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「兄様、片付きました」
「兄様、片付きました」
 その言葉にゆっくり振り返ると、エルとシルがこちらに向かってにこやかに手を振っている。周囲には数人の野盗が綺麗に地面に伏している。二人の様子は普段と変わりなく、息一つ乱してはいない。いや、この程度の相手でエルとシルが呼吸を乱せと言う方が無理な話か。
「よし。ではそろそろ突入しよう」
 私は手にしていた野盗の一人を放り捨てる。私は魔術師だが、この程度の相手、わざわざ魔術を使うまでもない。背後から近づき、頚椎を軽く締め上げるだけでこの通りだ。
 眼前には、この一帯の街道を根城にしている野盗団の一つである……名は忘れたが、その連中がたむろうアジトがそびえ立っている。建物は丁度中程度の領地を治める領主の住まいほどの規模があった。おそらく、何らかの理由で手放したものを連中が自らのアジトとしたのだろう。よく見れば、随所に後から増築したらしき稚拙ながら建築の定石には添った部分が見られる。野盗共の中に、かつては建築関係に携わっていた人間がいたのかも知れない。
 建物の周囲には数十名の見張りが張り込んでいた。だがその監視態度はあまりに緊張感に抜けており、監視の役割というものをまるで果たせてはいない。これまで、よほど危機的な状況とは運良く無縁だったのだろう。違法行為を生業としている割にはあまりに油断の度が過ぎている。もっとも、たとえ細心の注意を払っていたとしても、こちらの作業の手間は何ら変わりがないのだが。
「ほう……なかなか重厚だな」
 建物の入り口には、私の身長よりも二周り以上の大きさがある金属製の扉が立ちはだかっている。厚さはおよそ二、三十センチはあるだろう。その重量も、当然の事ながらそれに比例したものになっているはずだ。
 私は扉の握りに手をかけ一気に引き抜くように開ける。金属と床石が摩擦して生ずる鋭い悲鳴を立てながらドアは目の前から退く。
 と。
「む……」
「兄様、臭いですココ」
「兄様、臭いですココ」
 エルとシルがすぐさま顔をしかめて訴える。私もまた同じように思わず表情をしかめた。建物の内部はいような臭気が漂っている。僅かに歩を進めただけで埃が立ち、耳を澄ませば微かにネズミの足音も聞こえてくる。不潔極まりない空間だ。住人がいない方がよほど建物内部は清潔だろう。仕事でなければ、私は絶対にこのような空間に足を踏み入れはしない。
「早く終わらせよう。染み付いてはたまらない」
「はーい」
「はーい」
 小規模ながらもかつての趣を微かに残すエントランスを抜け、奥の食堂に向かう。埃の溜まり具合と聞こえる音から察して、連中の大半がいるのがここであると予測を立てたからだ。
「な、なんだ!?」
 食堂に入ると、そこにはおよそ数十名のいかにも野盗然とした連中がくつろいでいた。しかし、私達が正面から堂々とやってきた事実を受け止めるなり、俄かに僅かながらの動揺が走る。
「とりあえず、お決まりのセリフから始めようか。首領はどこにいる?」
 しかし、連中はすぐさま殊勝にも手近に置いていた思い思いの武器を手に臨戦体勢を整える。少人数の相手にも油断なく臨戦出来るとは、思っていたより危機管理は酷くなさそうだ。
「まったく、人の話も聞けないんですかね」
「まったく、人の話も聞けないんですかね」
「まあ、当然といえば当然だがな」
 連中の慌てる様を見て、私は蜂の巣を棒枝でつついた様を思い浮かべた。自らのテリトリーに無断で侵入された際、住人は斯様に我を失い外敵の殲滅に奮起する。しかしその我武者羅な様はどこか滑稽で笑いを誘う。こちらとの戦力差がはっきりしているこの状況では尚更だ。
「二人は下がっていていい。特にエルはまだ病み上がりだからね」
「はい、兄様」
「はい、兄様」
 私はそっと自らの体内を循環する魔力に意識を向ける。
