BACK
しんと静まり返る、私と彼女の間。そこにはただ、激しく散らされる剣と剣の衝突音だけが鳴り響く。
彼女はただ、槍を構えて私を見据えたままじっと動かなかった。それは何か時機を待っているのか、それとも攻めあぐねて動くに動けなくなっているのか。
「出ないならば、遠慮なく攻めさせてもらうぞ」
私は両手に魔力を集中させると、それを一気に中空へ振りまくかのように放出した。与えたイメージは、刃の雨。それも逃げ場のないほど集中的に降り注ぐ豪雨だ。
細かな砕音を立てながら、無数に降り注ぐ刃の雨。彼女はそれをうまくかわしながら、当たりそうな刃は正確に撃ち落していく。一見すると逃げ場のないように思える広範囲攻撃だが、実は思っているよりも急所には当たりにくいものなのである。漠然と範囲を攻撃するため、見た目の派手さとは裏腹に冷静に構えて対処すれば割に無傷で済むのだ。最も、それには相応の実力と何よりも豪胆さがなければならないのだが。その点を考えれば、彼女は十分過ぎる域まで達している。
やがて刃の雨が降り尽くす頃、彼女は息を乱さず初めと同じように槍を構えて私を見据えている。周囲は水の刃によってずたずたにえぐられているものの、彼女の周りだけは綺麗に元のまま残っている。彼女自身も傷一つ負っていない。実に見事な防御の手並みだ。けれど、本当に戦意が残っているのかどうかが怪しまれるほど、彼女には向かってくる気配が感じられない。ただこうして私の攻撃から逃げ回り、必殺の機会を窺っているのだろうか? まさか。少なくとも一方的に攻撃している内は、私が寸分の隙も見せるはずがない。魔術は理性を侵蝕するため行使限界があるものの、そこに辿り着く前に私は戦いは終わらせる事が出来る。彼女ほどの実力者ならば、防御に専念した所で好機が訪れぬ事ぐらいは察せるだろうに。
「どうした? まさか手詰まりという訳ではあるまい」
「あなたほどの相手に、慎重なるのは当然でしょう」
「なるほどな。だが」
私は更に魔力を開放する。与えたイメージは、私の手から伸びて自在に中空を舞う水の鞭。鞭は先をしならせながら周囲を思うが侭にたゆたう。
「私は無為な時間を過ごすのが嫌いでね。どうせやるならば、もっと有意義にしてもらいたい。顕著な勝利の意思行動を見せるなどしてな」
そう。私は神器使い同士の戦いをもう少し長く楽しむために、わざわざ自分の体に埋め込まれている神器の存在を知らせて一方的に相手の神器の能力を把握できたイニシアチブを放棄したのだ。今一度イーブンに戻した戦況、これを最大限に己の勝利に結びつける行動を取ってくれなければ意味が無い。戦意がない敵を相手にした所で、得られるのは無益な退屈さだけだ。
「では、御期待に添えるようにいたしましょうか」
冷静な口調で、尚も自らの戦意が衰えていない事を主張するも、やはり行動には攻撃へと移る様子が見られない。私に臆したのか、もしくは先ほどの攻撃に全てを賭けていたのか。どちらにせよ、幾らなんでも戦いを放棄するにはあまりに早過ぎる。しかも、彼女はクリムゾンサイズの実質的なナンバーワンだ。そんな立場の人間がそうもあっさりと敗北を認めるのは如何なものか。それでは主君と頼って集まってきた部下達が哀れというものである。
やれやれ……。
彼女の事だ。この状況でも冷静に策を弄して果敢に挑んでくると思っていたのだが、どうやら私は過大評価をし過ぎていたようだ。彼女の限界はここまでらしい。もう少し私と凌ぎを削ってくれると思ってくれたのだが。戦いもまだまだこれからと言う所。にも関わらず、このあっけなさ。まあ、仕方がないだろう。それだけ相手の力量を量る事が出来るという事なのだから。幾ら鋭い牙を持つ獣にしても、自分よりも強い獣には決して襲い掛からない。強い者には決して牙をむけない。これが生物共通の本能なのだ。
「興醒めしたな。もう終わりにさせてもらう」
私は右手を大きく振り、前方に目掛けて鞭をしならせた。
