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正面門から屋敷の入り口に向かって伸びる長い長い石畳の道を抜け、間近にセーウィアス家の邸宅が迫り来ると、これほど圧巻の光景はなかった。
アレックスに手を取られながら馬車から降りるロイアは、ただただ驚きを表情に出さぬようにするだけで精一杯だった。これだけ大きな建物を公共施設以外で見る事はそうはない。私宅となるとかなり稀だろう。
馬車の止まる音を聞きつけたのか、降りた途端に入り口の扉が中から静かに開かれた。現れたのは実に身形のいい姿の老執事だった。
「お帰りなさいませ」
うやうやしく頭を下げる老執事。一流のホテル、もしくは宮廷などに仕えていてもおかしくはないほど洗練された動作である。
「ただいま。早速昼食にしてくれないか」
「かしこまりました。と、そちらの方はお客様でしょうか?」
「彼女はロイア=リーヴスラシルさんです。丁重にお持て成しして下さい」
とにかく笑顔で頭を下げるロイア。しかし、老執事はそれよりも低く頭を下げる。たとえ自分のような素性の知れない者だとしても、客ならば指示通りにもてなすのが仕事だからなのだろうが。どうにも複雑な心境でロイアは歓迎を受ける。
「リーヴスラシル様、お荷物を」
と、老執事はさりげなく手を伸ばしてくる。
「いえ、大丈夫です。それに、これは少々重いですから」
ロイアの背負うカバンは、見た目にも重い事が容易に想像出来るほどの大きさである。大きな鉄の箱が中に入っているのが一番の要因だ。自分は鍛えているためこのカバンの重量はさして苦でもないのだが、この見た目にも小柄な老執事が持つのはどう考えても不可能だろう。迂闊に持ち上げようとして、腰や関節でも悪くしてしまいそうである。
左様ですか、と老執事はうやうやしく一礼すると、扉を開けて中に入るように促す。
「さあ、どうぞ」
アレックスが先立って屋敷に入り、ロイアはその後に続いた。
屋敷の中は外装にも増して豪奢できらびやかだった。あまりにもさりげなく高級調度品が置かれている。ロイアは場違いすぎる自分に気後れし、ますます小さくなってしまった。
「部屋には僕が案内しますので、昼食の準備を」
「かしこまりました。それでは失礼いたします」
老紳士はアレックスにカギ束を渡すと、深々と頭を下げてその場を立ち去る。
「それでは参りましょう。客室にご案内いたします」
ロイアはアレックスに連れられて、屋敷の奥へ。
長い廊下は二人の足音しか聞こえないほど静まり返っていた。よほど屋敷は広く、他の場所にいる人の物音はここまで届かないのだろう。
通常、金持ちの家と言ったら。やたらめったら高級と名のつくものがそこいら中に溢れていると思っていたが、この屋敷は割と整然としていた。燭台やカーテンなど、そういった必要な物以外の姿はない。やはり様々な商品を扱っているため物を見る目が肥え、本当に気に入った物しか家の中には置かないのだろう。雑然と無秩序な趣味で物が並んでいるよりも落ち着きがあっていい。それに、うっかり壊したりしてしまう心配も少ない。
「あの、つかぬ事をお聞きしますが」
「なんでしょう?」
ふとアレックスがロイアに問うてきた。口調は相変わらず丁寧で紳士然としている。
「冒険者にしては、少々荷物が多いように思えるのですが、一体何が入っているのですか?」
「色々ですわ。あまりお訊ねにならないで下さい。恥ずかしいですので」
そうロイアは微笑んで質問をかわす。
「これは失礼」
苦笑を浮かべるアレックス。しかしロイアは、内心ではホッとしていた。この大きなカバンの容量の大半を占めるのは、あれが入った鉄の箱である。まさかそんなものを持ち込んでいるとは言えるはずがない。アレックスが詳しく詮索してこなくて助かった。
階段を幾度か上り、最上階へ。そして長い廊下を半分ほど過ぎた頃、こげ茶色のシックなスタイルのドアが見えてきた。アレックスはカギ束から一つカギを抜き、そのドアを開ける。
「さあ、どうぞ」
