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「アレックスさん……?」
 突然の援護射撃の正体に、ロイアは驚きの色を隠せなかった。
 振り向いたロイアの視線の先には、雨の中、傘も差さずに立ちはだかっているアレックスと、彼が従えている黒いいでたちの男が数名の姿があった。普段、デスクワークと商品の搬送を主として行っているアレックスには似つかわぬ、勇ましささえ感じさせる光景だ。
「早くこちらに。この場は彼らに任せて下さい。彼らはプロの狩猟団です」
 狩猟団とは、いわゆるハンターの集まりである。数の優位性を生かした集団による連繋戦術に長け、個々の弱点を補いながら長所を最大限に生かし、個人レベルのハンターでは手に負えない魔物やその集団を相手にするのである。歴史上有名な狩猟団には、パピーレベルではあるがドラゴンすら倒した狩猟団が存在する。もっとも、彼らの内のほとんどは神器所有者ではあったが。
 なんにせよ、1+1を3にも4にもする陣形と連繋が彼らの最大の武器であり、その武器は時として一国の軍隊すらも凌駕する。これらを総じて、狩猟団とは集団戦闘のスペシャリストなのである。
「はい、分かりました」
 ロイアは突然の展開に呆気にとられながらも、こくこくとうなづく。
 あの強固なオーガの体に矢を突き立てるなんて、よほど強力なボウガンだ。ボウガンは弓の命中精度を高め、単純に威力を上げたものである。その割にノックバックが少なく、比較的初心者にも扱いやすい。しかし、オーガの体を貫くほどに強化したとなると、バレルもよりブレやすくなり命中精度は極端に落ちる。にも関わらず、難なくあの距離から正確に命中させたという事は相当の技術力がなければ出来ない技だ。
 とりあえず、自分はもうどうしようもない相手だ。ここはアレックスに従い、彼らの邪魔にならないようにするのが良策だろう。そう判断したロイアは、突然襲い掛かってきた矢に怯んだオーガの隙を突き、素早く狩猟団の後ろへ駆けた。
 一体、いつの間に狩猟団を雇ったのでしょう? この付近では見かけなかったように思いますけど……。
 オーガはゆっくり自分の受けたダメージの程度を理解すると、攻撃目標を矢が飛んできた方向にある物へと変える。オーガはそれほど知能レベルは高くないため、人間と武器を理解する事は出来ない。しかし、自分を攻撃するものに対しては攻撃的になり、元から少ない理性すらも失うほど興奮する。
『グオオオオオ!』
 オーガは石畳を激しく踏み鳴らし、まるで火山の噴火のような雄叫びをあげる。常人ならとっくに恐怖のあまり腰を抜かしてもおかしくはない光景だ。にも関わらず、この狩猟団やハンターである自分ならともかく、何の戦闘経験もないアレックスが平然と構えている姿にロイアは驚く。自分が思っていたよりも、彼はずっと精神が強固なのだろうか。
「第二射、構え」
 激怒したオーガの雄叫びの中、猟団のリーダーが静かながらよく通る声で全員に指示する。彼らは一斉にボウガンをオーガに構えた。ボウガンは矢倉と一体になっており、改めて矢を装填する手間も必要が無い。
「発射」
 低い合図と共に、ひゅん、と空気を切り裂きながら一斉に矢が放たれる。矢は、今度は真正面を向いていたオーガの顔に次々と突き刺さっていった。オーガは顔を押さえながら僅かによろめく。しかし、全くと言っていいほど出血は見られない。
