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「やれやれ……」
 夕刻。私は昨夜も宿を取った街のギルドをそそくさと後にした。
 手には先ほど首領の首と換金してきた金貨袋を携えている。しかし、その額はあまり大したものではない。あらかじめ手配書で確認してはいたものの、いざ手にしてみるとやはりその軽さに疲労感は隠せない。まあ、金はあっても困るものではない。そっとそれを上着の中へしまう。
「兄様ー、やっぱり小物は安いですね」
「兄様ー、今度はもっと大物を狙いましょう」
「まったくだな。この程度では、やはりあって無きに等しい」
 一応は、昨日探した手配書の中で比較的シンプルに片付き、かつ高額なものを選んだつもりだったのだが。昨今、野盗の類のグループは大小乱立しており、それに対して支払われる賞金もまた安価でありふれた額に推移する傾向が否めない。長期をかけて行うターゲットでも構わないのだが、そういった仕事は同業者同士でさかしい牽制をしあい互いに足を引っ張り合うといった実にくだらないいざこざに巻き込まれやすいため、出来るだけ避けているのだ。
 何にせよ、もうしばらくこの街に滞在する事しよう。後三日待って目ぼしいリストが現れなければ次の街に向かう事にする。
「ねえねえ、兄様。明日はお仕事はなしにして遊びませんか?」
「ねえねえ、兄様。明日はお仕事はなしにして遊びませんか?」
 と、エルとシルが私の左右の腕にそれぞれ自らの腕を絡めてくる。普段はあまりそうでもないのだが、気を抜いてもいいプライベートな時間はまるで子供のように甘えてくる。他に誰の視線もない、たとえば密室のような空間ならば構わないのだが、こういった通りでは少々気恥ずかしさもある。
「しょうがないな。本当は欲しいものでもあるんじゃないのか?」
「うふふ」
「えへへ」
 二人は図星を濁すように不自然に微笑む。そんな仕草に私は苦笑しつつ、肩をすくめる。
 私達はまだ一度も経済状態で切迫した事はなかった。金銭的な余裕があるにも関わらず、仕事は必ず定期的に行っている。それはあまり長い間仕事から離れると心身共に鈍くなってしまう危険性があるからだ。私達は自らの精進も兼ねて、常により強い標的を選んで仕事を選ぶ。強い賞金首は相対的に報酬が高い。そのため結果的に経済が飽和状態にすらなるほど、収入と支出のバランスは収入へ極端に傾くのである。さすがに不要だからと投棄するほど豪気な事は出来ないが、使い道のない金を持て余し続ける現状、早急に対策案を立てる事が求められる。ベストな解決手段は散財行為だが、私達は特定の場所に住居を構えず旅をし続ける身である以上、あまり荷物を増やす事は得策ではない。当面は即効性のある対策として、生活費、消耗品等の雑費を引き上げる程度しかないだろう。
 宵の口とあってか、まだまだ街は昼の活気を失っていない。行き交う人々の数も、少々歩を踏む場所を考える必要があるほどだ。
 そういえば。かつて私達が孤児院を抜け出し、アカデミーのあるあの街に居を移した頃。生まれて初めて大きな街を見た私達は、初めどうしようもなく漠然とした不安感に苛まれ、街を歩くにもこうして三人でなければ歩けなかった程だった。あれは互いが離れ離れにならぬようにくっつきあっていただけであり、単なるじゃれ合いでくっついている今のとは大分意味合いも違うが。
 あの頃、私達は日々漠然とした恐怖を抱いていた。あの街は比較的治安も良く、それほど犯罪発生率が高い訳でもない。しかし、これまでずっと外敵に囲まれていた環境で育ってきたせいだろうか。幾ら数字的なデータを前にしても安心する事が出来なかった。外敵が周囲に潜んでいるからではなく、自分達に外敵から身を守る力がないからこそ抱いていた恐怖だ。
