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キキキキキ……。
「きゃあ、こわ〜い」
「きゃあ、こわ〜い」
どこからともなく聞こえる、何か獣の声。おそらくは鳥類のそれだろうが、さして驚くほどのものでもない。場所もここから大分離れた所であるだろうし、何よりもこの区域には注意せねばならない危険な動物は棲息していない。もっとも、我々にとって本当に危険な動物などは極々少数の限られたものではあるのだが。
エルとシルはわざとらしく声を上げて私の腕にそれぞれしがみつく。怖がり方も演技がかると言うよりもふざけているに近い。私の腕に体ごとしがみついてくるのはしょっちゅうだが、たとえ兄とはいえ異性に対してあまりに無防備に体を押し付けるのは年頃の女性として如何なものか。それとも、相手が私だからこそこうも無防備なのか。
私達はおとといの作戦会議で決定した陽動作戦のために、あらかじめ打ち合わせておいた地点へ夜を徹して向かっていた。陽動は私達三人で行う。相手の数は軽く三桁は違うが、所詮は有象無象、烏合の衆。神器使いが三人もいれば十分過ぎる。
クリムゾンサイズの部隊へ私達が奇襲をかけて混乱と動揺を誘い、そこへ聖都騎士団が一斉に襲い掛かって畳み込む手はずになっている。私達は先行部隊として、相手に気づかれぬように居場所を示してしまう灯かりは一切用いず、余計な音の立たない徒歩で目的地に向かっている途中だ。直線距離でおよそ三十キロメートル。明け方には余裕を持って到着するだろう。作戦実行の時刻は翌正午。小休止の後、敵の様子を偵察する余裕もある。
「こら。まったく」
私はそんな仕草に苦笑しながらも、そのままひたすら前へ前へと歩く。二人もまた、やや小走りになって私に歩を合わせる。いつもならば多少周囲の視線というものを気にはするのだが、この時刻、このような場所を徒歩で移動する人間など私ぐらいのものだ。まあ、させたいようにさせておこう。
エルとシルは一卵性双生児であるため、私と本人以外には着衣の違いぐらいでしか見分ける事が出来ない。それは、アカデミー時代に四年にも渡って付き合ってきた仲間達も同じであった。エルは青、シルは緑を基調とした服を主に着用する。それが二人を区別する印だったのだが、試しに互いの着衣を交換してみた所、誰一人としてそれに気づかなかった。
こうも同じ容姿、声、立ち居振舞いをするにも関わらず、何故見分けがつく? 私は前にそんな事を訊ねられたが、私にとっては見分けがつく事自体が当たり前のことであるため、その問いに対する明確な返答は出来ない。なんにせよ、そんな瓜二つの容姿を持ち、しかもエルとシルは私が兄という贔屓目で見ずともその容姿は美しい。
アカデミーの学園祭において毎年恒例で行われるミスコンで、二人は史上初めての同時優勝を受賞した。双子であるが故に、投票権を持った人間は皆どちらとも見分けがつかず、審査員も結局ワンセットで評価したためである。人の妹に下世話な視線を集められるその舞台はあまり気に入らなかったがエルとシルはまんざらでもなく、優勝が決まった時などは随分なはしゃぎようだった。まあ、これまで二人は散々周囲の人間から嫌悪されてきただけに、こうして大衆に認められ受け入れられている事を形ある結果で示されたのが嬉しかったのだろう。
時刻は深夜という事もあってか、外気は宵口よりも冷たく澄んできている。そのためか、エルとシルの体温も上着越しにしがみつかれている腕にじんわりと伝わってくる。考えてみれば、エルもシルも特に冬場はしょっちゅう私のベッドにもぐりこんでくるほど寒がりだった。この空気の冷たさも、私はともかく二人には少し辛いかもしれない。
それにしても。
クリムゾンサイズに動きがあった。そう聖都騎士団の諜報員が報告してきたのは、つい昨日の午後の事だった。それから間もなく団長は作戦の実行を全部隊に通達した。随分な即断ではあるが、かといって引き伸ばす理由もない。だらだらと先送り先送りばかりするようであれば、私は容赦なく前金を返却して見限っていた所だ。
夜の帳が落ち、夜行性の動物がひっそりと活動を始めるこの時刻。虫の小さな鳴き声が無数に聞こえる。しかしそれよりも、自らの歩を踏む音の方がはるかに大きい。深いな雑音は一切聞こえず、自然そのままの心象音ばかりが心地良く響く。割と気分屋である私にとっては、これ以上にないリラックス出来る空間である。
「今夜は割と明るいですね」
「今夜は割と明るいですね」
エルとシルは相変わらず私の腕にべったりと絡みつきながらも、私の歩の妨げにならぬようにうまく足取りを合わせながら歩いている。こういったさりげない事によく気がつく二人のここが実にいじらしい。
