BACK
「さって、どいつから来る? なんなら、時間が勿体無いからこっちから行ってもいいけど」
相手は目測でおよそ二十人前後。皆、殺気を込めた鋭い視線でリームを睨みつけている。リームは外見だけは何ら変わらない極普通の女性だ。そのため昨日の例にもあげられるように、リームの実力を外見だけで判断し安易な行動に出た人間は過去に多数いる。そのほとんどの人間は相手の実力を推し量る事の出来ない、僕の立場から言うところのアマチュアだ。しかし、今この場にいる人間は、一様にリームに対して油断なく警戒を払っている。誰もがリームの外見からは想像もつかない実力に気が付いているようだ。少なくとも昨日の男のように油断しきっている訳ではない。
彼らがどの程度の実力かは大よそにしか測ることしか出来ないものの、おそらくリーム一人でもなんとかなるだろう。それに、一度”手を出すな”と言われたにも関わらず手を出してしまうと、後から何をされるか分かったものではない。
じりじりとリームとの間合いを詰めていく男達。彼らはアマチュアながらプロの実力というものをよく知っているらしく、迂闊に攻撃を仕掛けようとしない。戦闘の専門教育を受けたか否かは、同じ年齢性別背格好でも大人と子供ほどの実力差を生み出す。この状況を置き換えてみると、リームは木の棒や石で武装した大勢の子供達に囲まれているようなものだ。ただ本当の子供のように無警戒でいない分、彼らにも幾分か救いはある。
張り詰めた空気の中、一人平然とした表情で立っているリーム。傍から見れば、なんとも奇妙としか言いようのない光景だ。視覚情報だけで言えば、殺気だったオオカミの群れに囲まれた子供が、楽しそうに笑っているようなものなのだから。
と。
「ん?」
その時、機を計っていた一人の男が、ザッと床を踏み込みリームに襲い掛かった。手にした武器は、野太刀と呼ばれる刃幅の広く丈夫な剣だ。どこの店でも見られる、さして珍しくもないタイプのものである。
男は、リームに向かって左肩から右脇まで一気に斬り下ろす袈裟斬りの構えで飛び込んだ。野太刀は決して刃は鋭くないものの、男の体格ならば鎖骨を断裂するぐらいは容易に出来るだろう。鎖骨は身体バランスを取る上では非常に重要な器官の一つだ。片方でも鎖骨が折れてしまえば、激痛により立ち上がる事は非常に困難になる。
この距離でも、僕の魔術で男を撃墜する事は容易だ。隅に追いやられた僕をマークしている人間は誰もいないのだから、十分落ち着いて魔術を放つ事が出来る。けれど、僕はただじっと黙って行く様を見やっていた。あの程度、わざわざ僕がでしゃばる必要はない。リームでなくとも、プロならば目をつぶってでもかわす事は出来る。
男の野太刀が振り下ろされる瞬間、棒立ちになっていたリームの体は素早く沈んだ。それと同時に、逆にこちらから男との間合いを詰めていく。
「!?」
リームの急激な行動に、男の目にはまるでリームの体が消えてしまったように映っただろう。だが実際は、リームは男の胸より下、丁度顔を上げている状態では死角になる位置にいる。
リームはバン、と床に両手をクロスさせながら付けて体を浮かせると、そのまま腕のねじれを開放しながら上半身を右旋廻させる。床を離れた両足は重力を支える役目から開放される。左足は小さく折り畳み、右足は力まずにリラックスした状態で伸ばす。そしてその右足はおよそ180度の上半身の右旋廻と共に、まるで鞭のようにしなやかに繰り出され男の左膝を打った。
男の体は一瞬空中でくの字に折れ曲がり、打ち抜かれた足は強制的に右方向へ投げ出され、それと繋がっている上半身は左に倒れ込むように床へ叩き付けられる。