魔術で既存の武器を再現するのは、実はなかなか奥が深い。通常武具というものは一部の特殊なものを除き、破損以外で自らの形体を変える事が非常に難しい。ギミックを持たせる事で携帯性と攻撃に変化のバリエーションを付けた武器は幾つか存在するが、基本的に構造が特殊であれば特殊であるほど武器の寿命が短くなる。武器寿命は構造のシンプルさに比例するのだ。そのため、一般的に普及している武器ほど構造がシンプルで、見た目も変化に乏しい。
しかし。魔術で体現化した武器というものは、基本的には固定形態というものを持ち合わせていない。形を決めるのは術者自身であるため、実際にはあり得ない変化を起こす事も出来る。攻撃変化のバリエーションはほぼ無限大にあるのだ。とは言え、『それは所詮魔術習得カリキュラムの初期段階、イメージを具象化するトレーニングの延長線でしかない』というのが一般的な見地だ。だが私は違う。何事も極めれば一つの武器に昇華するのだ。武器を模倣した魔術にはそれ相応の利点というものがある。
私は鞭術というものはまるで知らない。しかし、私が手にしているのは魔術で作り出した水の鞭。それは通常の鞭とは違い、力学ではなくイメージでコントロール出来る。つまりイメージさえあれば、達人とほとんど変わらない攻撃が可能なのである。
「行け」
私の命令と共に水の鞭が床を削りながら大蛇の如く彼女に襲い掛かる。
ざしゅっ、と鋭い音を立てるそのうねりを、彼女は表情一つ変えずに最小限の動きだけで回避する。やや攻撃が直線的過ぎたか。今度は思いつく限りの複雑怪奇な軌道を描かせて鞭を繰り出す。しかし、それでも彼女は体捌きと槍を駆使しながらあっさりと身をかわしていく。
だが、これだけ動けるにも関わらず、やはりどうしても彼女は攻めては来ない。最初の様子見以来、まるで攻撃らしい攻撃が途絶えてしまった。ゲイ・ヴォルグの能力を使ったあの攻撃が精一杯なのだろうか? いや、この鮮やかな動作を見る限りあれが限界には思えない。たとえかなわぬ相手だとしても、全くアプローチがないのはどういう事だ? まるで戦況が進むのを自ら食い止めているかのような錯覚さえ覚えてくる。
「逃げ回ってばかりでは勝つどころか命すら危ういぞ。私に背を向けて無事と思わぬ方がいい」
そう、わざとらしく挑発的な言葉をかけてみる。もしかするとその言葉に奮起して、再度闘志を燃やし挑んでくれるかもしれないと期待したからだ。しかし、まるで私の言葉が耳に届いていないかのような無表情、無反応。あまりに不可解な彼女の行動。それは自ら己のスタミナを浪費しているようにすら見える。どうしてそんな事をするのか、そこにどんなメリットがあるかまでは理解しかねるが。
―――と、その時。
ん……?
水の蛇から逃げ回る彼女の表情。思いがけず目に飛び込んできたそれが、どこか笑みを含んでいるように映った。それはまるで、事が全て自分の思い通りに運んでいるかのような、そんな虎視眈々と狙っていた何かが成功した瞬間を思わせる表情だ。
そういえば。
どうして彼女らはここに残っているのだろう? いや、それは単に、事前に情報をリークして私達を少数精鋭で迎撃するためだ。神器使いが相手では、雑兵が幾ら束になってかかろうともかなうはずがない。ならば無闇に戦力を消耗するよりも同じ神器使いが相対せばいい。疑問なのは、他のクリムゾンサイズの構成員だ。
そして、突如閃く一つの考え。
「まさか……」
私は鞭の制御を放棄し、攻撃を終了する。私のコントロール下から離れた鞭は中空で静止し、そしてパンッと破裂音を立てながら飛散する。
ゆっくりと回避の足を止める彼女。その私を見る表情は、今度こそはっきりとした笑みが浮かんでいた。そう、今頃それに気づいた私の愚鈍さを嘲笑うかのような笑みが。
「ようやくお気づきになりましたか」
気づいた。
それはつまり、今のこの状況は偶然の産物ではなく、なるべくしてなった初めから仕組まれたものだったという事だ。そしてそれを仕組んだのは、他ならぬ目の前の彼女である。
「私達はあなた方をここに足止めするのが目的なのです」
「足止め?」
そんな私の安穏たる問いに、彼女は再び口元を緩めながらうなづいた。先ほどまではそんな彼女の態度は単なる虚勢程度にしか思っていなかったが、今になって急にそれが確かな自信に裏づけされた確固たるものの上に成り立っている事に気がつく。
