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鬱蒼と生い茂った林道。まるで海のように鬱蒼と棲息している木々が四肢を空に向かって伸ばしている。だが、その寄り集まった葉枝の間から眩しいほどの強い日光が差し込み、足元をステージ上のライムライトのように点々と照らしている。林道は夜のような暗闇と、昼のような明るい場所とのコントラストが続いていた。初めて見る者にとっては、これほど幻想的な光景はおおよそ見た事はないだろう。
その幻想的な林道を、ロイアは一人黙々と歩いていた。
額に汗をじんわりと浮かべ、顔にはうんざりとした色がありありと浮かんでいる。その原因は、この眩暈のするような蒸し暑さにあった。元々ニブルヘイムという寒冷な気候の国で生まれたロイアには、この高温多湿の気候が肌には合わずうまく体温調節が出来ないのである。
「次の町に着きましたら、当分滞在して体を慣らせたほうがいいでしょうね……」
普段はあまり気にならない大きなカバンも、今はやけに肩に重くのしかかる。疲労困憊とまではいかないが、元気に歩いて風景を楽しむ余裕もない。かと言って、道端に腰を下ろして休むほど疲労もしていない。休むぐらいならば、さっさと先に進んだ方が良いくらいだ。
ロイアの体は、実に中途半端な疲労具合だった。生殺し、生かさず殺さず、生け捕り、などといった単語が頭の中に浮かんでは消える。冒険者として世界中を旅するようになって、そろそろ二年が経とうとしている。その時間が、自分に滅多な事では座り込んでしまわないだけの体力をつけさせた。だが、こういった中途半端なタフネスはあまり精神衛生には良くない。おかげで先ほどから、歩き通すのか、少し休むのか、その間で何度も何度も気持ちが揺れ動き、結局は決めかね惰性だけでこうして歩き続けている。
ハンカチは汗を吸い過ぎて既に使えなくなっている。そのため、前の村の宿でもらったタオルが汗を拭うのに役立っていた。顔、首筋や胸元の汗は気になるため、頻繁に拭いたくなるなる。特に胸元は、この国に来てからは汗疹まで出来てしまった。
自分は割と我慢強い性格と思っていたのだが。思ったよりもその自信は簡単に打ち崩されてしまった。ちょっと気を緩めると、つい”暑い”と口走ってしまい、喉が渇いている訳でもないのに冷たいものを飲もうと考えてしまう。人間苦境に立たされると、心の奥底に仕舞っている本性というものがあっさりと露呈してしまう。それが、自分が思う自分像とかけ離れていればいるほど落胆は重い。
聞いた話では、この林道は朝に入れば遅くとも夕方には出られるそうだ。林道を出れば次の町とは目と鼻の先。時刻を考えてると、そろそろ半分ぐらいまで来た頃だろう。
本来ならば昼食の時間だが、ロイアは全くと言っていいほど食欲がなかった。この未知の気候にすっかり消化器官が参ってしまったのである。だが、自分は体を資本とする職業である。食欲がないからといって食事を抜くのはあまり好ましくはない。そのため、比較的食べやすいだろうと前の町で買っておいた果物を口にしながら歩いた。果物だけでは体の構成に必要なたんぱく質が不足してしまうのだが、今は干肉を一切れをかじるだけで精一杯だった。
それにしても、この延々と続く微妙な坂道もそろそろうんざりしてくる頃だ。見た目には全く分からなかったのだが、こうして歩いてみると幾らかの傾斜がある。せめて下り坂だったら良かったものを、やはりそれは上り坂である。
「あら?」
大方昼食も終えたその時。ふと前方から林道の静寂を破る何やら騒がしい音が聞こえてきた。
『オラオラ! 観念しな!』
『さっさと積荷を置いて失せろ!』
荷馬車が二台、そして普通の馬車が先頭に一台。その周囲を、馬にまたがった男達数名が行く手を阻むかのように取り囲んでいる。ほぼ間違いなく、野盗の類だ。考えられる状況としては、商人の積荷を盗んでどこかに売りさばこうという腹だろう。場所もこういう人気のなく薄暗い所を選んでいる姑息さがそれらしい。
「まったく……どこの国も、文化は違えどああいった種類の人間は必ずいるんですね」
ロイアはふうっと溜息をつき、小走りでそこへ駆け寄った。
「ん? 何だ、お前?」
「ケッ、女じゃねえか」
野盗は不意に現れたロイアに、侮蔑と奇異の視線をぶつけた。予定外の来訪者が女性だったという事に、自分達の仕事の予定が崩されるとは考えもしないのだろう。
だがロイアはゆっくりと背負っていた大きなカバンを置き、手にしていた細長い袋の口を開けた。その中から現れたのは、この暗闇の中でも更に映える漆黒の槍だった。
