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「これを御覧下さい」
その夜。
聖都騎士団は、今現在私達も居を借りているこの駐屯基地の一室に召集された。作戦会議の一種を執り行うためである。私達もその会議に出席した。というよりも、そうせざるを得ないのだ。一応、私達はこの聖都騎士団に金で雇われている傭兵という立場なのだ。隊の行動指標、作戦方針を最低限は理解しておかなくてはいけない。強固過ぎる団結力も、割合少数の些細な不旋律から決壊するものなのである。
さして広くもないその一室。部屋の中央に置かれた長テーブルを囲んでいるのは、聖都騎士団の中でも更に上層部を構成する、団長と副団長を含む十三人。その他の軍勢は部屋の端をぐるっと囲むように整列、直立不動の体勢だ。インテリアと見るにはあまりに無粋なこの光景。思わず息が詰まる。
私達の席は長テーブルの末端、丁度下座に位置している。最も発言力の弱いという意味ではあるが、金の雇われ兵にしては破格の待遇と言っても良いだろう。テーブルの十三人の中には、時折チラチラと忌まわしそうな視線を向ける人間もいる。それは明らかに我々の存在が気に食わない事の現れで、待遇にも納得がいっていないといった様子だ。名誉ある我が騎士団は部外者の力どうこうなどと狭い思慮でそう凄んでいるのだろうが、いずれ分かるだろう。本当に役に立つのはどちらかという事が。
一人の進行役らしき騎士は、そっとテーブルの上に一枚の紙を広げた。それはこの周囲の地図のようだった。だが、町で市販されているような普及品ではない。専門の測量士が実測して書き上げたそれは、一般人には決して必要のない細かな情報までもが漏れなく書き記されている。その寸大の紙に、徹底的に調べ上げた事実を客観的に記されている。まさに軍事用のと言っても過言ではない地図だ。
「ここが現在、我々の拠点となっているこの基地の地図上での位置です。つい、先ほど帰還してきた諜報部員によりますと、クリムゾンサイズの拠点は、ここから―――」
進行役の彼は、長い指揮棒で地図上を指し示したりしながら説明を始める。だが、私達の位置からその地図は遥か遠く、少々確認が困難だ。
「兄様、見えないです」
「兄様、見えないです」
ひそひそと囁くエルとシル。二人もまた、その細かな文字が幾つも連ねられた地図を読むにはあまりに遠い位置に座っている。私と同様、ほとんど情報が確認できない。
「まあ、気にする事もない。適当に合わせ、会話の内容から大体の事実を汲み取ればそれでいい」
不満という不満をあらわにして口を尖らせている二人を、私はそっと背に手を伸ばしてポンポンと叩く。それでもまだ多少の納得いかない部分があるらしく、表情は依然として不機嫌なままだったが、とりあえず文句を言っても仕方がないとこっくりうなづく。
私達はどこか蚊帳の外に追いやられた気分を味わいながらも、ただ淡々と会議の内容を聞いていた。
彼らの進軍ルートはおそらく……。
天候は良好。視界の確保は……。
補給ルートは一時ここに移して……。
そんな会話ばかりを交えながら、徐々に各々の言葉に熱がこもってくる。国の一大事を自らの力で解決したい。その思いだけはどうやら本物のようであり、眼差しもまたくだらぬ姦計を腹に抱いたような粘着質で不愉快なそれではない。
けれど。
あまりに密度に乏しく、そして稚拙だ。
我々はここに陣取るのが無難かと……。
最前列には騎兵隊を配置して迎え撃ち……。
ここでは挟撃も狙えましょう……。