 あまりに正確な射撃だ。しかし、オーガを倒すにはあまりに威力が小さ過ぎる。あのボウガンの矢も、人間にしてみれば縫い針が刺さったほどのダメージしかないだろう。それではかえってオーガを興奮させてしまい逆効果だ。
 予想通り、オーガはますます怒りに狂い、砕け散った石畳の下を更に踏み鳴らし、手近にあった商店を建物ごと叩き潰す。建物はあっさりと紙箱のように潰れてしまったが、それでもオーガの怒りは鎮まる事はなく、より殺気立ってこちらを睨みつける。今にも飛び掛らんばかりの様子だ。
「あの……これでは」
「大丈夫です。彼らに任せて下さい」
 不安げなロイアに対し、アレックスは悠然と微笑んでいる。しかし、それはいつもの紳士然としたものではなく、やけにギラギラと目が異様に輝いている。ロイアは、どこか背筋に冷たいものが走るように錯覚した。
「用意しろ」
 同じく猟団のリーダーもロイアと同じ事を考えていたらしく、これ以上の射撃は無駄と判断するや否やメンバーに指示を出す。すると団員は、矢倉とは別に道具袋から別の矢を取り出してボウガンにセットした。その矢は先ほどまで使っていた矢よりも太く長い。そして、矢尻には頑丈な鎖が繋がっている。その鎖の先には、子供の頭ほどの鉄球が溶接されている。
 リーダーはバッと腕を高々と上げる。それを合図に団員は素早く散開する。
 確かあれは拘束用の鉄球だ。アカデミーのテキストで読んだ事がある。直接魔物の体に楔として重りを撃ち込む事により、身体の自由を奪うのである。
 緩慢なオーガの動きとは正反対に、実に迅速で統率された猟団の動き。彼らはあっという間にオーガの周囲を取り囲んでしまった。
「撃て」
 その合図と共に、一斉に四方からオーガに向けて拘束用の矢が放たれる。僅かにでも狙いが外れれば、向こう側にいるメンバーに当たってもおかしくはないというのに、何の躊躇いも無く正確に射撃する。おそらくこの雨すらも計算に入れて射撃しているのだろう。
 放たれた矢は鉄球を矢尻で引っ張りながらオーガに向かって真っ直ぐ飛んで行く。放たれた合計八本の矢はほぼ同時にオーガの体に突き刺さった。
『グオオオオ!』
 先ほどよりも更に深く体に食い込む矢を受け、オーガは激しく吠えると、上半身を捻りながら両腕を力任せに振り回した。しかし、猟団は素早く攻撃の届かない安全圏まで離れると、すぐに第二射の準備に取り掛かる。
「撃て」
 再び同じ拘束用の矢がオーガに向けて放たれる。痛みのため更に暴れるオーガ。だが、猟団は的確にその攻撃をかわしながら矢を放っていく。
 瞬く間にオーガの体は無数の鉄球で埋め尽くされた。総重量にすると、一体どれほどの鉄球が植え付けられただろうか。しかし一向にオーガの動きが収まる気配は無い。それどころか、より一層激しく暴れ始めた。
『ウオッ! ウガアアア!』
 怒り狂ったオーガは建物を引き千切り、その破片を散開する狩猟団のメンバーに目掛けて投げつける。しかし、狩猟団はそれを難なくかわしていきながらも陣形は乱さない。矢を撃つチャンスはあったが、これ以上撃たない所をみるとどうやら拘束用の矢は打ち尽くしてしまったようだ。
 これは……やはり、押さえきれないのでは?