実に鮮やかな足払いだ。タイミングも申し分ない。あれは相手の威力を利用して繰り出す技のため、ほとんど力を入れなくともやられた相手は派手に吹っ飛ぶのだ。
「はい、一人目」
パンパン、と手を叩きながら悠然とした表情で立ち上がるリーム。足払いを受けた男は転倒した拍子に床に頭を打ち付けて昏倒している。しばらくは目を覚ます事はないだろう。
よく戦闘では、素手は剣相手には不利とされている。けれど、それは素人の誤った認識だ。武器にはそれぞれ使用者との兼ね合いによる固有の間合いというものがあり、プロは如何にしてその間合い内に相手を誘い込むのかを戦闘中の駆け引きにおいて重要視する。武器は間合い内にいる相手に対しては最大の攻撃力を発揮する。攻撃力で相手を圧倒出来れば防御の必要はない。達人同士の場合、防御に回された時点で敗北が決定する場合すらあるのだ。
リーチの長い武器の方が強いというのは誤った認識である。それは単に間合い内に誘い込むまでの時間と手間が、リーチの短い武器よりも長い武器の方が相対的に短いためだ。リーチが短ければ、それだけ多く相手に踏み込む必要がある。それはそのまま相手に対して体を長く晒す事になり、結果的に一見すると不利であるように思われてしまうのだ。
徒手は鍛えていない人間にとっては丸腰も同然である。しかし逆に鍛え抜いている格闘師にとっては、既存の武器の必要性を全く感じさせないほど強力な武器になる。格闘師はリーチが体格に依存するため、人によっては非常に間合いが狭い。だが逆に利点も多い。格闘師の武器は鍛え上げた自らの体だ。つまり全身が全て武器となるのである。一般に剣士を相手にする場合、注意の大半は武器である剣に注がれる。槍闘士ならば槍、棒術師ならば棒。必ずしも武器によって攻撃するとは限らないが、武器以外の攻撃は布石になる事はあっても致命傷を受ける事は少ない。しかし格闘師を相手にする場合、相手は全身のあらゆる個所を武器として用いるため、どんな体勢からも致命傷を負わせる事が可能なのだ。格闘師は間合いこそ狭いが、一度間合いに入ってしまった場合、相手の一挙一動に隈なく注意を払う必要がある。格闘師の利点とは、その攻撃の圧倒的な密度なのだ。
そして。
リームの鮮やかな一撃がスイッチとなったのか、突然男達は一斉に襲い掛かった。相手と自分達との実力差は明白だが、一斉に襲い掛かれば何とか倒せると踏んだのだろうか? いや、この勢いだけで他に何も考えはなさそうな所を見ると、単に恐怖に突き動かされただけのようだ。群集心理の恐ろしい所は、時にこのような無謀な行動にも大衆をたやすく駆り立てることだ。
一人が感じた恐怖はあっという間に全員に伝染する。そして恐怖に突き動かされて冷静さを欠いた相手ほど、やりやすいものはない。恐怖に突き動かされるのと決死の覚悟とはまるで別物だ。恐怖に支配された人間の意思は鬼気迫った外見によらずあっけないほど折れやすい。
「せーの……」
まるで高波のような勢いで迫り来る男達。手には思い思いの粗雑ではあるが凶暴な武器を携えている。しかし、リームは取り乱すどころか極めて平素に近い状態で落ち着いている。
一度ゆっくりと深呼吸すると、体を半身に向けて手を中段の位置に構える。リームの実家はタチバナ流という流派の道場だ。この構えはアカデミーで習ったものではなく、そのタチバナ流独特の構えである。
ピタッと一瞬全ての動作を静止させると音も立てず静かに左足を上げ、そしてこれまでの穏やかな動作から一変し、火薬に火をつけたような弾けそうなほど激しい勢いで床を踏み鳴らした。
ドォン!