私は思わず口を挟みたくなる衝動を何度も堪えなくてはならなかった。彼らが今、熱くなって真剣に議論するそれは、まさに戦術の教科書にある一例をそのまま引用したかのようなものばかりだった。規模の大小はあるだろうが、これはあくまで戦争だ。戦争とは知恵のある動物、人間と人間とが生死を賭けて行う闘争であり、生と勝利への強烈な執着のあまり、誰もが予想だに出来ない事態が何時巻き起こったとしても不思議ではないのだ。にもかかわらず、どうして彼らはそんなにも安易に『定石』を持ち出すのだろうか? 戦争はルールの定められたチェスではないのだ。こちらの取る手段の範囲でしか相手も攻撃手段を取り得るはずがない。自分達が5の戦法を持っているのならば、相手は最低限10の戦法を持っている心構えがなくてはいけないのだ。そして更に。純粋な互いの生き死にを賭ける戦闘において、常に自らの発想は柔軟にしておかなくてはいけない。相手の出方に警戒するのならば、現実的物理的に可能な範囲全てを頭の中に入れておく必要がある。生死の問題には、道徳も正論も稚児の言葉遊びに等しい。戦いに勝ち生き残る事のみに全ての要点は集約されているのだから。己の身の安全が危険にさらされれば、人間はいともたやすく禁忌の境界線を譲歩出来る。生きるために。どんな非人道的とされる行為もその理由が免罪符となり、容易に合法化正当化されるのだ。
正式な訓練を受けた、一国の軍事騎士団の精鋭部隊。
かたや、世の目を避けてひっそりと力を蓄え続けてきた一介のテロ組織。
正面激突が避けられぬと知った場合、己の死活問題に対してより現実的に考えているのはどちらだろう? 真剣に生き残ろうとしているのはどちらだろう? 答えるまでもない。この問題に気づいていれば、こうもゲームさながらの作戦会議は展開されないはずだ。
天は二物を与えず、か。
ふと思い浮かんだ古い格言に、思わず私は口元を歪めてしまった。
騎士団自体の質は非の打ち所がないほど優れている。騎士そのものの実力、品行、体勢。どれもが理想的であり、一国を防衛する戦力としてはこれ以上のものはないだろう。だが、決定的に欠如しているもの。それは経験と発想だ。彼らは自らの経験ではなく、蓄えてきた知識のみで議論を展開する。聞きかじりの知識というものは実に強固な固定観念を作り上げ、まるで水面にインクを一滴たらしたかのように周囲の意識へ次々と深く根を張る。臨機応変に、常に柔軟な思考が出来る人間でなければ死線を潜り抜ける事は出来ない。幾つもの死線を潜り抜けて外敵に勝利し国を守る立場であるはずの彼らだが。実践において致命的な失態は避けられない組織的な体質を作り出してしまっている。私はクリムゾンサイズなる連中の詳細は知らないが、少なくともこの調子ではすんなりと勝てるほど甘い戦いにはならない事が目に見える。
このままでは、八割方敗北するのは必至だ。たとえ勝てたとしても、それは辛勝に次ぐ辛勝。痛み分けなどと笑って済まされるレベルではない。
その事態を回避するためにも、私もこの議論に参加し、戦闘のプロフェッショナルとしえて論議の方向修正を加えるべきなのだが。
やはり、それはやめておく。
たとえ下座とはいえ、私達がこの会議において発言権を持たされて参列している事を不服とする騎士は大勢いる。いや、もしかすると我々の実力を目の当たりにしていない団長と副団長以外、全員がそうなのかもしれない。そんな状況で私が進言したとしても、意固地に自らの信念を曲げずに守り続ける姿は目に見えている。そう、私の言葉は彼らにとって小うるさいだけでしかないのだ。
真摯な態度で素直に教えを請うならば、助言してやらない事もない。既に前金で契約料の半額は受け取っているのだ。私達にもその分の働く義務がある。だが、それをにべもなく反故にしようというのであれば話は別だ。そこまでして彼らを勝利させなくてはいけない義理はない。いや、契約はあくまで戦力の増強が目的であり、極論を言えば聖都騎士団を勝利させる事とはなんら関係はないのだ。早い話、私達は雇い主である団長の命令と指揮で戦うだけでその義務は果たせる。その過程の中、当初目的としていたクリムゾンサイズのトップ3との交戦が実現出来れば何一つ文句はない。まあ、彼らが神器を所持しているのが事実としたならば。使いこなせているか否かに限らず、彼ら程度の実力では手も足も出ないだろう。そうなれば結局の所、鉢は我々の元へ必然的に回ってくる。すると、私達は事態を自らの都合の良いように動かそうと策を講じる必要すらないのだ。
「兄様ぁ、つまらないですう」
「兄様ぁ、飽きちゃいました」
