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 予定では夕刻に到着する予定だった町は、途中で期せずして馬車に乗れるという幸運に恵まれて昼過ぎに到着した。
 その町は前の町に比べると道は綺麗に舗装され、石畳や街路樹などが華やかに映えていた。規模だけを考えると大して変わりはないのだが、町そのものは割に裕福なようである。
「あれが僕の会社ですよ」
 レックスは馬車の窓から外を指差した。
 そこには、周囲から頭二つほど飛び出した大きな建物の姿があった。白と青の配色が涼しげである。セーウィアスカンパニーと描かれたアーティスティックな文字が実に印象的だ。
「随分と立派な会社を御経営なさっているのですね」
「いえ、僕は大した仕事はしていませんよ。ほとんど社長である父の力で業績を伸ばしているようなものですから」
 そう謙遜の笑みを浮かべるアレックス。だが、貴金属類の大口の取引を任せられるには通常かなりの経験や実力がなくてはいけない。それをこの年齢で当たり前のように任せられているのだから、アレックスが相当の実力を備えている証拠である。
 やがて馬車は会社の敷地前までやってきた。建物の周囲は舗装された石畳の道路が何本か走り、その間を街路樹が植えられて殺伐とした風景を和やかにしている。
 道路の始点には、警備らしき人間が二名立っていた。この強い日差しの中、汗も浮かべず微動だにしていない。遠目から見れば、等身大の人形だと間違えてもおかしくはないだろう。
「社長は居ますか?」
 馬車は入り口の前で一時停止した。そして警備の内の片方が、手にした帳簿から搬入予定の馬車番号リストと、実際に止まっているこの馬車の番号とを照らし合わせ始める。その間、アレックスは窓から顔を出してもう一人の警備の人間にそう訊ねた。
「はい。荷物の到着を御待ちのようでした」
「では、到着した事を連絡してください。荷物は第十七倉庫に搬送します」
「了解しました」
 命を受けた警備の人間は一度敬礼し、踵を返して建物の方へ駆けていった。警備にも教育が行き届いているのか、実に模範的な受答と仕草だった。
「番号確認いたしました。どうぞ、お通り下さい」
 リストとの照合を終え、再び馬車は走り出した。
 馬車は石畳の道路を真っ直ぐ進むが、途中の十字路で右に曲がり、そのまま建物の裏手の方へ回った。時折、同じようなデザインの馬車がすれ違った。どうやらこの馬車以外にも荷物の搬入を行っている馬車が幾つかあるようだ。
 やがて建物の裏手に辿り着くと、そこには同じ形をした倉庫が二十近く四列になって並んでいるのが見えた。一つ一つの倉庫が、アカデミー時代に使っていた屋内運動場ぐらいの規模がある。一瞬、総合住宅地を思わせるような風景である。
「これは全て使っているのですか?」
「ええ。食料品、香辛料、調度品、植物、貴金属、といった風に商品の種類ごとに区分けして整理しているんです。基本的にうちでは全てのジャンルの商品を取り扱う事にしていますので、このぐらいなければうまく整理が出来ないんですよ」
 品物の整理を、棚ごとではなく倉庫ごとで行っているなんて。自分はあまり流通業や卸売業については詳しい訳ではないのだが、これほどの規模はそうはないだろう。もしかするとこの町が綺麗なのも、この会社がもたらす経済効果のおかげなのかもしれない。
 馬車はそのまま石畳の上を進み、ゆっくりと一番奥の列の倉庫の前に止まった。同時に、すぐさまこの馬車についてきていた後ろの馬車から、乗っていた数名の人間がぞくぞくと降りる。そして積んでいた荷物を倉庫の中に運び込み始めた。
 馬車に積んでいたのは、五十センチほどの黒い金属製の箱だった。見た目からして重厚そうである。いかにも中に貴重なものが入っています、と言わんばかりの外見だ。
「あの箱、全部宝石などが入って?」
「宝石、金、それと原石も少々。ほとんどは加工したアクセサリー類です。今回はたまたま大口でしたので、いつもよりやや数が多いですね」
 時折ある事だ、とアレックスは何事でもないように答える。しかしロイアは、次から次へと馬車の中から運び出される箱の山々を見て、もしこれら全ての品を現金に換算したら一体どのぐらいの額になるのだろうか、と考えずにはいられなかった。少なくとも、自分が一生働いた所で稼げる額ではないだろう。これだけの金額の取引を日常的に行えるなんて、よほど資金力のある会社でなくては無理だろう。
「あ、父―――社長のご到着です」
 アレックスはロイアを二、三歩後ろに下がらせた。すると、二人の前に一台の馬車が止まった。この会社では、敷地が広いため移動には馬車を使っているのである。
 馬車から降りてきたのは、颯爽と暖色のスーツを着こなした老年の男性だった。顔立ちがアレックスとよく似ている。この男性が、これだけの大規模の流通卸売業の仕事を統括している人物である。そう思うと、ロイアはやや緊張してきた。
「予定よりやや遅れましたが、商品は全て問題なく入荷しました」
「そうか。質はどうだ?」