 今、私達はアカデミーで四年間の専門教育を受け、戦闘のプロフェッショナルへと成長した。そして更に、所有者に絶大な力をもたらす神器までをも手に入れている。私達は如何なる存在へも恐れを抱く必要のない力を持っている。だからこそ、こうして歩く姿は変わらないものの、その胸中はあの頃のようにビクビクと怯えてはいない。
 一つだけ、私は悟ったものがある。
 この世にはありとあらゆる思想、観点、法が存在する。しかしそれらは所詮、世間体を取り繕うためだけの偽善でしかなく、根本的かつ絶対的な法則の前にはまるで役に立たない。
 それは力。
 絶対的な真理、善として掲げられるのが正義ならば、その正義を掲げられるのは力のある者だけだ。力のあるものが正義である。力のない人間の掲げる正義など、より強い力にいともたやすく一蹴され、あまつさえ存在自体を悪とされかねない。
 力のない者は生きる事すらかなわぬのが人の世、そして知性が生み出したとされる社会もまた、その自然の業からは逃れる事が出来ない。
 力。
 それは人に自由な意思の発露と、人が作り出した罪の定義への免罪符を許す。
 ありとあらゆる障害も、全ては力が解決してくれるのだ。だからこそ、この世で最も大切なものは力なのである。莫大な経済力、これも力。有無を言わさず従わせる発言力、これも力。如何なる存在にも屈しない武力、これも力。言葉だけで多くの人心を掴む智謀力、これも力。
 そう、全ては力なのだ。力がなければ何もする事が出来ず、一生を虐げられ利用させるだけで終わる。
 私は嫌だ。
 そんな一生を過ごすためにこの世に生を受けた訳ではない。自らが生まれた理由などというものは、内在的な自己完結の精神論でしかない。けれど私はそれでも、自分と、そしてエル、シルの存在の意味をそう信ずる。そして信じるだけでは何も変わらない事も理解している。だからこそ私は、虐げられるままで終わらないためにも力を求めた。それも、何物にも屈する事のない強大な力を。
 今、私達は満たされている。ありとあらゆる虐げる存在、害をなす存在を退け、そして自らの自由意志を発露させる事が出来るだけの力を手に入れたのだ。だから何事にも恐れる必要性がない。真の意味での自由を私達は手に入れたのだから。
「さて、そろそろ夕食にしようか」
「今日は何にしましょうか?」
「今日は何にしましょうか?」
「そうだな……昨夜は左の通りの店だったから、今日は右の通りを散策してみるとしよう」
 私はこうしてエルとシルと共に戯れる時間が好きだった。趣味として、無趣味の人間の言い訳ではなく読書を嗜む私だが、著者の思想や解明した学術式を取り込む時は非常に気分が落ち着く。けれどそれとはまた違う落ち着きがそこにはある。存在感の再確認とでも言うべきか、そんな安心感が混在するのだ。
 通りには実に様々な店が建ち並んでいる。しかし私達は居住地を点々とする旅人であるため、支障となる荷物を増やす事が出来ない以上、どれも縁薄いものばかりだ。どこに行っても必ずある、宿と食事屋。私達が利用する店といったらこの二つぐらいだろう。強いて他にあげれば、たまに、今されたようにエルとシルにねだられてアクセサリーや化粧品などを買う事があるぐらいだ。
「ん?」
 ふと、その時。
 不意に私は、路地の間に座り込む小さな影を見つけた。思わず私はその影を目で追う。
 子供、か……。
 そこにいたのは、一人の男の子だった。年齢は十にも満たないように見える。着ている物もみすぼらしい所から、どうやらストリートキッズの類だろう。事情はどうかは知らないが、大方両親の一方的な理由で捨てられたという所だろう。その親にとって子供を捨てる事はペットを捨てる事と大差がなかったのだろう。珍しい話ではない。私達もまた、両親からは愛情を受けずに育ってきたのだから。
 と。
