狭くはない。しかも、室内に響くこの咆哮は周囲の壁に反響し、非常に位置関係が捉えにくくなるはずだ。つまり彼女にしてみれば、私が何らかの魔術を放った事までは分かっていても、それがいつ、どのような形で自分に襲い掛かるかまでは分からないのだ。
 にも関わらず、彼女の気配は先ほどなんら変わらずはっきりとこの場に感じる。それはつまり、私の放った水竜をかわしたという事になるのだが、一体どうやってかわしたのだろうか? 魔術の攻撃パターンは多種多様、一点突破や範囲攻撃も自在である。つまり回避動作を取るには、まずはその魔術の質を見定める必要がある。だがそれは、この暗闇の中では絶対に不可能だ。私とて、今の水竜がどういった経緯で床をぶち抜いたのかが分からないのだ。まさか彼女は勘だけでかわしたとでも言うのか? いや、勘などに自らの命運を任せるほど思慮に欠けた人間ではない。なんらかの、確実に回避できる確信があったはずだ。
 ギィン!
 ギィン!
 私の背後からは更に苛烈を極めた競り合いを繰り広げる音が聞こえてくる。
 とにかく、守りに徹する必要はない。もしかすれば、本当に勘でかわしただけなのかもしれない。確率的にゼロではないのだ。その可能性もある。だが、そう何度もかわせるはずがない。攻撃の回避とは勘ではなく、その大半が反応と経験、そして判断力に基づくものだからだ。
 再び魔力を両手に集中させ、イメージを与える。今度はあの和竜を二匹繰り出してやろう。これならば、幾らなんでも勘のみでの回避は―――。
 と、その時。
「無駄ですよ」
 突然、暗闇の中に彼女の声が響き渡った。その思わぬ言葉に、私はぎくっと体を微かに震わせてしまう。
「どういう意味だ?」
「あなたが幾ら攻撃しようとも、真を得ていなければ私には届きません。当てずっぽうの攻撃をかわす事など造作もありませんから」
 私は思わず眉間に皺を寄せてしまった。
 確かに私の攻撃は正確に彼女の位置を捉えてはおらず、大まかでいい加減なものだ。だがその誤差を、私は攻撃範囲を持って補っている。たとえ攻撃が外れても、その余波でダメージを負わせていけば、やがて回避すら行えなくなる。そうなれば後は直接攻撃を叩き込めばいい。
 しかし、彼女はそんな私の計画を崩す発言をした。私の狙いである余波すらも、彼女は正確に確認して回避したのである。この暗闇、あの轟音の中にも関わらずだ。
 ブラフか?
 そう思いたかったが、彼女は現に攻撃をかわしている。基本的にまぐれなどという曖昧な現象は戦闘にはありえない。全ては裏づけされた確かな実力で決まるのだ。回避が出来たということは、それを可能にした何らかの要因がある訳で―――。
「信じられませんか? けど、あなたは一つ見落としている事がありますよ。如何なる状況にも、ある一定の絶対を引き起こすもの。この世にはそれがあるではありませんか。あなたも、そして私もそれを手にしている。ただ、何もそれは一つとは限りませんよ」