ロイアはアカデミー不知火で四年間槍術の訓練を受けた槍闘士である。卒業時に神器を授与はされなかったが、素人の戦士では幾人束になろうとまるでかなわないほどの実力を持っている。もう一つつけたせば、ロイアは投擲の単位を毎回落とさなければ神器を授与されてもおかしくはなかったほどの実力の持ち主なのである。数人の野盗など、物の数にも入らない。
「人は見かけで判断しない方がよろしいですわ」
ニッコリと微笑み、ブンと回転させて槍を構える。見た目にも重厚そうな槍を、ロイアは細腕で軽々と操っている。それはロイアが、魔術から派生した筋力強化技術である昇華を使いこなしているからである。
「アニキ、コイツやるつもりですぜ?」
「ああ? 女なら売れるだろ。殺さずにおとなしくさせろ。傷は出来るだけつけんなよ」
だが、野盗達はその事になどまるで気がついていない。それどころか、ロイアが女であるというだけで既に自分達が勝つという事を前提で話を進めている。
戦闘において、相手の実力を測れない者は長生きをする事が出来ない。何故なら、相手の実力すらも測れないのはただの未熟者で、己の力がどれだけありふれた程度のものなのかを理解していない思い上がりを持っているからだ。戦闘において必要なのは、徹底した現実主義の情報と数値化した際にどちらが上なのかを指標できるだけの洞察力だ。相手が一歩でも自分を上まっているのであれば、今すぐその場から退却する事で落とさなくてもいい命を落とさずに済むのである。
「そういう事だ。おとなしくしていた方が痛い目見なくて済むぜ?」
ヘラヘラと下卑た笑みを浮かべながら一人の男が近づく。男の視線はロイアの顔から胸とボディラインを嫌らしくなぞっていく。
と―――。
ロイアの目の前まで歩み寄った瞬間、男は急に立ち止まりそのまま硬直した。
「そのセリフはお仲間にかけてあげて下さい」
溜息混じりのロイア。
そして男は背中からその場に崩れるように倒れた。
「石突ですから命に別状はありません」
ロイアは冷静にそう言い捨てた。
「な、なんだコイツ……」
野盗達はどよめき、一斉に動揺の色を浮かべていた。ロイアが常人には捉え切れない速度で、槍の石突による突きを男のみぞおちに決めたのだが、それを正確に捉えた人間はその場には一人としていなかった。野盗は比較的荒事に慣れているとは言えども、所詮は一般人が武装して徒党を組んでいるにしか過ぎない。戦闘に関して専門の教育を四年間も受けたロイアにして見れば、子供のゴッコ遊びと大して変わりはないのである。
「私はあまり無闇に戦うのは好きではありません。このまま大人しく退いていただければ、私も槍を退きましょう。これでもまだ退いてはいただけませんか?」
それは警告ではなく、せめてもの救いを含めた提案だった。ロイアがその気になれば、この野盗一団を殲滅する事ぐらいは大した労ではない。だがロイアの性格上、そういった問答無用で踏みつけるような真似は出来る事ならやりたくないのである。
「おい、お前ら一斉にかかれ! この女、戦い慣れてやがるぞ」
「おう!」
しかし。野盗達はそんなロイアの心遣いに気がつかず、逆に愚かにも息巻いてしまう。
そして野盗達は、一斉にロイアに向かって襲い掛かかった。
「残念です」
そんな彼らの選択に、ロイアはただ落胆の溜息をつくだけだった。
ロイア一人に対し、相手の野盗は六名。だが、ロイアが揮ったのはたった三撃、しかもその場から一歩も動いてはいなかった。
全ては一瞬の事だった。野盗達が襲い掛かった次の瞬間、ロイアを中心に野盗達の体が円状に並んで地面に倒れていた。丁度、野山に生えているススキ畑を上から踏みしめたような光景に似ている。
「それと、あまり女、女と馬鹿にした呼び方はやめていただきたいものですね」
ひゅっ、と槍を振り、再び槍袋の中へ収める。これだけの人数を一度に相手にしたにも関わらず、息一つ乱すどころかさしたる事でもなかったような落ち着いた立ち居振舞いである。
「あ……」
と、その時。
先頭の馬車の影から一人の青年の姿が覗いた。突然の野盗の襲撃にそこで身を隠したらしく、恐る恐るこちらを覗き込み、突然乱入してきたロイアも含めて自体の把握に努めている。
「御怪我はありませんか? もう大丈夫ですよ。全部、片付けましたから」
この荷馬車達の持ち主だろうか。ロイアは既に事足りたことを伝えようとニッコリ微笑む。
「あ、はい……」
青年は唖然とした表情で、ただただロイアの微笑みを見つめていた。