 猟団の的確な事の運びに、初めこそは安心して見てはいたが、徐々に不安の方が大きくなっていく。
 オーガは、自分が時折相手にするドラゴンに比べればはるかにランクの劣る魔物ではある。しかし、決して油断をしてはならない魔物だ。そもそも、戦闘自体が油断のならないものなのだが、オーガは歴戦の猛者すらも一撃で屠る腕力を持つ。建物を玩具のように扱う腕力を、鉄球で押さえつけようというのが初めから安易だったのだ。
「仕方がない……」
 自軍が不利であると判断したリーダーは、再び腕を上げて合図をし、メンバーをこちらに集めさせた。雨の音も踏まえ、足音も立てずに集まる団員。一意で統率されるその姿は、どこか女王蜂を彷彿とさせる。蜂は軍隊としてもっとも理想的な姿にたとえられる。ただ、どこの国の軍隊もそれを目指さないのは、目的のためならば死すらも厭わない事を末端まで強要する、人を人と思わぬ非人間性を要求されるためだ。建前上、軍人もまた、次世代の人材を集めるためにも人権は尊重されなくてはいけないのである。
「毒を使う。カンタレラをレベル7濃縮で」
 その指示を受けたメンバーは、すぐに準備を整える。
 毒ですか……。
 思わずロイアは少なからず苦い表情を浮かべた。毒には様々な種類があるが、一瞬で、全く苦しませず殺す毒など存在しない。どれほど強力だとしても少なからずは苦痛を与えるのだ。戦闘において、相手に与える苦痛が自分の武器によるものならば、自分の行為の重大性を心に刻み込む事が出来る。しかし、毒の侵蝕には自分の意思が存在せず、自分は手を汚さずして相手を倒すというどこか姑息で陰湿な気がしてならないのだ。だからこそ、ロイアは解毒剤を調合するため以外の毒物は持ち歩かないのである。
 しかし、この場は仕方がない。そうでもして、ここでオーガ鎮圧しなければ、被害はこれだけに留まらない。それこそ、何十人という死傷者が出る大惨事にもなりかねない。
 ロイアは何度も何度も自分にそう言い聞かせ、思わず制止したくなるのをじっとこらえる。自分のこだわりで人々を危険にさらすわけには行かないのだ。
「撃て」
 そして毒矢は放たれた。矢はこれまでと同じように、ひゅっ、と空気を切り裂きながらオーガの体に向かって吸い込まれる。
 次々と突き立つ毒矢。その鏃に仕込まれた毒が、これからオーガを深い苦しみに苛んだ後、背後から突き飛ばすように死の淵へ放り込むのだ。
 が。
『グアアアア!』
 苦しみ悶えるオーガ。しかし、その勢いは一向に留まる事無く、これまでよりも一層激しく暴れ始めた。先ほどよりも手がつけられない。
「まずい!」
 初めて狩猟団のリーダーが声を焦らせた。思っていたよりもオーガの生命力が強く、使用した毒ではすぐには死に至らしめられないのだ。その結果、逆に生死の境目に立たされたオーガは、生き延びるために最大限の力を引き出しながら暴走を始める。
『ウオオオッ!』
 苦し紛れにオーガの振り下ろした腕が辺りを薙ぎ払った。その衝撃に猟団はあっさりと蹴散らされ、ロイアとアレックスの体が吹き飛ばされる。猟団はそれぞれ建物に叩き付けられたり石畳に強かに打ち付けられ、気絶、もしくは自分では起き上がれないほどの重傷を負ってしまった。これでも直撃ではなかったのだ。もしも直撃を受けていたら、彼らは人間の原型を留めていない。
「くっ……」
 なんとか立ち上がるロイア。直撃こそ免れたものの、風圧だけでこれほども吹き飛ばされるとは。この事実がオーガの腕力の凄まじさを何よりも雄弁に物語っている。
 さて、どうする?
 頭の中で理性という名の自分が訊ねて来た。
 状況ははっきり言って最悪だ。凄まじい腕力を持つ魔物が窮地に立たされ、誰彼構わず全力で暴れ始めた。頼みの猟団もやられてしまい、この場の戦士はもはや自分だけ。しかし、今の自分は得意の武器を持ち合わせていない。戦士というのも、武器がなければ所詮は肩書きだけでしかないのだ。今の自分のオーガを鎮める力はない。
 とにかく。今、オーガの注意は自分とアレックスに向いている。となれば最良の選択肢は、アレックスを無事にこの場から避難させる事だ。
 まずはアレックスを起き上がらせなければ。そう思ったロイアは、ようやく起き上がろうとしかけたアレックスの元へ駆け寄る。
 と、その時。
「あら……それは」
 ふとロイアは、アレックスの傍に転がっていた何かに視線を止め、それを取り上げた。
「あ―――」
 拾い上げられたそれを見て、思わず声を上げるアレックス。しかし、その声は雨の音にかき消され届かない。
 ロイアが拾い上げたもの。それは、手のひらほどの大きさの球状の結晶体を二つ、紐で繋いだものだった。結晶の一つは赤、もう一つは青。一見すると、どこにでもありそうなアクセサリーの類でしかない。けれど、ロイアにはこれが何であるのかすぐに分かった。アカデミーのテキストで見覚えがあったのである。
「これは、まさか……」