これ以上なく退屈に蹂躙され、心底この場に居合わせる事に嫌気の差した表情を浮かべるエルとシル。それは私も同じだったが、かと言って真っ向からそんな事を言ってしまえば要らぬ反発を買う事になる。だからと言ってどうなる訳でもないのだが、自らの出番を思い上がりで潰されてしまうのは少々癪だ。今は、命令されればどんな仕事も引き受ける傭兵が如く振舞うのがベストなのである。
「もう少し我慢しなさい。そろそろ終わるから」
「ふぁい」
「ふぁい」
そうエルとシルはあくび混じりに答えた。その可愛らしさと奔放さに、思わず微苦笑を浮かべる私。年頃の娘が、人前で大口を開けてあくびなどするものではない。たまたま誰もが会議の内容に集中していたため、見られずには済んだが。
―――と。
「ヴァルマ殿。どうか引き受けてくれぬか?」
突然、これまで無関心に徹していた私の元へ話題が振られてくる。うっかり話の前後を聞き逃してしまっていた私はその真意が分からず、かといって問い返すのも何なので、自然を装いつつ話を合わせる。
「私がですか?」
「いかにも。そなたは魔術師であろう? それならば多勢とは言え、単なる雑兵如きをかき回すことぐらいは造作もない事のはずだ」
そう、一体どこでどう私の情報を聞きつけたのかは知らないが、壮年の騎士が滑稽なほど自信たっぷりに言い切る。だが、おかげですぐに私がどういった立場に立たされたのかがすぐに理解が出来た。知ったかぶりはボロが出やすいだけに、これほど分かりやすい言葉をくれた彼にはほんの僅かの感謝を捧げよう。
なるほど……私達を使って陽動を仕掛けるつもりか。
安易な手だ。思わず失笑しかけたが、かえってその方が我々はやりやすい。下手な指令はそれこそ行動を縛られて、かえって迷惑に感じるのだ。敵の注意をひきつける目的で自由に戦うだけの陽動部隊ならば、繊細な作戦とはまるで無縁。私達も自由に動けるというものだ。
「兵はそれほどは割けぬが、そこは魔術の派手さを駆使して―――」
そして。
私は何やらグダグダと蛇足を続ける彼を席を立って手のひらをかざす事で制止し、一同の注目を集めた事を確認した上でゆっくりと言い放った。
「兵は必要ない。私達三人で陽動は行う」
途端に、彼らだけでなく周囲を囲む騎士達の間にも動揺が走った。
「正気か……?」
「あなた方も神器使いの実力を甘く見ないほうがいい。本来ならば、三人すら必要はないのだからな」
そんな不敵に笑う私の態度が気に食わなかったのか。彼は小さく舌打ちしながら団長へ視線を向けて確認を求める。
神器。それは、単体で人間には決して物理的に不可能な事象を起こす事が出来る武具の事だ。神器を手にした人間は、ほぼ例外なく並々ならぬ力を手にする事が出来る。神器の種類によっては、まだ歩き始めたばかりの赤子が筋骨隆々とした大男を安々と倒す事さえ可能にする。しかし、その一方で神器の規制は当然厳しく、入手ルートと称すると若干語弊があるものの、手に入れるにはそれなりの苦労と努力が必要となる。基本的に、神器の研究開発元である各アカデミーに人格と実力を認められ、それで初めて授与されるのだ。
神器の力は絶大であり、達人が手にすれば、たった一人で小国を相手に戦う事も出来る。無能な雑兵一千人よりも、神器使い一人の方が遥かに戦力が上なのである。しかし、その比喩には誤りはないもののあまりに規模が大き過ぎるため、世の中には神器の力の凄まじさを訝しく思う人間は少なくない。人間には決して不可能な現象を起こすには、御業を持ってせねばならない。人には自ずと力の限界があるのだ。だからこそ、力の計りの限界が人間レベルである者には神器という存在はただの胡散臭い存在にしか思われないだろう。
百聞は一見にしかず。これもまた、風聞で信じさせるよりも実力を目の前に示した方が遥かに早く無駄な説明も省けるというものだ。
「分かりました。お任せいたしましょう」
団長はゆっくりとそううなづいた。その表情には一片もの動揺が見られない。彼らとは違い、団長は私達がたとえその内の一人でも安々と成し遂げてしまう事を感じ取っているのだ。
いい目だ。
ようやく私は、満足げな笑みを浮かべる事が出来た。