 魔術はこのような状況では特に重宝する。手を汚す事無く、勢いだけの有象無象は一瞬で殲滅できるからだ。
 魔力へ澄み切った水の流れのイメージを与え質量化し、自らの体の周囲へ放出、そしてそのまま空間上に浮遊させる。
「な!? コイツ、魔術師―――」
「失せろ」
 私の見せた魔術に、周囲には一斉にどよめきが走った。一様に浮かぶ驚きと恐怖。私はそれに構わず、そのまま魔術を続行する。
 私の周囲を巡回させていた水球に破裂と刃のイメージを与える。そして目標を、私よりも前方の空間全てに存在するものへ定め、そして残さず放出する。
「ぎゃあああっ!」
「ぐぇっ、助け―――」
 無数の水の刃に全身を切り刻まれ、野盗達はあっという間に血だるまに変えられていく。そして数秒の後には平然と立っていられる者はそこに存在しなかった。
「道が汚れてしまったな」
 私は再び水のイメージを作り出す。今度与えたイメージは、全てを洗い流す荒々しい波のイメージだ。その波を奥にある次の部屋へのドアに向けて放つ。波は私の肩幅の三倍ほどの横幅でその水圧を持って床を綺麗に洗い流しながらドアへと向かっていく。そして波はドアにぶつかり露と消える。
「では、行こう」
 私の魔術によって洗い流された床を伝いながらドアへ。そして次の部屋へと入る。
「動くな!」
 と、部屋に入ったその瞬間、私は強い口調でその場に静止する事を命令される。
 部屋の中央には一人の男が立っていた。その手には男の得物らしい一振りの剣が握られている。格好は比較的身奇麗にしてはいるようだ。手にした剣も傍目からはかなりの業物に見て取れる。
「貴様が首領か?」
「無駄口もやめろ。分からないんなら、周囲を見るんだな」
 男はやけに余裕のある表情でそう言う。たった三人の侵入、いや突入をこうも安々と許しておきながら取れる態度ではない。
 すると、
「兄様、あれを」
「兄様、あれを」
 そうエルとシルがそれぞれ左右を指差す。
 この部屋は二階が吹き抜けになっており、上の階からも下の様子が確認出来る作りになっていた。その二階には十数名の野盗がそれぞれボウガンをこちらに向けて構えている。私達が妙な動きをすれば一斉に放つという算段なのだろう。素人の戦術としては、まあ合格点をつけても良い。自警団程度ならば、こういったさかしい戦術で十分に撃退は可能なのだから。
「なるほど。やはり貴様が首領か」
 ニヤッと私は男にほくそえんでみせる。すると男は私の行動がよほど予想外だったらしく、余裕に溢れていた表情を一瞬ギクッと歪ませる。それは私の指摘が正しかった事の何よりの証明だ。
「何故? 簡単な事だ。それは貴様が自分の身辺は迅速に防衛出来るように体勢を整えているからだ」
 実際はそれほどの確信があった訳でもなく、あくまで状況から考えうる可能性の一つを戯れにあてずっぽで言ってみただけなのだが。どうやら本当に男はこの野盗団の首領だったようだ。この程度の事で余裕を崩してしまう所を見ると、規模から予想していたよりも遥かに小物のようだ。いや、小物だからと言って馬鹿には出来ない。小物が故に何事にも慎重になり、結果的に官僚に上り詰めた人間の話は幾度となく聞く事が出来る。人間、慎重になればなるほど出世する場合もあるのだ。
 男は再び、無理に表情に余裕を構えて見せる。依然として自分の優位な立場は揺らいでいない。それを頑なに信じている様子だ。こういったセルフコントロールは状況判断を見誤る危険な行為である事が自覚できていないようだ。今、男は自分の優位を無理に己に信じ込ませた事で、客観的事実を歪めてしまった。それがそのまま判断ミスとなり、そして結果的に失態を演じる羽目になる。現実逃避を行う人間は決して久しくはない。たとえそれがあまりに絶望的だったとしても、現状を正確に把握し、そして対策を立てられることが一流の証の一端と言える。
「動くなよ。少しでも動けばどうなるか分かるだろう?」
 まるで喜劇小説に登場する小悪党のセリフをそのまま引用したようだ。