視線をふと上げて空を見上げる。濃藍の天幕が視界一面に限りなく広がっている。そこに不規則な間隔で点々とする星々。しかし、本来あるはずのもう一つの光源は今宵の空にはない。
月。月齢という独特の一定周期で満ち欠けを繰り返し、点のような星よりも遥かに強い光を放ちながら、太陽のような恒星ではなく、その光は太陽の反射光であるが、月明かりは太陽のそれとは違い淡く柔らかいものだ。今夜は新月。月が欠け尽くして光を全く放たないのだ。けれど、雲一つない澄み渡った夜空からは煌々と星々の光が注ぎ込んでくる。そのため、夜目も利く私達はこの夜道を歩く事に何の苦労も必要ない。
「そういえば。こんな山道を歩くのって久しぶりですね」
「そういえば。こんな山道を歩くのって久しぶりですね」
エルとシルにそう言われ、確かに、と私はうなづいた。私達は、日頃の移動は主に整備された街道を徒歩で行っている。途中で何度も野宿せねばならぬような距離を向かう場合は、馬車などをチャーターする事も稀にある。だが、こんな道なのか茂みなのか人によって判断の分かれそうな場所を歩く事は滅多にない。
今、歩いているこの道。それは道と呼べるほどのものではなく、動物などが何度も通った末に出来た獣道が幾分か広がった程度のものだ。ぎりぎり三人が横に並んで歩ける道幅。エルとシルのすぐ隣は藪が生い茂っている。その鬱蒼とした向こう側は、それこそ踏み入らなければどうなっているかも分からない。人の手が加えられていない、いわゆる未開拓地である。それもいづれは人間に切り開かれ、そして思うが侭に整備されていくのだろうか。
昔、それもアカデミーに入るよりも更に前の事。私達はよくこういった山道を歩いていた。私達に向けられる奇異の視線を避けるため、人気のない山を遊び場としていたのである。
懐かしいものだ。当時の私はまだ体が弱くてすぐに息が上がってしまったものだが、逆にエルとシルは何の気兼ねもする必要がないため、ぴょんぴょんと嬉しそうに跳ね回っていた。そして疲れたら、どこか休めそうな場所を適当に見つけ、そこで寄り添いながら談笑した。人目を避け、外敵に怯えながら暮らしていた頃の、今となっては懐かしい思い出だ。
私達には同年代の子供達と遊んだ記憶など一つもない。私は幼い頃から体が弱く、あまり外は出歩かなかった。エルとシルは私とは違って丈夫な体に生まれたが、双子を忌む陋習が根付くそこでは否応なく忌み嫌われ、村の子供達は二人に一切近寄る事はなかった。私にある幼少時代の記憶は、ベッドの窓越しに見る村の風景、いつも私の周りでちょろちょろと遊ぶエルとシル。そして周囲の、それもこの世に私達を誕生させた夫婦も含む、私達の存在そのものを忌むような視線だ。エルとシルは、どうして自分達が忌み嫌われるのかその理由が分からず、子供達の遊び場に行っては邪険に追い返され、そして私の元へ泣きながら帰ってきた。私が代わりに遊んであげたかったが、病弱な体は思うようにならない。そのため、退屈しのぎにと読んでいた物語をよく聞かせていたものだ。
今の境遇を考えれば、私はあまり幼少時代は思い出したくはない。本当に幾度となく、エルとシルを連れて自ら命を断とうかと本気で考えた。生きていることが辛くて、しかもその理由があまりに理不尽。納得がいかないと抗議した所で、人はそう簡単に私達を理解はしてくれない。私達が罪を犯した訳ではない。存在そのものが忌まわしいのだ。その結論は、幼少時の私にも容易に辿り着く事が出来た。そして、私はエルとシルを忌む全ての存在へ心を閉ざした。
そんな泥沼のような地獄の日々から死力を持ってようやく這い出し、三人で生きる力を手にした今。過去の幻影は露と振り払われた。必要なのは未来を見通す目とその姿勢だけであり、振り返ればそこに脚を捕らわれ前に進めなくなってしまう。過ぎ去ったしがらみに用はない。私は、エルとシルと三人で暮らす今が一番幸せを感じている。それだけだ。
「寒くはないか?」
「大丈夫です。こうしていれば」
「大丈夫です。こうしていれば」
そうニッコリと微笑むエルとシル。私に向けてくれる、この輝くような微笑は昔から少しも変わらない。これを守るためならば、全てを投げ打つ価値がある。そう、全て。社会的地位、所有財産、人間的尊厳、倫理観。いずれも大切なものに違いはないが、エルとシルに比べたら遥かに優先順位は下がる。
私はそっと二人が絡む腕を抜いた。そして今度は私からエルとシルの肩に腕を回して抱き寄せる。先ほどよりも強くはっきりと、二人の体温が私に伝わってくる。二人が私の腕の中に確かに存在するという、何よりもの証明だ。
二人はただ黙って、そっと私に寄り添う。その表情は実に心地良さそうだった。