ドアに背を当てながら開け、お先にどうぞ、とロイアを部屋の中へ促す。
ロイアが通されたその部屋は、一流ホテルのスウィートのような豪華な部屋だった。こちらも整然としてすっきりとしている。
「滞在の間はご自由にお使い下さい」
「は、はあ……ありがとうございます」
アレックスはそっとロイアに部屋のカギを渡す。本当にここに泊まってもいいのか半信半疑の気持ちのまま、ロイアはただただ薦められるがままにカギを受け取った。
「足りないものがあれば、何なりとおっしゃってください。すぐにご用意いたしますので」
そうアレックスに微笑まれるロイア。だが、はいともいいえとも答えられず、ロイアもただ微笑むばかりだった。
「昼食の準備が整う間、シャワーでも浴びて下さい。バスルームは右の突き当たりにありますので」
後ほど迎えに上がりますので、と言い残し、アレックスは部屋を後にした。
ぽつりと部屋に取り残されるロイア。自分を落ち着けるためにしばらく時間がかかった。急に、まるで別世界に放り込まれたようにさえ思えた。あまりに自分の日常とはかけ離れた光景である。
とりあえず、シャワーを浴びて落ち着きましょう……。
やがて、そう結論を得て無理に自分を納得させると、まずはベッドルームへ向かった。
考えてみれば、ベッドルームが別になっている部屋に泊まるのは初めてだ。普段の自分は、一つの部屋にベッドなどが全て並べられているというのが常である。
ベッドルームと彫られた金色のプレートが張られたドアを開けて中に入る。ベッドルームは、丁度リビングと同じぐらいの広さがあった。キングサイズのベッド、真っ白なクローゼット、棚にはボトルとグラスが幾つか並んでいる。
ロイアは誰もいないベッドルームへ遠慮がちに足を踏み入れる。そして背負っていた大きなカバンをベッドの脇にそっと下ろし、槍袋を壁に立てかけた。
今夜からしばらくここで眠る訳なのだが。いつも自分が泊まるような宿のベッドとはまるで訳が違う。というよりも、このベッドの上にすら横たわるのも躊躇われそうである。
「とにかく、シャワーを浴びましょうか」
落ち着けば、もう少し神経も太くなるはず。そう考えたロイアは早速上着を脱ぎ、クローゼットの中へ。
と、その時。窓側から暑い風が部屋の中に入ってきた。ふとそちらを振り返ると、そこには白い手すりのついたベランダがあった。ベランダに出て外を見渡す。すると屋敷の庭が一望できた。緑の芝生が一面に広がり、幾つか植木の姿が見える。遠くには正面門があり、そこから自分が馬車で通って来た石畳の道が芝生の緑を裂くようにここまで真っ直ぐ伸びている。かなりの庭である。よほど金がかかっているだろう。何から何まで別世界だ。こういう所で暮らせたら、さぞかし快適な生活であろう。
着替えを持ちながらバスルームへ向かう。
脱衣室にはタオルやらバスローブやらオイルやら、大概の入浴用品は揃っていた。普段は全く縁薄い高級品ばかりである。どうせならこの際、一通り使ってみるのもいいかもしれない。
浴槽には夜にゆっくり浸かる事にして。まずは香りつきの石鹸から使ってみる事にした。アカデミー時代はよく使っていたものだが、ここにあるものはまず包装からして違う。ただの石鹸が、綺麗な木製の箱に入っているのだ。この時点で、そこらの店で売られているようなただの香りつき石鹸ではない事が分かる。
ロイアはシャワーのお湯で全身の汗を流し始めた。どんなに暑くとも、シャワーのお湯は実に気持ちのいものだ。特に、あれだけ暑い中を汗だくで歩いた後となっては、爽快感もひとしおである。
そして、件の高級石鹸を使ってみた。
お湯で泡立たせ、手のひらに泡を乗せる。そしてまずは右手を肩から指先まで擦るように撫でてみた。泡は心なしか滑らかな感じはしたが、案外、思っていたよりも明確な差はなかった。香りも柔らかいだけでそれほど特別には思えない。
自分は高級な物とは縁薄い生活をしているため理解出来ないものなのかもしれない。そうロイアは苦笑したが、とりあえず豪華な雰囲気のシャワーを堪能した。