「あなた方が昼頃に陽動作戦を仕掛けることは事前に把握していました。それを逆手に取り、既に部下達は陣営の方へ向かわせました。今頃、聖都騎士団に奇襲攻撃をかけていることでしょう。幾ら寄せ集めとは言っても、不意を突かれ、更に生き延びるため死に物狂いで戦う彼らを相手に騎士団も無事で済むはずはないでしょう」
そういう事……だったのか。
道理でここに到着した時はあれほど溢れていた構成員が、短時間の内に消えてしまっている訳だ。おそらく、聖都騎士団の連中は予想だにしなかった攻撃に慌てふためき浮き足立ってしまっている事だろう。構成員は構成員で、捕まれば国家反逆罪で極刑、戦いに負ければやはり極刑、つまるところ自らが生き延びるには勝つ以外他ないのだ。人間は自らの死活がかかれば超常的な力を発揮する。俗に言う、火事場の、というあれだ。どうせ何もしなければ死んでしまうのだ。彼らの奮闘は凄まじいものとなるだろう。死を決心した人間ほど恐ろしいものはない。私も出来ればそういった類の人間と手を合わせるのは遠慮したぐらいだ。死の恐怖があるからこそ、戦術の大半は成り立つ。それがなくなれば、当然の事ながら予想だにしない動きを見せるのである。この判断ミスが命取りにもなりかねないのである。
「なるほど。まんまとうまくやられてしまったようだな」
くっくっく、と私は声を殺して笑った。
愉快でたまらなかった。知略ならば誰にも負けない自信があった私が、安穏と構えていたとは言え他人の策略に嵌ってしまったのだ。これほど意外性のある出来事は日常で滅多にお目にはかかれない。
「……? 驚かれないのですね。聖都騎士団の危機だというのに」
そんな私を、彼女は訝しげな表情でねめつける。事実を聞かされ、私が唖然と慌てふためくとでも思ったのだろう。だが、
「当然だ。悪いが、私達は彼らに恩も義理もないのでね。重ねて言うが、私達の目的はあくまでクリムゾンサイズを束ねるトップ3だ。極論を言えば、この国が倒れる事になろうともいささかも興味はない」
そう。彼ら聖都騎士団に、私は何の執着もないのだ。一応の雇い主ではあるものの、金銭にはそれほどの興味のない私は、たとえ残り半分の謝礼が払われなくとも全く困らない。それに、彼らの行く末などまるで興味が無い。
そんな私の様子に、彼女はこれまでになく鬼気迫った表情を浮かべた。それはあたかも何か重要な事を決心して腹にのんだようにも見えた。
「……本来は時間を稼ぎ、切りの良い所で退散させて戴くつもりでしたが、やはり気が変わりました」
槍をくるりと回し、上段に構え直す。どうやらそれが彼女の最も得意とする構えのようだ。
「あなたのように素晴らしい力を持ちながら、傾国の相をありありと浮かべる徹底した利己主義者。この国の未来のため、いえ、あなたは同じ人類として認める訳にはいきません。この場で断たせて戴きます。悪く思わないでください」
悪く思わないで?
まさか彼女は、これ以上も戦いを続けるつもりなのだろうか? いや、そんな事よりも失笑する点は、初めから勝つのは困難だと知り逃げる算段まで立てていたにもかかわらず、たったそれだけの理由、私情で撤回するとは。しかもその理由が、私を人間と思いたくは無いから? これほど悪い冗談は無い。
まあ、そういう扱いには境遇柄、慣れているが。
普段ならば、つまらぬジョークを吐く人間が敵であれば瞬く間に殺してしまうのだが。今はそれを抑えられるだけの猶予を与えてやりたい気分だった。それはおそらく、彼女がこれまでに逢った事もない性質を持ち合わせた人間だからなのだろう。もう少し見てみたい。頭のどこかには、その好奇心は危険であると警告する自分が居る。しかし、結局は好奇心がそれらを凌駕した。
「傾国の徒は貴様の方ではないのか? それに、私は人類がどうこうという偽善的な意見がこの世で最も嫌いでね。認めたくなければそれでいい。私を否定しながら死ぬといいだろう」
もう少し長引かせる事が出来るな。
そう思うと、思わずこぼれてしまう自分の笑みを抑える事が出来なかった。