 私は男の凄みを利かせたその言葉に、思わず吹き出しそうになった。事実は小説より奇なり、とはよく言ったものだが、まさか読み手を意識して装飾を施したそのセリフを、そっくりそのまま素で用いる人間がいるとは。以前観賞した喜劇の舞台をそっくりそのまま再現されるとは思ってもみなかっただけに、ある意味ではとんだ不意打ちである。
「フッ、笑止な。我々もなめられたものだな」
「まったくですね」
「まったくですね」
 だが、自らの確信と正反対の態度を取り続ける私達に、男は再び表情を歪める。
 私も、そしてエルとシルも、この状況が生死の淵に立たせられた絶体絶命的状況とは微塵も思っていない。私達はアカデミーで四年に渡り戦闘の専門教育を受けた戦闘のプロフェッショナル、更にその中でも選りすぐられた人間であると自負している。たかだか十数程度のボウガンを構えられる程度の事態、私にしてみれば、肉料理を注文した際、予想よりもサイズが一回り小さかった程度の動揺しか感じない。
「言っている意味が分からないのか? もう一度、自分が置かれている状況を見直してみろ」
 尚も意固地になり、私達に今一度自分の立場の優位性を再認識させようと試みる、野盗団の首領。けれど、何度見直そうとも私達の認識は少しも変わらない。実際この事態は、後これの三倍の人数がいた時点でようやく思慮を巡らせ始める程度のレベルなのだから。
「兄様、言葉では分かりそうもありませんよ?」
「兄様、おバカとは話し合うだけ無駄ですよ?」
 それもそうだ。
 私はエルとシルの指摘通り、このまま平行線を辿る不毛なやりとりに終止符を打つ事に決めた。とは言っても、それほど大層な事ではない。事の内容は実に単純明解、如何なる白痴にも理解可能な方法なのだから。
「やはり言葉よりも直接行動によって示さねば理解は出来ぬか」
 私はわざとらしい嘲りを入り混ぜた溜息をついて見せると、ゆっくりと右手を緩く前に伸ばして甲を首領に向ける。そして人差し指を前後させ、かかってこい、という意思表示を見せつけた。
「……バカめ。これで貴様らは助かる命を無駄にしたぞ」
 首領は辛うじて怒りに我を失いはしなかったものの、その顔は怒りのあまり見る間に紅潮していく。その様は、以前どこかの港町の海産物料理屋で見た、デビルフィッシュを熱湯で茹でる時の光景に酷似していた。
 白痴ほど高いプライドを持つ。これは私の格言のようなものだ。自らの実力に自信がないものほど、自らの体面に非常に神経質になる。そのため、たとえそれが虚勢だったとしても、今私が行ったような挑発的な行動には耐えられないのである。
「撃て!」
 首領が大きく腕を掲げる。それを合図に、左右から一斉にボウガンから矢が私達に向けて放たれた。
 無益な。
 私はそっと目を閉じ、体内を循環する魔力の内のほんの僅かに意識を接続する。そしてその魔力には如何なる障害から防衛する障壁のイメージを与え、そして私の周囲にピンポイントで展開する。
「な……」
 そして。
 一斉に放たれた弓と弦の振動音が未だに響く次の刹那。私達はあれほどの矢の雨に晒されながらも、傷一つ負うどころかその場から一歩も動いてはいなかった。
 私は向かってくる矢を全て魔法障壁で防いだ。エルとシルは私よりも更に上の技術を用いている。二人の並外れた動体視力は、向かってくる矢の一つ一つの鏃を捉える事が出来るのだ。その鏃の中で自分達に接触するものだけを選ぶと、それらを残らず神速とも呼べる抜刀術で打ち落としたのである。私の魔法障壁はともかく、素人である野盗共にはまるで矢がエルとシルに命中する寸前に見えない力で叩き落されたようにしか見えないだろう。
「分かったか? 初めからこの状況など、思慮に値しないのだ」
 周囲の人間が一様に唖然とするのが伝わってきた。我々をどこかの正義感溢れる有志の雄と勘違いしていたのだろう。だが、我々はそんな生ぬるい存在ではない。我々はハンターという、賞金首を狩る事で生業を立てる人間だ。元より危険の渦中に身を投じている事は承知の上だが、今の程度の事態は我々にとっては危険と呼ぶにはあまりに不備の多い状況なのである。