 ひょこっと子供の背中から、更に一回り小さな影が飛び出す。それは、その子供よりも更に幼い女の子だった。どこか顔立ちが似ているような気がする。その子の妹なのかもしれない。
 一体どうやって生計を立てているかは知らないが、その痩せた体つきから見て満足に食事を取っているようには見えない。この街には料亭や食事所は幾つもある。裏口で残飯を漁ったり、もしくは軒先に並べられた食べ物を掠め取ったり、そんな生活を過ごしているのだろう。
「兄様?」
「どうかしました?」
 いつの間にか視線がその子供らに止まっていたらしく、エルとシルがそう不思議そうに私の顔を覗き込む。
 私はその問いには答えずスッと二人の腕から離れると、静かに子供達のいる路地へ歩み寄る。
「―――ッ?」
 座り込んでいた子供は、突然目の前に歩み寄ってきた私を見上げ、その顔に僅かなり驚きと恐怖の色を浮かべる。無理もない。私の身長は、たとえこの子が立っていたとしても二回り以上も高い。急にそんな大男に目の前に立たれられたら、大概の子供は反射的に恐怖感を感じてしまうものだ。動物を引き合いに出すのはいささか不適切かもしれないが、猫もまた、自分よりも大きなものに上から見下ろされる事を嫌がるものだ。見下ろされるという事は、思ったよりも相手に威圧感を与えるのである。
 私は上着の中に手を入れると、そこから先ほど換金した小さな金貨袋を取り出した。そしてそれを、そのまま子供の目の前へ放る。
 突然の私の行動に、子供は目を大きく見開いて私と落とした金貨袋を見比べている。私はそれに構わず、踵を返して再び通りに戻った。
 どうしてこんな事をしたのだろう?
 それから思い出したようにそんな疑問が頭を掠めた。あの子供とは見ず知らずの他人だ。恩も義理も借りもない。金には不自由していない。あの程度、いちいちこだわる額でもない。しかし、他人に譲渡するにはそれなりの理由がなければ出来るものではない。ならばその理由とはなんだ? そう自問してみるが、なかなか明確な解答が返ってこない。
 私らしくもない。
 そう思わずにはいられなかった。私は慈善事業には興味などなく、力ある者だけが生き残る原始的且つ根本的な摂理である弱肉強食を重く深く自分に刻み付けている。弱者など保護した所で何の意味もない。強者の足こそ引っ張りはするもののそれ単体ではまるで役に立たず、種の観点から見ても不要な存在だ。強い者が生き残る事で、その種はより強く進化を遂げてきたのだ。だからこそ、弱者を保護するという人間の行う行為は、自然の摂理に反した行動なのである。
 けれど……。
 だが、しかし、それでも。思い浮かぶのは反語ばかりだ。一体私は何が言いたいのだ? 答えとは複数あっても真理は一つ。それを見切られない自分ではないはずだ。いや、そもそも今の私の行為はそれ自体が自らのポリシーに反したものだ。矛盾。そう、矛盾しているのだ。あの瞬間、私はどんな心境で金貨袋を放り投げたのだろう? 捨てたのではない。明らかに意図して、あの子供の前に放り投げたのだ。それは一体どうして? 何故? 他人だぞ? 摂理に反した行動だ。
「兄様? 一体、どうしたのですか?」
「兄様? 一体、どうしたのですか?」
 答えが見つからず、頭を思い悩ませながら通りに戻る私。そこをエルとシルは当然の如く、私の今の行動に対して意図を問うてきた。エルとシルもまた、その考え方や価値観は私と全く同じだ。その二人の目にも私の今の行動は常軌を逸した非常に特異な行動に映ったのだ。
 私は一体、何を考えていたのだろう?
「行くぞ」
 エルとシルの問いには答えず、私はすぐさま先へ歩き出した。すぐにエルとシルは私を追い、そして先ほどと同じように私のそれぞれの腕に自らの手を絡めてくる。
 あの子供には、私と同様に妹がいた。
 まさか、それだけの事で仲間意識を抱き、そして金貨袋を恵んだのだろうか?
 あり得ない。
 この私に限って……。