次の瞬間、リームが踏みつけた場所を中心に、その細い足からは想像もつかないほどの轟音と共に円状の振動が周囲一帯に走った。リームの目前まで迫り、今まさに攻撃を加えようとしていた男達は、咄嗟にその予想だにしなかった轟音を浴びせられて思わずその場に立ち竦む。
その隙をリームは見逃さなかった。
リームと男達の距離はほぼゼロ。比較的小柄な格闘師であるリームにとってはこれ以上ないベストな間合いだ。
続いて軸になる左足が踏みしめた威力も利用して内側へ螺旋のステップを描く。そこから生まれる螺旋のエネルギーが足から上半身、そして低く構えられた右腕に流れていく。それとほぼ同時に、リームは気合の掛け声と共に右腕による突きを繰り出す。
「セイッ!」
リームの右腕から繰り出された爆発力は、丁度リームの真正面に位置していた男三人に集中した。三人はその爆発力の前にあっさりと織り合わさりながら大きく後ろへ吹き飛んでいく。そのまま背後にあったテーブルセットに突っ込んでテーブルが真っ二つに割れ、イスは何脚か足が折れてしまった。
まるで紙のように吹っ飛ばされた仲間達を、彼らは唖然とした表情で見やっていた。大の大人の男が、こんな小柄な女性に三人まとめて殴り飛ばされたのだ。俄かに受け入れろ、という方が無理だろう。
「軽いわね」
それだけの事をしていながらも、リームは平然とした表情を崩さない。リームにとってこの程度の事は出来て当然なのだ。今の一撃も、相手が素人だからと大分手加減している。もしも本気で放っていれば、それだけで三人とも間違いなく命に関わる重傷を負っていたはずだ。
男達は殴り飛ばされた仲間と、その犯人であるリームとを交互に見比べ、そしてまた理解出来ないと言いたげな表情を浮かべて狼狽する。そうする事でしか、何もかも忘れて取り乱したい衝動を抑えられないのだ。彼らは表情から窺える通り、完全に戦意を喪失していた。プロとアマチュアの実力差を全く意識していなかった訳ではないようだが、その差分を明確に理解し受け止めてはいなかったのだ。プロの実力が想像を遥かに上まれば上まるほど、現実を目の当たりにさせられた時に受ける精神的ショックは大きい。
「どうする? まだやる?」
彼らが戦意を喪失した事を見透かし、悠然と微笑むリーム。声色は優しげだったが、あんな行為の後では嵐の前の静けさのようで恐怖を与えるだけにしかならない。彼らはその場に硬直したまま、仲間同士互いにぎくしゃくとした表情を見合わせるだけだった。もはや言葉を発する事も忘れてしまっている。
そんな彼らの反応に興味を失ったリームは、くるりと踵を返して奥にたたずむブレイザー一家のボス、ダルヴ氏に視線を送る。
「TKO勝利、って感じだけど。やっぱ全員足腰立たなくしなきゃ駄目?」
そして実にわざとらしい無邪気な様子でそう問うた。
ダルヴ氏は怒りをこらえるあまり、顔色が逆に青ざめていた。固く握り締められた拳は既に変色し、ぷるぷると震えている。しかし、不甲斐無い部下に向かって攻撃を続けるように命令はしなかった。勝敗はもはや火を見るよりも明らかであり、これ以上続けても無駄であると判断する冷静さは辛うじて残っていたようだ。
「……すぐに用意させよう」
自ら敗北宣言に等しい言葉を重苦しい口調で何とか吐き出すダルヴ氏。約束通り、僕達に食事を奢る事を宣言した。これがどれだけ屈辱的な出来事なのか、その様子からだけでも推して量れる。相手が悪かったとはいえ、ここまで完膚なき敗北を味あわされるとは思ってもみなかっただろう。戦闘のプロの実力を目の当たりにしたのが今回が初めてでなければ、このような事態は避けられたはずだ。わざわざ呼び込んで片付けようとした邪魔者に、逆に家の中を荒らされ放題荒らされてしまったのだから。
「やりぃ! んじゃ、早いトコ頼むね」
対照的に嬉々とした表情を浮かべるリーム。あれもきっとわざとやっているのだろう。昔から気に入らない人には何かと挑戦的挑発的だったし。
とりあえず、大丈夫な感じ……かな?
被害状況。怪我人が三人とテーブルセット一脚。踏みしめた床も大きく亀裂が入っているから張り替えなくてはいけないだろう。それと、暫定で食料多数。下手をすれば、これが一番費用がかかるかもしれない。
このぐらいならば特に目立った問題にはならないだろう。お金で片付く問題ほど軽い問題はないのだから。僕は肩をすくめ、そして微苦笑する。けれど、ブレイザー一家との軋轢が一層深まってしまった事に対しては、前以上に不安感は否めなかった。もうしばらくは、心休まる事はなさそうだ。