「まあまあといったところです。社の規定水準は問題なくクリアしています。値段も、仕入れ値から考えれば妥当でした。っと、これは鑑定保証書、そしてこちらが明細書です」
 アレックスは懐から二つの封筒を差し出した。彼の父はその封筒を受け取るとすぐさま封を開け、中の羊筆紙に目を通す。
「うむ、ご苦労だった。お前も大分様になってきたな」
 そこに記された内容を見ながら、アレックスの父は満足げに大きくうなづいた。
「社長の教育の賜物でしょう」
 またそのセリフを、とアレックスは苦笑しながら答えた。
「ん? そちらの方は?」
 一通り話し終えた頃、アレックスの父はアレックスの傍らにたたずむ見覚えのない人の姿にそう問うた。
「この方はロイア=リーヴスラシルさんです。実は峠を抜ける途中で野盗に遭ったんですが、彼女に助けていただいたのです」
「おお、それはそれは。危ない所をありがとうございます。アレックス、お前はまた詰めを誤ったな。警備には金を惜しむなといつも言ってるだろうに。やはりまだまだ未熟だな」
 さっきは様になったと誉めていたクセに。再びアレックスは父親の様子に苦笑を浮かべた。
「ロイアさんは数日ほどこの町に滞在なさる予定なのだそうです。それで是非とも我が家にお招きしようと思うのですが」
「うむ、そういたしなさい。アレックス、お前はもう仕事は上がっていい。リーヴスラシルさんを家に送って客間にお通ししなさい。それと、昼食もご馳走してさしあげなさい」
「分かりました」
 そこまで細かく言われなくとも分かっている。そう言いたげに、三度アレックスは苦笑する。それは、ある種達観しているようにも見えた。
 ロイアは二人を、いつまでも息子を子供扱いする父親と、いつまでも対等の大人という評価を得られない息子、と傍から見て、心の中で密かに微笑んだ。どこにでもある、親子の微笑ましいやりとりである。
 二人は再び馬車に乗り込むと会社を後にした。
 普通に歩くよりも遥かに馬車は早いのだが、それでも敷地を抜けるにも何分かの時間を要した。とにかく、とても個人の所有するものとは思えないほど広いのだ。
「あんなに沢山の商品があるという事は、よほど多くの取引先がいらっしゃるのですね」
「おかげさまで、そこそこ御愛顧していただいておりますよ。まあ、数字で言えばかなりのものになりますので、ある程度の段階ごとに一元管理しておかなくてはとても収支決算など出来ませんね。お恥ずかしい話、取引先の正確な数はこちらも把握していないんですよ。帳簿を調べない事にはさっぱりなんです」
 ばつの悪そうな笑みを浮かべるアレックス。しかし、それだけ多くの取引相手がいるという事は、やはり会社の経営もよほど盛況なのだろう。何より、あの桁外れな敷地と建物の数がそれを象徴している。
「将来はアレックスさんが社長に御就任なさるのですか?」
「とりあえずは。この仕事もそのための教育の一環といったところですね」
 まだまだ父は、自分を未熟な子供としか思ってくれませんけど。アレックスは肩をすくめて微苦笑しながらそう付け足した。
 町はこの暑さの中でも大勢の人で溢れていた。太陽の熱よりも人々の熱気の方が遥かに強い。雪国育ちのロイアにはやや暑過ぎる気候ではあったが、そんな人々の活気を肌で感じるのは実に心地良かった。暑さにバテ気味だった体に活力を分け与えられ、元の元気を取り戻したような気にさえなってくる。
 町は随分と商業が盛んのように見えた。何メートルと離れず、何かしらの物を売る店が必ず軒先を並べていた。それだけの店があると、当然商売敵とも呼べる店は無数にある事になる。その中で勝ち残っている店は、やはり勝ち残るだけの何か光るものがあるのだろう。これだけ商売が盛んであると、自然に互いの店が切磋琢磨され、良心的な店が多くなる。
「あ、見えてきました。あれが僕の家です」
 商店街を抜けてからしばらくして。
 ふとアレックスが窓の外を見ながらそう伝えた。ロイアは窓の外から顔を出して、彼の家を眺めてみる。
 はあああ……。
 と、ロイアは思わず口をぽかりと開けてしまった。
 今走っている通りの向こう、およそ二、三百メートル先。そこに建っていたのは、まるで一昔前の城をイメージさせるような巨大で豪奢な建造物だった。
「あれ……が?」
 信じられない、と言いたげな表情でロイアはアレックスに訊ねる。
「ええ。見た目は少々古臭いですけど、中は割と綺麗にしていますので御安心下さい」
 とてもそれが一般人の住居とは思えなかった。王族が住む城だと呼んでも違和感はないだろう。
 いよいよ、自分はとんでもない人物を救出してしまった、とロイアは思った。まさか、これほどの家―――豪邸に、二日三日だけとはいえ図々しくも居候するだなんて。
 思わず、申し訳なさのあまりこの場から逃げ出したい衝動にすらロイアは駆られた。本当に、自分は大した事などしていないのだ。賞金に換算してみれば、その辺りの大衆食堂で一食ご馳走になるぐらいが相場なのに。これではまるで、どこぞの爵位を持った貴族に招待されたようである。
 なんだか……身に余りすぎますわね。
 想像を越えたあまりの展開に。心なしか、ロイアの表情は半笑いになってきた。