「さて、貴様はおとなしく縛についてもらおうか。いや、」
 私は体内を循環させている魔力に再びイメージを与えて体外に放出する。与えたイメージは無数の水の刃だ。その目標は、吹き抜けの二階からこちらにボウガンで第二射を構えている野盗共だ。
「ぐああああっ!?」
「ぎゃぁー!」
 たちまち不快な悲鳴を上げながら、ボウガンを構えていた野盗共が残らず切り刻まれていく。高圧の水の前には、たとえ金属の甲冑を身にまとっていたとしてもまるで無意味。水は圧力を上げれば金剛石すらも切断出来るのだから。
「リストには生死不問となっていたな。こちらとしては手がかからない方がいいな。賞金さえ支払われればいいのだからな」
 賞金首リストの中で、ある程度の金額を超えると生死不問という賞金首が幾つか目だってくるようになる。それは大概、凶悪過ぎる、凄まじい実力の持ち主、などの理由から捕縛が困難であると判断された人間がその対象となる。こちらにとってもそれは実にやりやすい賞金首だ。生きたまま捕縛して連行する事は何かと不都合や面倒が付きまとう。それならば、確かに仕留めたという証拠さえ提示出来ればいいデッド・オア・アライヴの方が遥かに容易なのだ。
「くそっ!」
 と。
 突然、首領は私達に踵を返すと、奥に向かって一目散に駆けて行く。そちらを見やるとそこにはもう一つドアがあり、先には更に部屋があるようである。首領はドアを開けるとそのまま奥の部屋へ姿を消していった。
「逃げちゃいましたね」
「逃げちゃいましたね」
「所詮、無駄な足掻きだ。逃げ足を考えれば、ネズミ退治よりも遥かに容易だ」
 私達は悠然とその後を歩いて追う。何らかの手段で首領がこの付近から逃げ出す可能性は考えられなくもないのだが、今の所首領の気配は隣の部屋からはっきりと感じ取れる。同時に、また何人かの手下らしき人間の気配も感じる。おそらく、またもや同じような稚拙な待ち伏せを行っているのだろう。
 半ば失笑を隠せない気持ちで、私はドアのノブを握り締めて左回りに捻る。
 その刹那、
 ドォン!
 突如、凄まじい破壊音がドアから鳴り響く。同時に、何か黒く大きな物体がドアを突き破り私に目掛けて突っ込んできた。予想外の出来事に、これまでの経過から気を抜いていた私は、その物体の突進をまともに胸に受けてしまう。
 ズン、という重苦しい衝撃が胸から背中に向けて打ち抜く。私の体は驚くほど後方へ飛んでいった。
「バカめ、かかったな!」
 破れたドアからヌッと姿を現したのは、身長は軽く二メートルは越そうかという全身に盛り上がった筋肉の装甲を持った大男の姿だった。大男は如何にも彼専用の得物らしい、巨大なハンマーを軽々と手にしている。おそらくドアを破り私を直撃したのはそれだろう。首領の笑い声がこの筋肉質の男の後ろから高々と響いている。
 確かに凄まじい衝撃だった。これを普通の人間が受ければ、おそらく一瞬にして肋骨を残らず叩き折られていただろう。しかしあいにく、私はその普通の人間ではない。
「兄様、大丈夫ですか?」
「兄様、大丈夫ですか?」
 衝撃に吹き飛ばされて床に倒れる私をエルとシルが覗き込む。そして私の手をそれぞれ取ると、立ち上がるための補助をしてくれた。
「問題はない。少々油断していたな」
 私は床に立ち上がると、全身についた埃をエルとシルが叩き払ってくれる。
「な……そんな! どうして立てる!? 今のは確かに―――」
 平然と立ち上がった私に激しく狼狽する首領と、あのハンマーを持った大男。それはさすがに無理もないだろう。あれほどの質量を持った武器で激しく体を打たれたら、たとえ即死は免れたとしても自分の力で、それも平然と立ち上がる事はほぼ不可能であるというのが世界共通の常識なのだから。
「さて。そろそろ終わりにするとしよう」
 私は悠然と微笑んで見せると、残りの魔力を全て両の手に集中させた。