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驚きに満ちた表情で、ロイアは突如空から降ってきたブリューナクと、ブリューナクが作り出した半球状のクレーターを見つめていた。
『グオオオオ!』
しかし、突然の事件の間にもオーガは毒の侵蝕に苦しみ暴れる。まるで長い樹齢を誇る大木のような両腕を振り上げ、石畳に向けて何度も打ち下ろす。その衝撃の凄まじさに、地震が起きたかのように地面が僅かに揺れた。
地面の揺れに、ハッとロイアは我に帰った。
先ほどまでロイアは、どうやってあのオーガを鎮めようかと思慮に暮れ、そして結局は諦めていた。体調は万全なのだが、戦うための武器が手元にない。オーガはかなり手強い魔物だが、自分の技量で倒せない相手ではないのだ。たとえ極一般的に市販されているものだとしても、とにかく槍さえあれば何とかなるのだが。
丸腰であるロイアは仕方なく、せめてオーガの及ぼす被害を最小限に食い止めようと考えた。だが、オーガは先ほど狩猟団に毒矢を撃たれ、すっかり我を失って暴走してしまっている。凄まじい腕力を誇る魔物が我を失い全力で暴れているのだ。この状況で被害を最小限にするには、もはや逃げる以外に手段はない。そんな最中、アレックスが気を失い、最後の選択肢であった避難も断たれてしまった。
槍さえあれば、何とかなるというのに。
何度その言葉を噛み締めたのか分からない。この最悪の手詰まりも、たった槍一本で何とかなる。にも関わらず、そのたった一本が手元にないのだ。
そんな時だ。
突然、目の前にブリューナクは文字通り降って来た。ロイアの愛槍である『魔槍ブリューナク』。アカデミー不知火が開発した、この世に二つとない神器だ。
ブリューナクは、本来はアカデミーの宝物庫に封印されていたものだ。封印された理由とは、ブリューナクには使い手の意思によるリモートコントロールを実現するため極めて原始的な自我が埋め込まれているのだが、その自我はあまりに肥大化し、結局ブリューナクが持ち主の命令を聞くことはなかったからだ。更にブリューナクは、かつて暴走の末に町をひとつ一瞬で蒸発させてしまった事がある神器『屠殺者』の後継機である。当然の事ながら、ブリューナクには屠殺者に匹敵する破壊力が備わっている。だが、幾ら圧倒的な破壊力を持っていたとしても、持ち主の命令を聞かなければ制御の利かない爆弾と同じだ。そのためブリューナクは長年に渡って封印されていたのである。そして封印されたブリューナクはロイアによって無断で持ち出され、今に至る。
ロイアはすぐさまクレーターの中に飛び込みブリューナクの元へ駆けつけた。
中心地に突き刺さっているブリューナクは、この豪雨の中にも関わらず全く濡れていなかった。それはブリューナク自身から発せられる凄まじい高熱のためだ。幾ら雨に打たれようとも、その高熱ですぐさま蒸発してしまうのである。そのためブリューナクの周囲には薄っすらと水蒸気が立ち込めている。
「来てくれたのね……」
そっとロイアはブリューナクに手を伸ばしその黒い柄を掴んだ。
「ッ!」
ロイアは顔を苦痛に歪めて柄から手を離した。ブリューナクは降り注ぐ雨を一瞬で蒸発させてしまうほどの熱を発している。そのため、人間には素手で掴む事が出来ないのである。
すると、ロイアが熱さに手を引っ込めた直後、急にブリューナクの周囲に立ち込めていた水蒸気が消えていった。黒い柄が降り注ぐ雨を受けてじっとりと濡れていく。ブリューナクが熱を発するのを止めたのだ。
「ふふっ、いい子」
そんなブリューナクにロイアは微笑むと、そっと愛しげに抱き締める。そして再度黒い柄を掴むと、静かに深く息を吸い込み一気に引き抜いた。突き刺さっていたブリューナクの鑓穂が現れる。その部分だけはまだ高熱を発しているらしく、赤々と輝いている。
自分の身長よりも長いブリューナクを、ロイアは軽々と振り上げて霞中段に構える。手にしたブリューナクの感触は普段となんら変わりはない。ブリューナクの感触を確かめながら、全力を出す事が出来る事を確信する。
『グ……グアアアア!』
と、そこにオーガの咆哮が響き渡った。その様子は毒の侵蝕に前にも増して激しく苦しみもがいている。ロイアは静かにそんなオーガへ視線を向けた。その眼差しは酷く悲しみに満ちている。
意外なタイミングで登場したブリューナクにより、この最悪の状況を打破が可能になった。だが、それが意味するのはオーガの死である。あの巨体をこれだけ苦しめる毒の解毒剤を準備するのは現実的な選択肢ではない。それまでに被る被害の規模は計り知れない。そうなると、もはや我を失ったオーガを鎮める方法は他にはないのだ。
「苦しいでしょうね……」
悲しみに満ちた表情でロイアは苦しみもがくオーガを見つめていた。
もう、他に救う手段はないのだろうか? 何らかの方法で毒を消し、おとなしく本来いるべき場所に戻してやる。そうすれば町は再び平和を取り戻すし、自分もまた奪わなくてもいい命を奪わずに済む。けれど、それが甘い理想論である事をロイアは分かっている。確かに自分の中に理想像を抱くのは目標という意味では意義のある事だ。だが、あくまで目標は目標だ。目標とは達成するものではなく、達成するために努力することに意味がある。
ならば、少しでも理想的な結末を迎えるために努力をする?
いや、それでも結末は変わらない。もはや努力云々ではなく、選択肢そのものが限られてしまっているのだ。自分が出来る努力といえば、如何にオーガを迅速に倒せるかどうかだけである。
ロイアはクレーターから一足飛びで出ると、再びオーガの前に立ちはだかる。構えを霞中段から霞上段へシフト。刃先はぴったりとオーガの中心へ定める。
オーガは相変わらず二本の太い腕を振り回し、周囲の建物や石畳を破壊しては胸の辺りを掻き毟る。見ているだけで悲しみに押し潰されそうなほど切ない気持ちになってくる。だが、ここで止めなければ被害はより一層増えるだけだ。その残酷な決断を、自分は下さなければならない。
ならば。
せめて。
せめて、苦しまないよう一瞬で終わらせてあげなければ。
人間の都合でいいように利用され、苦しみ苦しみ抜いた上に最後を迎えるなんてあまりに哀れだ。苦しまずに眠らせてやるのが、唯一与える事が出来るオーガへの救いだ。
「お願いね、ブリューナク」
そうロイアが構えた槍に向かって囁く。
するとブリューナクの鑓穂は、まるで今のロイアの言葉に呼応するかのように更に輝きを増した。